8 広域治癒魔法の研究

【二章】




「つまんない……」


 アストライアは自室から赤い月を見上げていた。


 アストライアの専属講師からもらった課題はすべて終え、やることがないのだ。


(……魔力圧縮でもしようかしら)


 強くなればそれなりに褒美などはもらえるが、シンというお気に入りと離れて早数ヶ月。アストライアは何をしても退屈に感じていた。


(シンは、なにをしているのかしら)


 アストライアの頭に浮かぶのは、シンのことばかりだ。恋愛感情ではないのだが、どうしても気になってしまう。


(オズヴィーンの稽古は厳しいけれど、シンなら大丈夫……よね)


 アストライアは何度かオズヴィーンの稽古を受けたことがある。アストライアでもかなり辛かった。


 ちなみに武術の方を教わりたかったのだが、魔王に「それは絶対にダメっ!」と言われて、まだ武術の指南は受けていない。


 非常に残念である。


「はぁ……【瑞水】【治癒】」


 魔法を詠唱し、アストライアは魔法の研究を始めた。現在アストライアは広域治癒魔法の展開、発動の研究をしている。


 【治癒】を付与した【瑞水】を【風吹】で飛ばして一気に回復させる。そうすれば広域治癒魔法が可能なのではないかと思ったのだ。


 問題は【瑞水】に【治癒】を付与することだ。かなり綺麗な【瑞水】でなければ【瑞水】を【治癒】で綺麗にしてしまうことになる。


 何度か挑戦しているのだが、あまりうまくいかない。アストライアが苦戦するとなれば、他の者が行使するのは難しいということになる。


 また、広域治癒魔法が完成しても、今のままでは【瑞水】【治癒】【風吹】と三つの魔法を詠唱しなければならない。そうなると時間がかかるので戦場では不向きだ。


 アストライアが広域治癒魔法を研究するのは父、ライゼーテ魔王からのめいだ。今は休戦中だが、いつ戦の狼煙のろしが上がるかわからない。


(【瑞水】だと【治癒】と相性が悪いのね。……なら【氷結】ならどうなのかしら)


 【瑞水】にこだわるのをやめ、アストライアは【氷結】を展開、発動する。


 【氷結】は氷の魔法だ。【瑞水】と違って綺麗、汚いははっきりとしていないため、【治癒】との相性が良いのではないかと考えたのだ。


「【氷結】【治癒】」


 【氷結】と【治癒】を展開、発動させる。


 するとーー


「! ……できた」


 【氷結】に【治癒】がそのまま付与された。【氷結】は【治癒】されていない。成功である。


「フローラ」

「何ですか、アストライア姫様」

「負傷した兵士たちはいるかしら?」

「少しお待ちを。…………どうやらいるみたいです。【転移】」


 負傷した兵士たちがまだいることを確認し、アストライアはフローラと共に医務室に転移した。




「! アストライア様……!」

「ここに負傷した方がいらっしゃると聞いたのだけれど、どこかしら?」

「こちらです」


 医務官に案内され、アストライアは兵士たちの元へと歩む。


 【治癒】ぐらいならば普通の兵士でも使えるがオズヴィーンが【治癒】をする時間を与えず、絶え間なく攻撃を入れるので、最近の兵士たちは皆、医務官に【治癒】をかけてもらわないといけないのだ。


「おとーさまに頼まれていた研究の実験をしたいの。多分完璧だと思うけど一応、ね」

「! それはそれは……わたくしたちの手間も省けますし、是非お願いいたします!」

「えぇ、そのつもりよ。……【氷結】【治癒】【風吹】」


 【氷結】に【治癒】が付与され、それを【風吹】で兵士たちに降り注ぐ。なにも問題なく終わる……とアストライアは思っていたのだが。


「ぎゃっ!」

「痛て、痛って!」


 あられのようなものが兵士たちに降り注ぐ。


「あ、一個忘れてた」


 【氷結】【治癒】【風吹】で完璧だと思っていたのだが【氷結】を溶かすのを忘れていた。【火焔】をかけなければならなかったのだ。


「ごめんなさい、もう一回実験に付き合って。……【氷結】【治癒】【火焔】【風吹】」


 だが今度は【氷結】が【火焔】で溶け、水になったものが【治癒】されてしまった。【瑞水】の時と結果的に変わらなくなってしまった。


 アストライアはため息を吐く。


(まだまだ研究する必要があるわね)

「何度もごめんなさい。お詫びにいつもよりも強力な【治癒】を施すわね。……心も体も【癒えて治って】!」


 すると兵士たちの身体が光り輝き、体力も気力も回復した。


「ありがとうございます、アストライア様!」

「またオズヴィーン騎士団長のところで頑張ってきます!」

「えぇ、頑張って。……あ、一つ訊きたいことがあるのだけれど」

「? 何でしょうか」


 シンの様子はどうかと訊きたかったのだ。


 だけどーー。


「あの、シンは…………いえ、ごめんなさい。なんでもないわ」

「そうですか。では、失礼します」


 バタン、と扉が閉まる。そしてアストライアは兵士たちに振っていた手をやめ、下ろした。


 アストライアの後ろにはフローラが静かに見ていた。


「よかったのですか、アストライア姫様」

「なにが?」


 アストライアはなるべく平然としているように声色に気をつけた。だが、生まれる前からの付き合いのフローラにはお見通しだった。


「アストライア姫様が従者にすると言っていた人間のことですよ。兵士たちに訊かなくてよかったのですか?」

「…………いいのよ、別に」

「そうですか」


 その後フローラはこの話題について触れなかった。


(本当は、訊きたかったわよ)


 そんなフローラの態度が、アストライアの心にもっと、影響を与える。


 契約の条件は接触禁止なので、他者から訊いてはいけない、という訳ではない。


(でも、もし訊いてはダメってなったら、シンは私の従者にできないもの)


 魔王が契約内容を変更するとはアストライアも思っていない。だがもしかしたら、と考えると、すごくアストライアは怖くなるのだった。


(シン。あなたと私が共にした時間はたった少しだけ。でも、あなたが私のお気に入りになるにはそれだけで十分だったのよ)


 きっとアストライアがシンのことについて尋ね、知れば、それだけで嬉しくなるだろう。


 だけどアストライアが訊かないのは、シンと約束したからだ。


『絶対、強くなって、俺、ティアのこと守れるようになるから』

『うん』

『諦めたらなんか、しないから』

『うん』


 あの時のシンを、アストライアは何度も思い出し、絶対に忘れることはない。


 それほどあの時のシンは、美しかったのだ。そして初めて、アストライアが男の子の泣きそうな表情を見たのだ。


(まるで涙が宝石のようだったわね)


 シンの持つ全てが、アストライアを魅了するのだ。


「フローラ」

「自室に戻りましょう、アストライア姫様」


 フローラがアストライアに手を差し伸べ、それをアストライアは優雅に掴む。


(さ、私も頑張らないとね)

「フローラ」

「わかりました。……【転移】」


 フローラはアストライアの言葉から指示を汲み取り、【転移】を展開、発動した。




「夕食時まで部屋にこもるわ。……フローラ」

「その時になればお呼びいたしますね」

「えぇ、お願い」


 フローラが部屋を出ていくのを確認すると、アストライアは研究の続きを始めた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る