棲み潜む空腹
棲み潜む空腹 第一話
日めくりカレンダーをぺりりと捲るのが、私の仕事の第一歩になってどのくらい経っただろう。
そのたびに思うのは……。
「……
頭の中で、
たいしょうが十八年も続いてるなんてあり得ないような気もするし、そもそも〝大いに正しい〟と書いて〝大正〟だった気がするけど……。
まだきっと、あの妙に真実味がある夢の世界のことを引き摺ってるのかもしれない。
だとしたら、あんまり考えても仕方ないわよね、うん。
「ただいまぁ。いやぁ、どこもかしこも最近流行りの事件のことで持ち切りだなぁ」
少なくなってきた豆を買い足すと言って出かけていった周さんが、何とも元気のない様子で戻ってきた。
たくさん買ってこれるように、って風呂敷も持っていったはずなのに、パッと見た限り手ぶらに見えるんだけど?
「おかえりなさい、周さん。もしかして、豆屋さんお休みでした?」
「ああ。店主がいきなり倒れたっていうんで、急遽休店だとさ」
「あらぁ……」
意気消沈しきって戻ってきたなぁ……と思って当てずっぽうに言ってみたら、まさか当たるなんてねぇ。
私の勘もなかなかのものじゃない?
「……というか、もしかして店主さんが倒れた原因って……」
「それも、雪ちゃんの予想通りだと思うよ。最近流行りのアレだとさ」
「あぁぁ……最近流行ってますものね、
怠病とは、最近巷で流行ってる奇妙な現象のことだ。
突然身体中が怠く重たくなって身動きもできなくなるが、しっかり休養を取ってしばらく休めば元に戻る、というもの。
いつどこで起こるするかわからないし、誰がそうなるのかわからない。
極めつけは、何でそんなことになるのか原因すらわからないっていう……。
とりあえず、全身が怠くなるっていう症状から〝怠病〟とは呼ばれてるけど、死んだり重症になったっていう人もいないコレを病気と言っていいのかすらわからない、っていうね……。
あまりの不可解さに、病気じゃなくて憑きものじゃないか、っていう声もちらほら聞こえてくる。
「一部じゃあ、欧風熱の再来じゃないか……なんて話も聞くが、あれはひどい熱が出るもんだし……」
「怠病は、本当にただただ怠くなるだけですもんね。まぁ、動けなくなるくらい……って注釈が頭につきますけど」
「全然共通点はないよなぁ」
珈琲豆が少ないから、と。周さんが淹れてくれた特製の紅茶をちびちび飲みながら、私はうんうん首を捻る。
紅茶も美味しいし、お茶請けのクッキーも美味しいんだけど……なんだか今回も一筋縄じゃいかない事が起きる予感……!
妙な胸騒ぎを覚えつつも、どうしてもクッキーを頬張る手を止められないのがねぇ……我ながら意志が弱いと思うわ。
「……あら?」
口の中でサクサクほろほろと崩れていくクッキーを楽しんでいるうちに、窓の外が急に賑やかになった。
ちらりと視線を送ると、派手な幟を持った集団が鳴り物入りで往来を進んでいる。
「ああ。アレも最近よく見るよなぁ」
「新しくできた見世物小屋の宣伝ですよね?」
「
カップを置いた周さんが、ちょっと呆れたような顔で口を開いた。
なんでも、豆屋さんに行く道すがら、何度も遭遇したんだそうで……。そのせいもあって、もう見飽きた……っていうことらしかったわ。
それも、遭うごとに別の集団だったとか! だいぶ、大々的に宣伝してるみたいね。
……それにしても、朝草かぁ。
小さい頃に一緒に行ったのよ、って。お母さんが懐かしそうに話してくれたっけ。
その時に、十四階にも登ったらしいんだけど……全然覚えてないのよねぇ……。
お母さんとの貴重な思い出なのに、残念だわ……。もう少し早く物心がつけばよかったのに!
「もし良かったら見に行くか? どうせ豆が手に入るまで、店は休むつもりだったし」
「え……お休みにして大丈夫なんですか?」
「仮にも〝珈琲店〟を名乗ってるのに珈琲が出せないんじゃ、ちょっとなぁ……」
けらりと笑う周さんに、ちょっと拍子抜けした。
まさか、周さんがそこまで珈琲にこだわってるなんて知らなかったわ。
……よくよく考えれば、そこまで考えているなら複数の仕入れ先を確保しておくような気もするけど……そう言っておけば、私の罪悪感が薄らぐと思っての方便なのかも。
でも、周さんを見てると本気でそう思ってるようにも思えるし……。
うーん……本当に読めない人なんだから!
「伊吹は仕入れで明日まで帰らないし、文字通りの〝鬼の居ぬ間の洗濯〟でもしないか?」
「う……でも、留守番が……」
「小鬼連中もいる山吹堂は、並大抵の泥棒じゃ太刀打ちできいと思うぞ。ちょっと出かけるくらい大丈夫だって!」
それはもう悪い顔で笑った周さんが、私を誘惑する。
確かに、伊吹さんは昨日から泊りがけで仕入れに行ってるけど……!
小鬼さんたちがいるのも、並みの人より強いのも確かだけど……!
だからと言って、そうホイホイ出歩くのは抵抗が……。
「ダメか? オレは、雪ちゃんと遊びに行きたいなぁ?」
小首を傾げて可愛い子ぶりながら、周さんがキュルンとした目で私を見つめる。
う゛っっ……! そんな目で見られると、断る方が悪いような気になってくるんだけど……!
ちょっとあざといが過ぎないかしら?
「わ、かりました……行きましょう……!」
目力の威力ってすごいのね……。
周さんの懇願の前に、私は〝承諾する〟という選択肢しか残されていなかったわ……。
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