第8話 衝撃の事実②

「太い……?」


 呟いて、私は思わず自分の両手を見た。


「なに……この指」


 ブクブクと脂肪がついた、まるで象のような指だった。


 慌てて自分の体を叩いてみる。服を脱がせていた女官たちが、慌てた様子を見せた。


「で、殿下?」


「どうなさったのですか?」


「サラ様……?」


 彼女たちの言葉を無視して、私は手が伸びるところまで思う存分叩いてみた。

 …………太い。

 体についているであろう脂肪が……余分なお肉が、叩くたびに揺れているのが服の上からでもわかる。


「鏡……鏡を、貸して」


 伸ばした右手が震えているのが、自分でもわかる。……そう。私の精神は拒絶しているのだ。私自身の脳内予想を拒否したいのである。

 しかし、現実は残酷だった。

 渡された手鏡に移る「サラ」の顔は……顔は……


 まるで豚のよう……だった。



 ――王女の肉体に問題があってな。それを精神的に拒絶した者も多かったのだ


 転生前の、大蛇の女神の言葉を思い出した。

 …………。

 …………なるほどね。


 久しぶりに絶句した。そしてハキハキ喋ってくれた女神様が、あの瞬間だけ言い淀んだ理由が今わかった。


 香港のカンフーコメディ映画の主人公のように、ヌンチャクを振り回して暴れたい気分だ。それとも覆面をかぶって、孤児院で暮らす子供たちのためにプロレスでもして金を稼いでやろうか。

 いっそ深紅の飛行艇に乗り込んで、あの超有名な台詞を言ってやるのもいい。そうしたら、乙女のキスで元に戻るかもしれない。


 意味不明な現実逃避が脳内をグルグル巡ったところで、私はようやく自分を取り戻した。

 前世で警視だった頃、部下が犯人を取り逃がしたと報告してきたときでも、ここまでショックは受けなかったのに。


 ぽっちゃりなんてレベルではない。衝撃ボリュームの肉体だ。

 もし起き上がれるなら、姿見がある場所まで駆け寄っただろう。いや、逆に見るのが怖くて動けないか。


 自分で触る限り、どう予想しても体重が九十キログラムを超えている気がする。

 頭の中で、バラエティ番組でMCを勤める辛口オネエタレントを思い出した。だぼっとしたネグリジェのようなドレスを着てソファに座る、あの姿を。


「これは……キッツいわぁ~……」


 世話をしてくれる女官たちに聞こえないくらいの声で呟き、ため息をついた。

 タレントやお笑い芸人がそういう姿をして番組を盛り上げることに対して、私個人としては一切の拒絶はなかった。そのオネエタレントだっておもしろい人物だったし、個人的には好きなほうだ。


 だけど自分がその肉体になるのであれば、話は別になる。

 目覚めたら、いきなり百キログラムはあるんじゃないかと思える巨体……

 確かに王女がこんな体型では、痩身を美と考える現代の女の子では拒絶してしまうだろう。


 もしかしたら、この体型に絶望して自殺した転生者だっていたかもしれない。

 私自身、この顔にはかなり動揺しているわけだし。


 歴史的に見て、太っていることが美しいという時代がなかったわけではない。

 古代ギリシャやイタリアのルネッサンス、イギリスのヴィクトリア王朝の時代などは、豊満な胸にぽっちゃりとした体型を目指していたと、なにかで読んで驚いたことがある。


 だけどおそらく、この王女の体はそれをはるかに超えている。


 私も妊娠中に太ったことがある。でも、ここまでではなかった。

 産後太りは激務をこなしているうちに痩せていったし、警視になっても太ることとは無縁でいられたため、あまりダイエットを気にせずにいられた。

 年のせいか、少し下腹部がぽっこりしてきたかな、なんとかしようかなと考え始めたくらいで済んでいたのだ。


 この王女は、いったいなにを食べてこうなったのだろう。

 王女の体に入ったら、まず王位を継いで国を建て直すことだけを考えていたのだが、それは間違いだとわかった。


 王位を継ぐことより先に、絶対にダイエットが必要だ。このままでは私の精神がもたない。

 でもダイエットって……どうやるんだっけ。


「本が読みたいんだけど……ここには図書室ってあるの?」


 裸になった私の体を濡れた布で一生懸命に拭いている女官たちに向かって、何気なく質問する。

 すると、女官の一人が手を止めて驚いていた。


「……書物をこよなく愛してらっしゃる殿下が……? まさか」


 先程、アンとペネロピをたしなめた少女のほうだ。

 漆黒の髪と利発そうに見える切れ長の瞳がアクアマリンのように輝いていて美しい。アンとペネロピが可愛い部類なら、彼女は美人と表現しても差し支えないだろう。年齢はアンやペネロピよりも二~三歳は上に見えた。


 彼女の反応から察するに、図書室はあると判断して間違いない。

 そして少々困ったなと思った。


「本好き」「優しい」とくれば、おそらく性格は内向的。それに、この巨体だ。外に出て散歩なんてできないだろう。

 せいぜい出られたとしても、部屋の外。城外なんて考えもしないはず。


 サラは、インドア……いや、もしかすると引きこもりだったかもしれない。

 ということは、私とは正反対の性格と考えても差し支えはないはずだ。


 では、どうするのか。どうすれば、私が新たなサラとして受け入れてもらえるのか。

 先程から、女官たちは黙々と私の――サラの体を拭いている。しかし仕事をしながらも、チラ、チラと視線を向けて私の様子を伺っているのがわかる。


 おそらく、サラはこの三人とは特に仲が良かったのではないだろうか。

 そして、こういった際には、楽しく会話しながら雑務をこなしてもらっていたのではないだろうか。

 とくれば……私ができることは一つだ。


「あなたのお名前を教えていただける?」


 黒髪の女官のほうへ顔を向けてお願いすると、彼女も目を見開いて私をみつめた。私の体を拭く手が止まってしまっている。

 そして、唐突に我に返ったらしく布を持った手を大きく震わせてから、私の顔を覗き込んだ。


「マリナでございます、殿下」


 マリナと名乗った女官は、私のそんな気持ちには気づいていないようで、口もとに薄い笑みを浮かべながら答えてくれた。

 拙い笑顔だ。この子、表情を作ることが苦手なのかもしれない。


「そう……マリナ。そして、アンにペネロピ……だったわね」


「はい、サラ様」


「さようでございます」


 名前を呼ばれたアンとペネロピが、弾かれたような勢いで顔を上げた。


「もう気づいていると思うけれど……私、なにも覚えていないの」


 三人の女官はほぼ同時にヒュッと息を吸い込んだ。おそらく立場上、そうだと感じていても意見などできなかったのだろう。


「毒を飲んだ……ということらしいのだけれど……。それすらも記憶になくて」


「殿下……」


「だから申し訳ないんだけど……この国のこと、城のこと、これまでのことを教えて欲しいのよ」


「サラ様……」


「そして……もしかしたら、私の性格は以前とはまったく違うかもしれない。それでも、あなたたちは私の傍にいてくれる?」


 私はできうる限りの笑顔を作ったつもりだった。

 この豚のようにふくよかな少女の、毒で弱った顔が彼女たちの目にどう映ったのかわからない。

 ただ、二人の心を動かすことには成功できたようだった。


「もちろんです! もちろんでございますとも! アンは……私はずっと殿下のお傍におります」


「私もでございます!」


「それが殿下のお望みであれば、私も従います」


 アンは素直な子なのだろう。私の両手を握りしめて嬉しそうに泣いている。ペネロピもアンと同じように目元を指で押さえながら頷いた。

 対してマリナは実に冷静で、女官たるべき態度は崩さなかった。


To be continued ……

―――――――――――――――――――――――――――――

●○●お礼・お願い●○●


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