第29話 ホテル爆破
モーリスと合流したミュリエルとフィンは、アンドレとエクトルを伴って、待機していた輸送機に乗り込んだ。
ミュリエルたちが現場に到着したとき、ホテルの西側の建物が倒壊し——中央の建物の1階で火災が発生していた。
燃え盛る炎を消そうと、消火栓にホースを繋ぎ、従業員らしき男たちが、炎に向けて水をかけ続けていた。
ホテルは森に囲まれているうえに、火災の発生で煙が、あたり一帯に立ち込めている。パイロットは輸送機が着陸できる場所を、見つけられ無かった。
「ホテルの周辺は、森に囲まれているため、着地地点がありません。降下してください」兵士はミュリエルたちにそう言い、ハーネスを素早く身につけさせた。
「は?降下って何⁉︎飛び降りろってことか?」フィンはパニックで声がうわずった。
「当たり前だろう。どうやって降りると思ってたんだ」モーリスがフィンの背中をバシバシと叩いて、大笑いした。「まさか、お前、こんなことでびびってるのか?情けない奴だな」
「びびるに決まってるでしょう!飛行機に乗ったのも初めてなんだぞ!」
「俺なんか、何度も飛び降りたぞ、戦争時代にな。ロープなんて使わずに飛び降りたことだってあるぞ」モーリスが自慢するように言った。
「だからって、もういい年なんだから、調子にのらないでくださいよ。結婚式に父親不在なんてことになったら、洒落になりませんからね」耳を
「ははは!任せとけ。このくらいへっちゃらだ」モーリスは意気揚々と空中へ飛び出していった。
「ミュリエル薬師、私がお連れします」兵士はミュリエルに手を差し出した。
「ありがとうございます。ですが、私は1人で大丈夫ですので、フィンさんを、お願いします」
「お名前は?」フィンは、ミュリエルに差し出された兵士の手を、両手でがっしりと握った。
「えっと、アラン・シャミナード上等兵曹です」
「シャミナード上等兵曹、よろしくお願いします!」
フィンの勢いに押されて、シャミナードは一歩、後退りしようとしたが、フィンに引き寄せられた。今からキスでもするのかというほどに近づけられた美男子の顔に、シャミナードはドギマギした。
「わ、分かりました。それでは、降下します。金具をここに引っ掛けて下さい」
フィンは言われた通りに、金具を引っ掛けた。
「今から私が言うことを覚えてください」シャミナードは、指を一本ずつ立てながら言った。「地面が近づいたら、この金具を外す。そして、飛び降りる。その場から走って離れる。やることは、この3つだけです。いいですね?」
「よくない!よくない!全然よくない!無理だろこれ!」
シャミナードが困ったように、チラリとミュリエルを見た。
「どうぞ気にせず、連れて行ってください」
「——はい、それでは」兵士はフィンの体に腕を巻き付け、空中に強制落下した。
「うわぁぁぁーーーーーーー、ミュリエルゥゥゥーーーーー」
フィンの叫び声が遠くなると、ミュリエルがアンドレに言った。
「フィンさんが心配ですので、先に行かせていただきます」
「ああ——ミュリエル。本当にあいつでいいのか?」
「フィンさんは、ああ見えて強いですよ」そう言って微笑み、ミュリエルは降下していった。
「そうか?随分びびってたぞ、俺も初めて飛び降りたときは、それなりにびびったけど、あそこまでじゃなかった。どこが強いんだ?」アンドレは首を捻った。
「どうぞお先に」エクトルが言った。
ミュリエルに続いて、アンドレとエクトルも降下した。
別の輸送機からも、兵士が続々と降りてきた。
火災が発生している場所から爆発音が上がった。
「駄目だ、駄目だ。今すぐ消火栓を止めろ!」兵士が叫びながら、消化活動をしている人たちのところへ、走って行った。
「水に火が反応してる?」地面に足がついたことで、落ち着きを取り戻したフィンが言った。
シャミナードが答えた。「そのようです。引火性の物質が燃えているのでしょう。水は逆効果です。水をかけると、余計に火が勢いを増し、燃え広がります」シャミナードは無線機を使って輸送機と通信した。「消火剤を落としてください」
無線機から返事が帰ってきた。「了解」
上空を旋回する3機の輸送機から、消火剤の入った巨大なタンクが降ろされた。
「鎮火が確認できるまで、建物には近づかないでください。いつ爆発するか分かりません」シャミナードはそう言い、タンクにホースを手際よく繋いだ。
ミュリエルたちは、先に到着していたマドゥレーヌと合流し、避難してきたホテルの従業員や、宿泊客たちを、海軍が臨時で構えてくれた救護所へ誘導した。
その間、一度現場を離れていた2機の輸送機が戻ってきて、消火剤のタンクを、再び降ろした。
航空母艦に戻って、消火剤を積み込んできたのだろうと、ミュリエルは判断した。
また大きな爆発が起き、ミュリエルはそちらを振り返った。
エントランスの、大きな階段の最上段に、人影が見えた。
プラム色のドレスを着た60代後半の女性が、フラフラとした足取りで、階段を降りようとしている。
彼女が足を踏み出すのと同時に、体が前にぐらりと傾いた。
ミュリエルは咄嗟に、精霊シルフを呼び覚まし、マジックワンドで風を操った。彼女の体を風で受け止めると、ホテルに向かって全速力で走り出した。
「ミュリエル!」フィンは、突然走り出したミュリエルの後を追った。
階段を数段飛ばしながら駆け上がったフィンは、ミュリエルを追い抜いて、彼女の体を抱き止めた。
フィンは彼女の体を、しっかりと抱き止めたとき、彼女の体が濡れていることに気がついた。プラム色のドレスで遠目には分からなかったが、彼女のドレスは、血でぐっしょりと濡れていた。
炎の勢いが、消火剤によって弱まった隙を狙って、血を流しながらも、助けを求めて建物から出てきた彼女は、手すりを掴もうとしたが、腕が無かったせいで、体が傾いたのだ。
階段を駆け上がってきたミュリエルは、魔法で切れた血管を塞ぎ、意識が混濁している彼女を、フィンが背に背負うのを手伝った。そして、2人は急ぎ、救護所へ戻った。
「ああいうところが、ミュリエル嬢が言う、フィンの強さではないでしょうか?」エクトルがアンドレに言った。
「ああいうところとは?」アンドレが訊いた。
「フィンは、ミュリエル嬢の強さを知っています。だから、助けに行く必要はありません。モーリスさんのように、ここで、ミュリエル嬢が戻ってくるのを、待てばいいだけです」エクトルがモーリスに視線を向けた。モーリスは、ミュリエルが助けに行った女性の、治療用具を準備しているところだった。「ですが、どんなに危険な場所でも、フィンはミュリエル嬢についていく。躊躇することなく。命を惜しくないと思っているのか、それとも、ミュリエル嬢のためなら、死をも厭わないと思っているのか……」
「後者だろうな」モーリスが笑いながら言った。「あいつは、ミュリエルが行くというのなら、そこが煉獄だとしても、喜んで乗り込むさ」
モーリスはフィンの背から、彼女の体を受け取り、フランクール軍が提供してくれた簡易ベッドの上に乗せ、傷口を消毒し縫合した後、右肩に包帯を巻きつけた。
マドゥレーヌがミュリエルに詰め寄った。
「あなた、何してるのよ!ホテルには近づくなって言われたでしょう!なのに、火に飛び込んで行くなんて、馬鹿なんじゃないの⁉︎爆発したらどうするのよ……」マドゥレーヌは怒りながら涙を流した。
「ごめんなさい。心配をかけてしまいました」ミュリエルは人を慰めたことがなくて、どうしていいやら困惑した。
マドゥレーヌは泣き濡れた顔に、怒りを滲ませた。
「心配なんかしてないわよ!言ったでしょう!あなたがマルセルで死んだら、全国民からマルセルが恨まれるのよ!」
「ごめんなさい」ミュリエルは泣きじゃくるマドゥレーヌを、そっと抱きしめた。「大丈夫。私は死にません。あなたの言う通り、私はたくさんの隠し事をしています。私は誰よりも強い。爆発に巻き込まれても死なないほどに。だから、心配しないでください」
「心配なんかしてないって言ってるでしょ!」
「はい、怖がらせてごめんなさい」ミュリエルはマドゥレーヌを座らせた。「落ち着けるポーションを飲みますか?」
「いいえ、要らないわ。ちょっと驚いて取り乱しただけよ」マドゥレーヌは、ふんっと鼻を鳴らした。
ミュリエルに初めての女友達ができたようで、フィンは嬉しく思った。
「なあ、気になってるんだけど、引火性の物質ってことは、ガソリンとか、そういった類いの燃料だろう?ホテルの1階——ってことはフロントだよな、そんなところに引火性の物質なんて無いんじゃないか?犯人が故意に液体燃料を撒いて、火をつけたってことだろ?」
「倒壊しているのは西側の建物だけで小規模だ。おそらく本館であろう建物には火をつけただけで、爆破はしなかった。被害者を大勢出したいのなら、爆弾を仕掛ければいいだけだ」アンドレが言った。
「爆弾を仕掛ける際にミスをしたのでしょうか?それで、証拠を隠滅するために火をつけるしかなかった」エクトルが言った。
「しくじったのか、本懐なのか、何にしろ、火をつけた理由が気になるな。その理由が、燃え残ってくれるといいんだけどな」フィンが言った。
『キング・アレクサンドル・ホテル』は、マルセル有数の高級ホテルだ。生涯一度でいいから、ここに泊まってみたいと思う貴族も少なくない。それほどに、宿泊料がバカ高い。
よって、宿泊客は大金持ちに限られる。だが、救護テントにいる人々の大半が、どう見てもホテルの客に見えない。啜り泣きが聞こえるなか、ミュリエルは、燃え盛るホテルを、茫然と見つめる40代後半の男に質問した。
「皆さんは、ここの従業員ですか?爆発があったとき、どちらにいらしたのですか?」
ミュリエルに声をかけられた男は、はっとしてミュリエルを見た。「私はこのホテルの従業員で、ポールといいます。ここにいる者の大半が、ホテルの従業員です。爆発があったとき、俺たち遅番の者たちは、ちょうど出勤してきたところで、従業員の休憩エリアがある、北館の地下にいて無事でした。ブリス、お前たちはどこにいた?」
ポールからブリスと呼ばれた30代前半の——頭に包帯を巻かれ、左足をギプスで固定されている——男が答えた。「俺たちは本館で、客室を担当してた。客室に残っているお客様を誘導して、避難しようとしたんだけど、火がすごくて1階に降りていけなかった。だから、2階から壁伝いに降りるしかなくて——そしたら、骨が折れちまった——そのあと、壁に梯子を立てかけて、お客様には、梯子を降りてもらった」
軽傷か無傷の人たちは、北館から避難した従業員で、おそらく逃げている時に転んだのだろう。本館から避難してきた従業員や宿泊客は、爆風を受けたはずで、切り傷や、打撲、骨折が多いのだろうと、ミュリエルは推察した。
「倒壊しているのは、西館ですか?」
ポールが答えた。「そうです。それで、火が出てるのが、ホテルの本館です。無事なのは東側にある旧館と、本館の奥にある北館です」
「旧館に人はいるか?」アンドレが訊いた。
「いいえ、旧館には誰もいないはずです。老朽していて危険だからと、立ち入りが禁止されています」ポールが答えた。
「西館と本館は、この時間、何人の人がいたか分かりますか?」フィンが訊いた。
「今日は、国の要人が集まる大事なパーティーがあって——と言っても、今は第一線を退いた方たちの集まりなんですが、毎年この時期に、このホテルで開催されるパーティーで、参加者約100名と、一般のお客様が10名ほど宿泊されていました。それから……従業員が」男は奥歯を噛み締め、泣かないよう堪えた。
声に詰まったポールに変わり、ブリスが答えた。「今晩、西館と本館で働いていた従業員は56名、キッチンで働いていた従業員は37名です。キッチンで働いていた37名は、全員避難しましたが、本館と西館で働いていた者のうち、11名の避難を確認できていません」
「パーティーに参加していたお客様の何人かが、まだ会場にいたと思います。なかなか客室に戻ってくれないから、片付けられなくて困るって、ヴァネッサが愚痴をこぼしてたんだ。その後、彼女を見てない——会場で給仕をしてたんだと思う」同じく従業員と思しき、20代前半の男性が、とめどなく流れる涙を拭いながら答えた。
「パーティー会場はどこですか?」ミュリエルが訊いた。
ブリスが指をさして言った。「あそこです」
ミュリエルはブリスの指がさす方へ視線を向けた。そこは、火災が発生している場所だった。
もしも、本館の1階にいたのならば、生存は絶望的だ。轟々と燃え盛る火の中、九死に一生を得るとは、到底思えない。
それでも、ここにいる全員は、同僚の生存を祈っているのだろうと思うと、フィンの胸が締め付けられた。
「それじゃあ、この女性も要人か、それに準ずる貴婦人ってことか?」モーリスが、右腕を無くした女性に視線を向けた。
「どうだろうな。爵位を継承している男性ならば、把握しているが、夫人となると……」アンドレは見た覚えが無いと、首を横に振った。
ミュリエルは見覚えがあるだろうかと、黙考してから言った。「隠居された方は、あまり大きなパーティーに列席されません。小規模な、親しい友人とのパーティーが、多いのだと思います。私は王子殿下が参列しなければならないような、大規模なパーティーに、パートナーとして参列していただけなので——見覚えは無いと思います」
マドゥレーヌは、少し自信のなさそうな声で言った。「——私、見覚えがある気がするわ。ご本人にお会いしたわけじゃなくて、肖像画を見たのよ。ヌフシャトー前伯爵のご夫人に、似てる気がするわ」
「ヌフシャトー前伯爵は、確か、5年前に亡くなったはずだ。今は甥が伯爵位を継承している」アンドレが言った。
「第一線を退いた要人のパーティーが催されていたとするならば、ヌフシャトー前伯爵が、お亡くなりになられているから、夫人が代理で、列席されたのでしょうか」ミュリエルが言った。
「そう考えるのが妥当だな。ヌフシャトー前伯爵は、貴族院議長を長年務めていた。重要人物だ」アンドレが言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます