【第2節】その果てを知らず 

中樹 冬弥

プロローグ

 少女の見上げる先には、ふたつの峻厳なる山がそびえていた。

ひとつは紺碧の空に突き立つように、青白く浮かぶ雪と岩からなる峰……

 もうひとつは少女に立ち塞がる2m以上の巨体……

 あたかも山脈を思わせる、力強く厳しいその身体、

 簡素な白い服、右肩を露わにしたキトンに皮のサンダル、そんな平易な姿をしていながらも何処か異質な、触れざるべき佇まい…

 それは

「ベルク! ボクはお前を絶対許さない!!」

 ベルクと呼ばれた男はその灰色の瞳を軽く瞬かせただけ、まるで意に関せずといった様子だ。

 荒ぶる紫色の髪が頂からの風になびく。

「ベルク!」

 もう一度少女が叫ぶ。

 まだ十五にもならぬくらいの幼い姿、腰の下まで伸びた綺麗な黒髪が波のように舞っている。

 そして怒り心頭といった風の茶色の真っ直ぐな瞳が男を離さない。

 両手を前に突き出し、風と男に抗うように立つ。

 所々土に汚れた青いワンピースに、足を守るように白いズボンを履き、背中には長い弓を背負っていた。

【人の子よ、どうしてそんなに怒りを露わにしているのです?】

 静かだが迫力のある声が世界に響く、しかし男の唇は動いていない。

 それはまるで男の思考がそのまま世界に出現したような不可解な現象

 少女はその声には慣れていた…しかし

「…お前は自分のしたことを忘れたっていうのかよっ」

 少女は想いを吐き出すとそのまま絶句した。

 怒り、悲しみ、悔しさ、愛しさ…それらが綯交ないまぜになって少女深く苦しめる。

(ボクは…ボクは一日だって忘れた日は無いってのに……)

 男はそんな少女の思考を読むように目を閉じる。

 何かに気付いたようだ。

【なるほど、あれは必要な事でしたね】

 男の猛々しい力持つ姿に反して、その口調はとても穏やかで…

 男の真意が読めない。

【人の子よ、それであなたは***に会いに来たのですね】

 おそらく男の名前なのだろう、しかしその部分だけ人の耳には知覚できない音が流れた。

 沈黙が続く、風は勢いを失わず足元の雲を動かした。

 よく見れば地面に当たる場所には雲しかなく、更に薄く透けていたその先には小さな山のある島々と青い海が広がっている。

 そう、ふたりは地表とは違う遥か上空の『何処か』で対峙していたのだ。

『メイ殿…しっかりしてくだされ!』

 ふたり…ではない、声がした。

 少女、メイのすぐ脇には東洋風の筒状で緑の巻物がふわふわと浮かんでいたのだが…その声は確かに巻物から聞こえたのだ。

『大切なのは真実を知ることだった筈ですぞ』

 メイとその巻物、ふたりはベルクに会うためにずっと修行をしながら旅をしていた…どうしても確かめたいこと、やらねばならないことがあったから。

「マキさん…ダンケ……ありがと」

 メイはようやく正気を取り戻したのか傍らの巻物に微笑みかける。

 ごしごしと目を擦り、再び強い眼差しでベルクを射貫いた。

「もう一度聞く!」

 大きく息を吸う。

「かつての我らが神…山の神ベルクツェーン、お前が父さんと母さんを殺したことに間違いはないんだな!!」

 それが男、神の正体だった。

 両手を前に組んだまま、ベルクはメイを見下ろす…

 そして

【ええ、間違いはありません】

 メイが一番聞きたくなかった言葉を発した。

 メイはあの時のことに関して、ショックによる記憶の欠如もあってか、思い出せない部分が数多くあった。

 だからこそ、あの時以降、別れることになったベルクに真相を聞く為に頑張ってここまで来たのに…

 もしかしたら何かの間違いかもと一縷の望みもあったのに……

 それは虚しく打ち砕かれ、もう何もない。

「…絶対」

 メイの俯いた頬から涙がひとつ

「……絶対お前を倒してやるっ!!!」

 それが戦闘開始の合図になった。

「行くよ、マキさん」

『承知!』

 メイが集中する、同時にマキさんがするすると開き、メイをフォローするように術の詠唱を始める。

 それに伴い、ベルクの真上に黒い雲が現れ、彼を足止めするように暴風が逆巻き始めた。

「くらえぇ!ニダガン マンシャフト ヴィント ウント ドナ」

『異界の神よ…御業を受けなさい!降陣風雷』

 ふたりの気合に合わせて上空からの風はさらに強まりベルクの足を止める。

 メイは背中の弓を構えると一際鋭い銀色の矢をつがえた。

 それは眩しい光を放つ、メイとマキさんが強大なエネルギー、神気を矢に集めたのだ。

 ギリギリとしなる音、狙いを合わせ…


Schießenシィースン!!」


 白く鋭い光の矢が放たれた。

 刹那黒雲からも幾つもの雷がベルクを襲う。

 強力な閃光と大音量がこの空間を満たした。

「…やった?」

 眩しさから開放され、メイが声を上げる。

『我ら最大の合わせ技、流石に無事ではいられないでしょう』

 マキさんも少し得意げになる、しかし

【この程度ですか?】

 雷雲の消えた下…ベルクはまるで無傷で微動だにしていなかった。

「うそ…」

『先程のあの閃光は…ベルクツェーン殿の仕業かっ』

 降陣風雷は本来数分から数時間発生する御業なのだが、それがあの一瞬で消えている…それはつまりベルクの手によって全部消されたという事実…

 最初から全力全開で挑む、それがメイ達のたったひとつの戦法なのだが、あっけないまでの幕切れとなってしまった。

【まだ知らぬ異邦の神の技、なかなか強力ですね、感心しますよ】

 口調とは裏腹に全く気にも留めない様子のベルク

【しかし、それで***を倒そうなど、笑止です】

 はじめて、ベルクが動いた。

 瞬時にメイの前に現れ、絶大な右拳による必殺の一撃を放つ。


「マキ…さん?」

 その一撃はマキさんが身を挺して防いでくれた…だが

「返事をしてよ…マキさんっ!」

 マキさんを抱きしめる…しかしボロボロに壊れた巻物は動かない。

「マキさんっ…イヤだよ…絶対…死んじゃダメだよ!」

 メイは必死のあまり、ベルクのことを忘れていた。

 ずっとマキさんと御業と戦闘の修行を続けていたとはいえ、まだ幼い少女は戦闘経験も感情の制御も慣れていなかったのだ。

 その隙を逃がすほど、神は甘くない。

 世界が歪む。

【禁域から、去りなさい】

 ベルクが左腕を振るうと嵐が起きた、それはメイ達が作った雷雲などよりもずっと大きく強く、残酷で…

「うわわわぁぁぁぁあ!!」

 メイ達を黒い世界へと落としたのだった。

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