27 再会

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 ドアの開く音がした。

 大きな部屋だ。

 天井は高く、白で統一されている。

 そこに一輪の薔薇と、黒衣の騎士が現れる。

 どちらも美しい容姿の人物だ。

 ドアが閉まる音がする。

 騎士が薔薇に近づく。

 剣を床に静かに起き、そしてーー

 

「お久しぶりです、アストライア様」


 恭しくこうべを垂れるのだった。


「シン、なの?」

「えぇ。ずっとこうしてお会いすることを願っていました、アストライア様」


 シンもアストライアも胸がいっぱいだった。ずっと会いたいと思い続けていた相手が今、目の前におり、見ることも、話すことも、触れることもできるのだから。

 この日のために、二人は生きてきた。

 そう言っても過言ではなかった。


「大きくなったわね、シン」

「アストライア様も……。二年の月日は自分も含め、長いものなのですね」

「そうね。本当にそう思う」

「…………」

「…………」


 お互いの名を紡ぐごとに、愛しさが込み上げる。いくつものことを話したかったはずなのに、なぜか、想いを寄せる故になにを話していいのかわからなくなってしまう。

 沈黙に終止符を打ったのはシンだった。


「手紙は、無事届きましたでしょうか」

「! ……えぇ。ありがとう」


 くすくすとアストライアは笑う。


「まるで愛の告白だったわ」

「最初からそのつもりですよ」

「!」


 からかうつもりで言ったのだが、シンが至極真面目に、しかも素直で純粋な愛の告白をシン自身が言ったものだから、アストライアは驚いた。

 そして、少し恥ずかしくなった。


「……“そういう言葉”は好きな人に言わないとだめよ? シン」

「身も心も全てアストライア様のものです」

「っ、嘘でもそういうこと言わないで」

「嘘ではありません」

「〜〜っ、本当?」

「はい。本当です」


 シンのまっすぐな眼差しがアストライアを射る。いつのまにこんなに成長したのだろうとアストライアが思うのは当然のことだった。


「……シン」

「はい」

「今は二人きりだから、アストライア様じゃなくてティアって呼んで」

「何故?」

「なぜって……望んではいけないの?」

「そういうわけではございません。しかし、私はアストライア様の従者です。軽々しく愛称で呼ぶことは許されません」

「私が許しても?」

「それは……」


 シンの一人称が俺から私に変わっている。

 アストライアの呼び方も、愛称ティアからアストライア様となった。

 渋るシン。

 だがアストライアは妥協しない。

 呼び方だけは、譲れない理由がある。


「……少し、昔の話をしてもいいかしら」

「もちろんです」


 アストライアはシンの許可を得ると話し始めた。


「……私は魔界の王、魔王ライゼーテの娘として、第二王女として生まれたわ。それは知ってるわよね。だから、生まれた時から王族としての振る舞いを求められた」


 アストライアは器用な子だった。

 言われたことは基本的になんでもできた。

 だがそれが、自分を滅ぼす原因となった。


「大人との会話や関わりは幼い頃から得意だったの。むしろ、子供……って、私も子供だけど、子供と接するよりも遥かに楽だった。理由は簡単」


 大人の考えていることは単純で愚かだから。


「媚を売る目、作られた笑顔、取り込もうとする野心……全部が気持ち悪くて、わかりやすくて、大人の相手なんて簡単だった」


 よくわからないフリをして。

 同じ偽物の笑顔で対応して。

 魔王の名を出して脅して……。

 そうしてアストライアはアストライア様になった。


「私が私でいられるのは、お父様とお母様の前でだけ。兄様や姉様、ヒューリ叔父様ではダメだった。どうしてなのかしら。嫌っているわけではない、むしろ大好きで大切な家族なのに。だけど……」


 アストライアでいられた父ライゼーテと母リリスエッタとの幸せな時間はすぐに終わってしまった。


「お母様は、私のせいで死んでしまった……っ」


 アストライアの瞳から涙が溢れる。

 ライゼーテに愛されるほど、怖くなってしまう。生きていいのだろうかと。死ぬべきではないのだろうかと。

 ライゼーテがもし、自分のせいで愛する人を失ったのだと知ったら、自分はどうなってしまうのだろう。

 そして、シンはどう思うのだろう。

 アストライアは怖かった。

 大切な人を、失いたくなかった。

 今も、これからも、変わらないこと。

 それがもし、自分を嫌っていなくなったとしたら?

 これ以上恐ろしいものなどない。


「私がシンを従者にしたかったのは、私が私でいられる場所を作りたかったからなの」


 誰にも言えない、アストライアの思いを受け止めてくれる誰かを、アストライアがアストライアでいられる人を、ずっと探していた。

 魔王の娘に仕えられる者には厳しい条件があり、且つアストライアの願いが叶う者など無いに等しかった。

 ーーだが、現れた。


『俺はあんたに命を捧げると言った。つまり俺の命はあんたのものだと言うことだ。あんたが俺の命これをどう使おうと、俺は勇者を殺してくれればそれでいい』


 魔族に殺されかけても揺るがない思いと度胸があり、武術にも魔術にも才能があった。誠実で努力家で、約束は必ず守った。そして何より、シンはアストライアのことをよく知らない人物だった。

 そのことが一番、都合が良かった。

 アストライアは自分を知らず、だけど自分を受け止めてくれる人物を探していた。


「私はあなたを利用していたの」


 だが二年の月日が経ち、シンもティアではなくアストライア様としてアストライアを見るようになってしまった。


「私は、ティアでいられる場所が欲しかった。けど、あなたの中の私はもうティアじゃなくてアストライア様」


 無邪気な幼女ティアと、

 天才児と言われる完璧なアストライア様。

 どちらも本当のアストライア。

 だが時間と共にティアは消えていく。


「だけど、私は……っ」


 アストライア、として生きたい。

 少しでいい。

 ティアでいられる時間が欲しい。

 大粒の涙が零れ落ちる瞬間だった。


「御身に触れることをお許しください」


 シンがアストライアに近づき、優しく抱擁をした。背丈を合わせるため膝を降り、背中に手を回して優しく、優しく引き寄せた。


「貴女のそばから二年もの間離れたことをお許しください……ティア」

「〜〜っ! シン、シン……わたし……っ」


 ずっと我慢を強いられた。

 だがそれも今日で終わり。


「本当は貴女をアストライア様だなんて距離を置くように呼びたくなかった……っ! 昔のように許されるならティアと呼びたかった……っ、だけど私は貴女の従者だから……」

「そんなの関係ない! 私がティアと呼ぶことを望んでいるの……っ! ……アストライア様だなんて呼ばないで、シン……っ」


 シンはアストライアの背中をさする。小さくて華奢な身体だ。力をグッと入れれば、すぐに壊れてしまいそうなほどに、弱くて脆い。

 なのに、そんなアストライアの背中には何十もの重圧が、期待が、責任が、纏わりつくように伸し掛かっている。

 天才児と呼ばれる第二王女。だがそれ以前にアストライアはまだ齢8歳の少女だ。辛くなり耐えられなくなれば、泣いてしまうような子なのに……。


「っ……」


 シンはアストライアを苦しめる全てのことに対して憤りを感じ、排除したくなった。そしてそれと同時にーー


「俺が貴女を支えます、ティア」

「っ!」


 自分の主人を隣で支えたいと思った。

 今のシンにはそれが可能だ。


「貴女になにがあっても、私は味方でいます。私の力は貴女を守るために、貴女の敵と戦うためだけに使います。だから約束してください」


 それは主人アストライアの願いで


「“俺”と二人きりの時は本当の貴女でいてください、ティア」

「……〜〜っ」


 従者シンのできるアストライアを支える方法だった。


「泣いていいんです」

「うん」

「弱音を吐いていいんです」

「うん」

「俺の前で偽らなくていいんです」

「うん……っ」

「どうか一人で抱え込まないで」


 シンが心配しているのはただ一点。

 アストライアが壊れてしまうこと。

 そうなる前にシンは助けることができた。

 シンのたゆまぬ努力が、アストライアの心を救ったのだ。


「俺に貴女を支えさせてください、ティア」


 二年の時を経て、二人は再会を果たした。




 しばらくしてアストライアは落ち着きを取り戻した。涙も止まり、呼吸も正常になった。シンは安心するも、アストライアの目元が泣いて赤くなっていることに気づく。


「再び晴れることをお許しください」

「っ……」


 シンがアストライアの目元に触れる。


「【治癒】」


 淡い光が灯り、消える。


「ありがとうシン。でも、毎回私に触れることの許可を求めなくていいのよ? シンはベタベタと触ったりしないし」

「ベタベタと触れる者がいるのですね」

「……まあね。でもあの人はそういう人だから。誰だかわかる?」

「そうですね……俺の知る限り、魔王様くらいかと」

「あぁ……うん……お父様もだけど……」


 シンはアストライアラブなライゼーテの姿を思い浮かべる。ベタベタ触れていても実の父だし何せ魔王なので苦情は入れられない。非常に厄介な相手である。


「これからシンには私と一緒にお兄様とお姉様に会ってもらうつもりよ。私には歳の離れたお兄様が三人と、お姉様が一人いるの。私は末っ子」


 一人はシンも見たことがあった。

 レオンハルト第一王子。

 オリバーの主人で剣術大会の賓客として来ていたのを記憶している。


「では参りましょう、アストライア様」


 ここからはシンもアストライアも切り替える。二人きりの時間はもうおしまいだ。

 アストライアの生誕パーティが始まる。



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