二月十四日②

 俺は職員室を覗きに行った。

 担任の芦崎あしざきはいた。その隣に西銘にしなもいた。ふたりとも国語教師だから隣り合っている。

 同じようにスーツ姿なのにこのふたりの違いは歴然だ。

 芦崎は二十五は超えているが三十にはいかないくらいの歳だと思う。

 職員室にカジュアルな格好の教師が多い中、芦崎はいつも紳士服専門店の女性コーナーに飾られているようなスーツを着ていた。それも毎日微妙に違うスーツ姿だから何着も持っているのだろう。

 要するに教師としてそのスタイルが適切だと考えているのだ。

 誰の目にもお堅い女教師じょきょうしに映る。

 一方の西銘は、ほぼ毎日同じスーツだ。多分二着くらいしか持っていないのではないか。タイツの色を黒にしたりベージュにしたりして変化をもたせていた。

 スカート丈は膝上ミニで、三センチくらい長さが異なることがあるから二着はあると俺は思ったのだ。

 スカートをいろいろ変えても必ず測ったように膝丈の芦崎とはそこが違う。

 おそらくは西銘にとってスーツは制服のようなものなのだろう。新任だという自覚があるから身につけているに過ぎない。

 それでも俺は、西銘が新人の謙虚な気持ちを携えて教師という仕事をしていると思っていた。それが三学期になってから徐々にその認識を改めないといけないと思うようになった。

 俺はふと、西銘が芦崎の目の前で蒔苗まかないにチョコを渡したのではないかと思った。もしそうならそれは天然ではなく計算ずくでしている。

 これまで気にも留めなかったが最近の西銘の言動を見ていると男をたぶらかすばかりが目につく。

「芦崎先生」俺は芦崎に声をかけた。

鮎沢あゆさわ君、どうかしたの?」

「クラス希望のことですが――」

「まだ書類が出ていなかったわね。迷っているの?」

「迷うというか、何にもわからないもので」

「将来が思い描けないのね。鮎沢君のおうちは建設関係だったかしら」

「じいさんと叔父貴おじきは大工やってますけど、俺はやる気ないです」

「そう……何かしたいことがあるのね?」

「いいえ、全然」

「趣味は?」

「ないです」

「何にもないの?」

「バイクで出かけたりするのは好きですが」

「部活してなかったよね。学校が終わったら何をしているの?」

「たいていバイトです。ファミレスの調理補助とか接客」

「ここではなんだからあちらで話を聞くわ」

 俺は芦崎に誘導されて職員室隅の面談コーナーに移った。

 移動する際、西銘の様子窺う。

 西銘は机の上に視線を走らせていたが聞き耳を立てている、と俺は思った。

 注意して見ると、西銘の視線は走ってはいなかった。不自然なくらい視線が止まっている。

 西銘は好奇心旺盛で情報収集が好きなのに違いない。

 目が止まっているとき、西銘は俺と芦崎の会話を聞き取ろうと集中しているのだ。

 さらに、俺が芦崎と話をしている途中、西銘は何度かお茶を飲む用意をしたりして近くを通りかかった。

 自分でわざとらしい行為だとは思わないのだろうか。

 だから俺は芦崎と進路相談という名目の、のらりくらりとした不毛な会話を続けた。それで西銘がどう動くのか興味があった。

 もっとも、俺に将来像がないことは嘘ではなかったが。

「とりあえず文理混合クラスにしておきます」俺はようやく締めくくった。

 はじめから一言で済む話だった。芦崎と西銘の様子を窺うために来ただけなのだ。

「まだ二年あるのだから将来のことはじっくりと考えてね」芦崎は優しく微笑んだ。

 そこへ、どこに見回りに行っていたのか蒔苗が戻ってきた。

 上着が膨らんでいるのはご愛嬌だ。野暮は言うべきでない。

「なんだ鮎沢、いたのか?」

 俺の姿を見つけて蒔苗は俺を無視できなかった。そこに芦崎がいたからだ。

 本当は早く自分の机に戻ってポケットの中のものを鞄などにしまわなければならないはずだった。

「ちょっと進路相談に」俺は曖昧に答えた。

「こいつは理系ですよ」蒔苗が芦崎に言った。「数学教師になるのです」

「まあ、それは頼もしい。先生の御墨付きなら間違いありませんね」

 芦崎が嘘を言うとは考えられないので、本当にそう思ったのだろう。

「俺、数学はいつも赤点ですけど」

 俺が言うと、少し離れたところにいた西銘がプッと噴き出した。

「お前は難問しか手を出さないからな。このへそまがりめ」

「爪を隠しているのね、鮎沢君」芦崎が目を細めた。

「んなことないですよ、では俺はこれで」

 俺は職員室を後にした。まだ少し時間がある。そう思った俺は生徒会室へと足を向けた。

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