今! 目の前!


 王都ルトランセを臨む草原に、稀代の魔法使いが魔力を練って、更に聖剣を貸し与えられてその内に込められた魔力を持って、一時だけ神代の魔法を再現する。

 空気は海の様に波打ち、大地は生き物のように蠢く。マジェルジェの身振り手振りに合わせて地面にマス目状に切り込みが走り、彼女の指揮に合わせてまるでパズルにように配置が換わる。

 ユウデンはいくつかの補助魔法でマジェルジェを支援するが、そんな微々たる支援など必要としないかのように、稀代の魔法使いはことを成していく。


「ユウデン、フヨルをあなたの前まで強制的に連れて来るわ。合図したら捕まえて」

「解った」


 解ったと了承の言葉をもって答えたが、ユウデンには事態が上手く呑み込めずに居た。

 なにせ、出て行ったフヨルは今、神代の魔道具マジックアイテムであるアーティファクトの力で「そこに居るが居ない状態」という、認識できない状態である。かろうじてフヨルの足跡を追うことで”そこに居るのではないかと推定できる”程度で、見つけるのは困難である。

 だからこそ、広々とした草原に時間がたった足跡を見つけるという、藁の山の中から縫い針を探すようなことをするために、マジェルジェは魔法で知覚をこれでもかというほどに強化し、フヨルを探し当てた……のだろう。

 フヨルが他にもアーティファクトをパーティ財産から持ち出していたのなら、近づくことすら困難である。というのは、おそらくマジェルジェも同じ考えなのだろう。だからこそ、「大地の配置を入れ替える」とかいう大規模な魔法で、フヨルが居る地面そのものを持ってこようということらしい。……戦闘が控えているから温存したいと言っていたのは何だったのか。あるいは、彼女にとってはこれでも温存しているのか。

 などと考えているユウデンにマジェルジェが叫ぶ。


「今! 目の前!」


 ユウデンは身構える。フヨルを捉え、王城へ戻り、推定魔王と対峙するため。そのためにフヨルの力が居る。

 今、とは言われたが目の前には何もないようだが……


 ―― 本当にそれだけのためか?


 ふと、ユウデンの脳裏に邪念が過る。


 ―― そもそも、こうして無理やり捕まえてパーティに連れ戻したとして、それはずいぶん勝手なことじゃないか。追い出したのも、そのきっかけを作ったのも、それは誰のせいだった?


 邪念は、農民のユウデンの漏らす言葉が、ユウデンの思考を鈍くさせていく。


 ―― 本当は嬉しかったんだろう、王都でクーデターが起きて。有耶無耶にできるものな。これで、フヨルに……


 ユウデンは一瞬だけ目を閉じて、自身の中の邪念を振り払おうとする。

 しかしその一瞬が、事態が進むのを緩慢にさせた。

 マジェルジェの怒鳴り声でユウデンは現実に帰ってくる。


「何してるの! フヨルが逃げちゃったじゃない! 捕まえてって言ったのに……」

「あ、ああ、その……すまない。俺からは目の前に何も無いように見えて」

「でしょうね。フヨルは“死神騙しの兜”を被ってるって、あなた今一度事態を確認した方が良いんじゃないの?」

「いや、そ、そうだな。すまない」


 己の不甲斐なさに頭を抱えるユウデンを見て、マジェルジェはわざとらしくため息をついてみせ、そして意地悪な笑みを浮かべる。


「まさかとは思うけど、あたしの魔力がさっきの一回分しかないとか思ってないでしょうね? 聖剣の補助もあるんだから、もう一回ぐらいはできるわ。だから、次、行けそうなら言ってちょうだい」


 ユウデンは顔を上げる。

 マジェルジェは余裕ぶっているが、彼女といえど魔力が無尽蔵なわけではない。逆に言えば、次もしもフヨルを捕まえられない、あるいは捕まえても再度パーティに引き込むのに失敗した場合、それは迫る戦いでのリソースを大きく裂くことになる。

 また心の奥底で、後ろ暗い言葉が浮かび上がるのをユウデンは感じた。


 ―― それだけの価値が、フヨルにあるのか? 単純にお前がフヨルとのわだかまりを解いておきたいだけじゃないのか? それはわがままじゃないのか? マジェルジェが唱える魔法のいくつかと、碌な魔法が使えないフヨルを天秤にかけるなんて……だから、フヨルを過去に追い出したんだ。そうだろう?


 ユウデンはマジェルジェに聞く。


「俺は……その、気が、立っていたんだ」

「あらそう。別に構わないわ。ユウデンがそういう人だってあたし知ってるもの」


 マジェルジェは鼻で笑った。


「それと、フヨルがパーティに戻ってくることは構わないか?」

「あたし、パーティに誰が居ようとどうでもいいわ。いてくれた方が助かるけどね。ユウデンがフヨルを必要とするなら、必要なんでしょう」


 ユウデンは己に問う。

 フヨルが必要かどうか。

 答えは解らない。無駄なことかもしれないし、間違った決断かもしれない。だが、このままではいけないことは、解っている。


「最後に……先ほどの魔法は消耗もすさまじい物だっただろう。だがもう一度だけ、さっきの魔法を使えるか?」

「誰に言ってるの? 愚問ね」


 今一度、マジェルジェが大規模な魔法を行使する。彼女の魔法に合わせて大地の配置が入れ替わり、解く気が無いスライドパズルのように、草原と湿地と石畳と湖や川、森の木々まであべこべに混ぜ合わされる。幾分か先ほどより雑であることから、その実余裕がないことはユウデンにも伝わった。

 しかし、マジェルジェは仕事をやり遂げる。その合図がユウデンに言い渡される。


「今! 目の前!」


 ユウデンからは何も見えない。そこに何かがあるとも思えない空間。だがそこにフヨルが居るならば……


「(フヨルは……これぐらいの背格好で……)」


 ユウデンは目の前の空間に居るであろうフヨルを逃がさないように、何も見えない空間を抱きしめる。

 成功したかどうかは、不思議な矛盾を感じる感覚と共にユウデンに伝わった。


「うわ、なんだ? 何もないところに何か、透明人間インヴィジブリティのような、いや、インヴィジブリティと違って体温も触感も無いのに、確かにここに何か居る!」


 その何かはジタバタと暴れるも、次第に静かになる。

 静かになったのは、既にユウデンの腕の中から逃げたからなのか、あるいは“死神騙しの兜”の効果で「暴れている何か、というのも認識できなくなった」からなのか。

 確認する方法は一つだ。ユウデンは恐る恐る、声をかけた。


「フヨル……なのか?」


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