第4話 彼女の涙と漆黒の翼
しばらく彼女のなすがままについていくと、「ここ通っていいんか…?」的なフェンスの穴を抜け、しばらく歩いた先にあるプレハブ小屋みたいなところの陰に隠れた。
六道さんがしゃがみこんだのを見て僕も隣にしゃがむ。
「り、六道さん…ここ来ちゃって大丈夫なとこですか…?」
こそこそ話すと彼女も同じようにこそこそと「大丈夫、ここは私と管理員さんくらいしか来ないし」と笑って答えた。ちょっと僕の想定していた回答じゃないけど笑顔が可愛いからヨシ!
「ああ、それから…」
彼女はずっと抱えていたベーカリーの袋からカレーパンとメロンパンを出した。
「ごめんね、クリームパンでも焼きそばパンでもないけど…半分こして食べよ?」
半分こ…半分こだと…!?
(ここはもしや天国!?僕はいつのまにか死んでいたのか!?!!?)
その場合殺したのは六道さんしかいないが、まぁ彼女に殺されるなら本望なり。
「ハイ!喜んで!」
「ふふ、喜んでくれたならよかったぁ〜」
ふにゃりと愛らしく微笑む。いやん、天使っ!
なんとかカレーパンを飲み込み、彼女の方を見る。アッ、カワイイッ!!
僕の煩悩をかき消すように爛とした眼が何か必死に訴えている。不思議に思って「どうしたんですか?」と声をかけると彼女は覚悟を決めた様子で口を開いた。
「君さ、やっぱり気づいてるよね…?」
心臓が耳元で響く。キモいから死ねとかじゃなくてよかったけど一番話しづらい話題来た…
「…な、にを?」
おそるおそる返すが、六道さんが辛そうに眉根を寄せたから、正直に言えばよかったとすぐに後悔する。
「…私の……首、のこと」
もはや、あれが僕の妄想じゃなくてよかったと喜べる空気感ではなかった。
ゆっくり、躊躇いつつもうなずいた。彼女が頬を緩める。
「…やっぱり気づいてたんだ」
彼女の目が薄く光った。ふわりと笑っていたが、哀しそうというか、どこか諦めているような表情だった。
「僕が…気づいてるって、いつ分かったんですか?初めからですか?」
「え?いや、気づいたっていうか、確信したのは今日」
あれぇ、案外バレてない…!?
「私が首のことを自覚するとき、必ず君が何かしていたから、おかしいなとは思っていたの。だから、今日…ごめんね、ちょっと試した」
「え」
(試したってことは、今日は意識的に伸ばしてたってこと!?うつらうつらしてたのに!演技うまっ…さっすが六道さん!)
彼女に感嘆するとともに、むずがゆい恥ずかしさが這い上がってくる。
(――ってことは、僕ひとりでバレないかうじうじ悩んで、ドキドキしながらバカでか咳払いしたってこと!?やっっば!恥っず!)
羞恥心で動けなくなっていた僕が怒っていると勘違いしたのか、六道さんは目の前で手を合わせて「ほんとごめんっ!」と謝ってきた。
「いや、六道さんに試される分にはドンと来いなんですけど」
「へ?」
――まずい!口から本音が漏れた…!
「まぁまぁまぁ!ところで六道さんは他に聞きたいことありますか?こっちも今まで黙ってて
どすこいと胸を叩く。強く叩きすぎて若干咳き込んだ。ダサすぎる。
六道さんは、戸惑うように視線を彷徨わせ、きゅっと眉根を寄せた。それから不安そうに唇を震わす。そんなに答えづらい質問をしただろうか…?
申し訳なく思ってさっきの発言を取り消そうとしたところ、彼女がふいに呟いた。
「……きもちわるく、ない…の?」
ぽとりと落ちた予想外の言葉に唖然とする。
「気持ち悪い…って、何が?」
ぱっと顔があがる。今にも泣きそうな、不安げな表情だった。
「――っ私!」
(―――――は…?)
「り、くどうさん…?が…?どこが気持ち悪いの?」
そこでハッと思い直す。
「あれ、もしかして気分悪い感じですか!?!有毒ガスかな、気づかなくてごめんなさい!!なんか僕には効かなかったみたいで!今保健室にッ―――」
がばりと立ち上がって彼女を抱き抱え―――ようとしたところ持ち上がらなくて前のめりで顔面から転んだ。
「えっ…!だっ大丈夫!?」
「ダイジョブデスヨ…」
ぷるぷると子鹿のような状態から再チャレンジしようとすると、彼女の必死な悲鳴がそれを咎めた。
「やめてやめてやめて!!気分は悪くないから!むしろ良いから!このままじゃ君の腰が折れちゃうよ!」
ここで、「六道さんなんて鳥の羽程度の重さなんだから、腰なんてイカれませんよ!HAHAHA!」と言えないのが情けないところ。
六道さんの気分も別に悪くないことが判明したので大人しく手を放す。あれ、もしかして今合法的に彼女に触れていたのでは!?!?―――いや、合意なかったし違法か…?
「ここでお縄についても、もう悔いはないです……」
「???何の話?」
「ヤ、なんでもないです…」
(それにしても、気分が悪くないならホントに何が気持ち悪いんだ…??)
目の前で僕のせいでついた泥(本当にごめんなさい)をはたいている六道さんを見上げる。彼女も僕の視線に気づいたのか、そっと同じ目の高さにしゃがみこんだ。
「…えっと、もっかい聞いていいですか?」
「…いいよ」
「六道さんの…何が気持ち悪いんですか?」
六道さんは、しばらく言いづらそうに、それでも答えてくれた。
「だって…私、首伸びるんだよ……?」
「はい」
「…?うん?だから…ね?」
「ん?」
「ん?」
あれっ!まじでどういうことだ!??!
「えっ…六道さんの首が伸びるっていうのはわかりました。それで気持ち悪いっていうのは…?あ、首が伸びるときって気持ち悪いんですかね?なんか吐きそうになるとか!僕伸びないんでわかんないんですけど…」
彼女は眉をハの字にして、ぷしゅーと力が抜けた様子でへたり込んだ。
「ちがう……」
「えっ!?ご、ごめん!察し悪くて…」
「結構ガチで悪い…」
アッ、ヒドイ
「だから!私首伸びるんだよ!?そんなんろくろ首じゃん!普通じゃないじゃん!キモいでしょ!?……てかなんで私がキレてんのよ!」
そんなこと言われましても……。あっ、ろくろ首と言えば!
「そういえば六道さん、ろくろ首の出てくる昔話、聞いたことあります?僕どうにも覚えてなくて」
「えっなんだろ?…あっ、あれだ、寝てるうちに
「あー…?たしかにそういうのあった気がするなぁ…」
「でしょ?あれが始まりなのかな?」
「えー、どうなんだろ?今度調べてみようかな」
「じゃあ、私も一緒に………―――っじゃなくてッ!」
表情がくるくる動いて面白い。それにしても、怒ってても考えてても、美人な人は美人なんだなぁ。
「君は!私がキモくないの!?」
「キモくないですよ」
「でしょ!……えっ?」
「はい、むしろ気持ち悪いっていう言葉の真逆にありますね。六道さんは」
「え…えっ!?」
なんでそんな驚く?
「六道さんがキモかったら、僕はもはや生物として形をとどめてないんで」
「そんなことないよ…?」
不憫そうに言わないで?ぶっ刺さるから。
「で、でも…首伸びるのって普通じゃないじゃん。そういうのって、なんか本能的に嫌にならない?」
「???なんで?六道さんは六道さんでしょ」
彼女はもはやせっかく泥を落としたのも忘れて座り込み、胸ぐらを掴まん勢いで僕に顔を寄せる。色々激流のような衝撃で呼吸を忘れていた心臓がやっとこさ叫び始めた。
「首が伸びようが、それが普通じゃなかろうが、六道さんってことに変わりはないし、キモく感じるポイントがない」
六道さんは人外級にカワイイけどね!!!!!!
六道さんは納得いかない様子で「でも…」と繰り返している。時折覗かせる寂しそうな瞳に、自分を傷つけないといけないような、そんな切ない痛みが見えた。
「僕からしたら、六道さんが気にするようなことはなんにもないですよ」
彼女は目を伏せ眉根を寄せ、絞り出すような声を出した。
「仮に…そうだとしても、なんでこれを隠そうとしたの?気持ち悪くないんだったら――まぁ気持ち悪くても――誰かに話したり、嘘ついてないって示すために首が伸びてるところを見せようとしない?ふつう」
なんだかさっきから、彼女の"普通"がどうも理解できない。
「うーん…誰かに話すとか、見せようとするとか、そういうのはよくわかんないけど……隠そうとしたのは、初めて見たときに貴女が…知られたく、なさそうだったから…」
「え…」
「六道さん、『ありがとう』って言ったでしょ?いっちばん最初の数学の時間。あれって、首伸びてるの気付かせたからじゃ…?」
彼女は一瞬目をくるくるさせて、それからハッと目を見開いた。
「えぇぇ!あのときからバレてたの!?普通に居眠り起こしてくれただけだと思ってた…」
えぇぇぇぇええ!ウソぉ!?
「まぁ…理由はそれだけじゃないです…」
それはそれとして、とりあえずもうひとつの
「………なんていうか、皆が"良い奴"ってわけじゃないから」
別に僕だって、理解できない人間がいることを知らないわけじゃない。
僕は「ちょっと見てください」と言って右手人差し指を眼前に突き立てた。
「行きますよ?よく見ててくださいね?」
ハァッ!!と息の抜けるような声掛けと共に一気に人差し指に力を込める。
途端パキッと音がして第二関節が反対側に反る。その角度約45度。
「ぅえ―っ!?」
彼女の顔がぐっと引き攣り、僕から離れた。
「…コレ、僕の特技です。子供の頃にコレができるって気づいたとき、僕のテンションはバチ上げでした」
「そ、そうなんだ…」
語りつつ、自分の人差し指を見る。第二関節が大きく反り、また第一関節はむしろ関節通り折れ曲がっているためすんげぇ斜めなZ字に見える。昔僕はコレをヒーローに変身できる合図的なサムシングじゃないかと妄想していた。
(正義のヒーロー、スーパー
なんだか懐かしいような、寂しいような気持ちになる。もう何年もしていなかったが、この
「もちろん僕はコレを皆に見せびらかしましたよ。スーパーヒーローゼッ――…まぁ多少妄想も織り交ぜてね?」
「君にもそういう時代あったんだね…」
やめろ(黒い羽収納中)。
「それで、ですね?わくわくしながら友達にこの指を見せたところ、彼らの反応は満場一致でドン引きでした」
「まぁ…そうだろうね」
アッ、ヒドイッ!!
「そしてその日から、僕のあだ名は『指キモ野郎』になりました」
ひねりなさすぎだろ。もっと僕のあだ名のために時間使って考えろや。
「それは…キッツいねぇ……何歳のときなの?」
「『指キモ野郎』誕生の瞬間、僕はわずか8歳でした」
「うわぁ、ツラい…でも8歳の子の指がそんな風に曲がるのも…ちょっと怖いなぁ」
六道さんはまじまじと僕の指を見つめながら、ちょっとずつ顔の緊張が解けてきているように見えた。
「これと同じことですよ、六道さんの首のことも」
「え"っ」
あれ、めっちゃイヤそう。
指をもとに戻す。パキッと音がして骨が元の位置に帰ったような感覚がある。
「相手の気持ちを考えずに、まっすぐ斬りつけてくる奴は絶対数いる。からかってるつもりでも
何度か手をグーパーしつつ、地面の土から出てきた蟻を見ていた。
「六道さんにそんな目にあってほしくなかった」
そっと息を吸う。彼女の沈黙がどうしても空気を薄くする。
「それが、僕が貴女の首のことを隠した一番の理由です」
顔を上げて、彼女の目を見た。跳ね上がる心臓が溶けてしまいそうなほど、彼女はまっすぐこちらを見ていた。
はたり、瞳から涙がこぼれる。その美しさに息を呑んで、すぐに当惑した。
「あれ、泣い…傷つけたなら、ご、ごめんなさい…一応僕の気持ちをそのまま…」
「ちがう、ちがうの」
六道さんはがくりと頭を垂れて、小さく鼻をすすった。
「…ずっと、ずっとこんな首が嫌いで、気持悪くて…だから……君がわからなかった」
ひっくひっくとしゃくり上げながら、彼女はゆっくり話してくれた。
「私が、自分の体なのに、こんなに気持ち悪いって思ってるのに…君は、気味悪そうにしなくて、ただ、守って…くれて」
僕のは『守った』なんてそんな高尚なものじゃない。彼女の辛さを、恐れを、僕の尺度で勝手に測っただけだ。
震える肩に手を置こうとして、やめる。ぐっと拳を握りしめた。
「私を、ずっと傷つけてきたひとを否定してくれたから」
一呼吸置いて、続ける。
「それが…嬉しかっ、た……すごく、嬉しかった」
声の端っこが震えている。僕はただ話を聞くことしかできなかった。
「今まで、そんなふうに言ってくれるひとなんて、いなかったから」
小さく泣いている少女に伝えたい気持ちが、何度も喉元までこみ上げてきて、それでも上手く言葉にできなくて、――とりあえず、今なんとか脳みそまで到達した本心を。
「貴女が少しでも救われていたなら、本当に嬉しい」
六道さんはそっと顔を上げて、「うん」と笑った。目の端から溢れた涙が、ほんのり火照った頬を伝い落ちた。
ハンカチを手渡すと、彼女は「ありがとう」と言って目元を拭い、それから手櫛でちょっと髪を整えた。
「ハンカチ、洗って返すね」
ホントはそんなことしなくていいんだけど、美少女の涙付き(表現がキモい)って考えると、なんかそのままで受け取ろうとしたら犯罪のような気がするからやめよう。
彼女が立ち上がった。僕も続いて立ち上がる。
「うわ、結構泥ついてる」
そう言って彼女は白くて小さなひざこぞうをパッパッと払い始めた。が、なかなか落ちない。僕はズボンだから泥がそんなに目立たないが(目立っているのは新品の白スニーカー)、彼女は短いスカートから伸びる素足がもろに泥を受けたので、当人の色白さも相まって目立って見える。
「わー、やだなぁ落ちない。しかもなんかカッコ悪い柄みたいになってる……」
ヤバい、否定できない。このまま校庭に面している手洗い場まで行くのはただでさえ視線を集める六道さんにとっては羞恥プレイほかないだろう。
「あっ、そうだ!六道さん、さっきのハンカチ!」
「ハンカチ?」
「それ使って?水で濡らせばかなり落ちると思う」
僕は「嫌じゃなかったら」と付け足して脇においてある彼女持参の水入りペットボトルを指さした。
「えっ、水使うのはいいけど、君は?ハンカチで泥拭かれるの嫌じゃない?」
「全然気にしませんよ」
「えぇ~…そう?じゃあ借りさせていただきます…」
戸惑い半分彼女はスカートのポケットに入れていたハンカチを取り出す。それから再度僕に確認して、水をかけた。
「ごめんね、これおんなじやつ買って新品で返すよ」
「え?いやいやいいですよ!僕別に気にしませんし」
「いや気になるでしょ、自分のハンカチ、洗うとはいえ他人の膝の泥拭かれるのは」
「いいえ!大丈夫です!むしろそれがいいんです(激キモ)!」
「えぇ…(ドン引き)」
その後しばらく粘る彼女を説得して無駄な出費はやめてもらった。まぁそもそも六道さんとこで洗濯してもらって帰ってきたハンカチなんか普段使いできるはずがないんだけどね。
泥が綺麗に落ち、白い膝があらわになったとき、ちょうど予鈴のチャイムが鳴った。
「わぁっ、まずいまずい」
「急げー!」
僕が駆け出そうとしたとき、後ろの六道さんが僕を呼んだ。
「ねぇ!」
「はい」
くるりと振り返る。なんだかいつもより幼い顔立ちに見えて、大変かわいらしい。…が。
「りっ、六道さん!伸びてる伸びてるっ!」
「!?わわ、ごめん」
気が急いたせいかちょっと長めになっていた首がしゅしゅしゅと定位置に戻る。
「えっと、なんか変な感じになっちゃったけど…」
彼女が小さく恥ずかしそうに笑って、それから僕に一歩近づいて言った。
「私と!友達になってくれませんか!」
目を瞠る。一瞬脳みそが動きを止めた。
「………え、あ、僕が?」
「そうだよ、君しかいないじゃん」
「あ…えっと、」
戸惑ったけど、答えは決まってるよね。
「もちろん!喜んで!」
六道さんは華やかな笑顔を見せ、僕の隣に駆け足で並ぶ。
「じゃあ、行こっか!
…名前、知ってたんだ。
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