棲み潜む空腹:第七話

誰かがごくりと生唾を呑む音すら聞こえそうなくらいに、部屋の中が静まり返ってる。

軽いはずの砂糖がけビスカウトすら重たくて、胃にもたれちゃいそうな感じがするのは気のせいかしら?


「神と同一化って……そりゃあ、なんというか…………そいつの精神状態は大丈夫なのか?」

「端的に言ってダメでしょうね」

「あ~~~~~……」


ちらりと見上げた周さんも、向かいに座る虎落さんも……どちらも盛大に苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

……そりゃあ、ねぇ。友人が「自分は神になる(意訳)」とか言い出したら……そうなるわよねぇ。


「しかしまぁ、そんなことを言い出すきっかけは何なんだ? いきなりそんな妙ちきりんなことを言い始めたわけじゃないんだろう?」

「はい。ちゃんと登校していた頃は、夜通し本でも読んでいたのか寝不足で突拍子もない事をやることもありましたが、そんな妙なことを言うようなヤツではなかったです」

「確かに、平素から〝神になる〟っていう人が、平穏な人間関係を築けるとも思えないですしねぇ」


その米田さんとやらが日ごろから言動が危ない人だったら、虎落さんもここまで心配しないと思うし……。

また俯いてしまった虎落さんを前に、私と周さんは顔を見合わせて首を捻った。ほんの一瞬、周さんの瞳が金色に煌めく。


「となると、大学に来なくなった一か月半前に何かがあった……と考えるのが妥当だろうな」

「虎落さんのお話を伺う限り、契機はその辺りですよね」

「しかし、一か月半前かぁ……」


ここ最近の出来事を思い出そうとしてるのかしら。腕組みをしてうんうん唸り出した周さんの横で、私も必死で頭を巡らせる。

えーっと、えーーーっと……。

お野菜が値上がりした……のは、たぶん関係がないわね。路面電車の路線が先まで伸びた……っていうのも、ちょっと違うと思う。

怠病ひだるびょうのせいで外出が怖い、っていう話もちらほら聞こえてきてはいたけど……あら? そういえば、怠病自体が出始めたのって、確か一ヶ月くらい前からじゃない?


「――っっ、周さん!」

「雪ちゃん!」

「怠病が!」

十四階じゅうしかい近くで新しい興行が!」


ほぼ同時に何かを思いついたらしい私と周さんの声が…………揃わなかったのよね……。


「……………………え?」

「……………………あ、あれ? てっきり、あの賑やかしい一団の興行が始まったころだなぁ、と思ったんだが……」

「わ、私は、その頃に怠病の話がちらほら聞こえ始めた頃だなぁ、って……」


あらぁ……見事に話が分かれちゃったわ。

あの一団、ここ最近はここら辺でも宣伝を見かけるようになったけど、そんなに前から興行してたっけ?

……というか……。


「そういえば、あの一団の名前……何でしたっけ?」

「………………木蘭もくれん座……木蘭座です……!」

「あ! そうそう。そんな名前でした。虎落さん、よくご存じでしたね」


一座の名前を思い出そうとしたんだけど、宣伝の賑やかな音楽ばっかりが思い出されて、肝心要の名前がすっかり抜けちゃってたわ!

そんな私の疑問に答えてくれたのは、不意に顔を上げた虎落さんだった。

……あら、でも、木蘭座の名前を出した瞬間から、虎落さんの表情がさっきよりも強張ってる気がするんだけど……気のせいかしら?


「…………いえ。どうやら、米田もそこへ足繁く通っていたようなんです。朝草であった時に、そんなことを言っていたかと……」

「なんと……!」

「もしかしてもしかしなくても、何か関係があるんじゃないか?」


顔を強張らせたまま話す虎落さんの言葉に、私と周さんの頭の上で電球がピコンと光る。

様子がおかしくなったご友人さんが、足繁く通っている興行一座! これは確実に〝ナニカ〟があるでしょう!

……ただ、この推論に難点があるとすれば……。


「私たち、木蘭座でどんな出し物がされてるのか、さっぱりわかんないんですよねぇ……」

「それなんだよな~~~」

「虎落さんは木蘭座でどんな出し物があるのか、ご存じですか?」

「僕も、半分錯乱したような米田から木蘭座の名前を聞いただけで、具体的にどんなものがあるかまでは……」

「手がかりと言えば手がかりなんだろうが、圧倒的に情報が足りていないなぁ」


うぅん。溺れる者は藁をもつかむ、とは言うけど、まさか掴んだ手掛かりが藁以上に頼りなさそうだとは思わなかったわ。


「一度、木蘭座に行ってみます?」

「雪ちゃんが言うように、それが一番手っ取り早い方法ではあるかぁ」

「え、いや……っ、それは……皆さんが米田のようになってしまったらどうするんです!?」


百聞は一見に如かず、と思っての提案だったんだけど、虎落さんの慌てっぷりが半端ないわね。

まぁ、ご友人さんの変貌の一端に関わってるかも……っていう場所だから、警戒するのも無理はないのかも。

でも……もし木蘭座に行った人が「神になる!」とか言い出すのであれば、もっと大きな騒ぎになっても良いと思うのよね。

だから、行った人すべてがおかしくなる……というわけではないんじゃないか、って……。


「まぁ、兄さんが心配する気持ちはわかるしな。実行する前に、木蘭座について下調べはした方がいいだろう」

「え? 下調べ……って言われても……どうやって調べるんですか?」


周さんはいとも簡単に言うけど、旅の一座のことを調べるのに、何をどうしろって言うのかしら……。

これが夢の世界なら、板みたいなのをちょちょいとすれば、いろんなことを調べられたんだけどなぁ。あれは、すっごく便利なものだったわ。


「ま、その辺のことには当てがあるんだ。とりあえず、わかったことは共有しておきたいから、兄さんの連絡先を聞いてもいいかい?」

「あ、はい。僕の方でも、調べられそうなことに手を付けてみようと思います」


ふむふむ。色々と疑問は残るけど、あらかた話はまとまったのかしら。

住所の交換をする周さんと虎落さんを眺めながら、私はまだ皿に残ったビスカウトに手を伸ばした。

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