新年の日記をちょっとだけファンタジーにしてみる

玄栖佳純

第1話 大晦日

「このままでは年が越せない」

という言葉を聞いたことがある。

 やろうとしていたことができない時に使う言葉。たとえば、年内の大掃除が終わらなかった時などに使ったりする。


 大丈夫。掃除が終わらなくても時は止まらない。だから放っておいても次の年は来る。掃除が終わらなくても、困ることはない。気分が悪いだけ。必要最小限の自分が動く場所くらいが綺麗になっていれば、いいのではないか。たぶん。


 スプレーかけて、置いておいた部分くらいの掃除をすれば、後は寝ても良いんじゃないか。三が日は掃除をしないとか刃物は使わないとかあるらしいけど、気にしなくてもいいんじゃないか。


 昔おばあちゃんに言われた。

「三が日にお金は使わない方が良い。使うと一年間、お金を使い続けることになるから」


 このことから類推すると、三が日に掃除をすると、一年間、掃除し続けることになるということなのではないか。でも、掃除あんまりしないタイプだから、三が日に掃除をすれば、一年間、掃除をし続けることができてむしろよいのではないか?

 今のご時世も、お金を貯め込むのではなくて、使った方が世のため人のためになるらしい。でもそのお金がないから使えないの悪循環。


 聞く話によると、三が日くらいは休めということらしい。おせち料理もそのために作るとか。でも、今年はなにひとつ作っていない。いつもは黒豆とか煮てるのに。黒豆はまめまめしく働けらしい。

 なんか時間が取れなかった。でもゲームやアニメを観る時間はある。心の平穏を保つために大切な時間である。誰が何と言おうと。


 他人に批判する人がうるけれど、余計なお世話とたまに言いたくなる。「叱ってもらって嬉しい」ということを聞くけれど、叱られたら嫌な気分になる私はどうしたりい? ストレスたまって白髪が増えて寿命が縮むと思うんだけど。

 それともお前のような奴は苦しんで死ねって言いたいのか?


 怒られるとそういう気持ちになるのに、どうして叱る人が正しくなるんだ? 正論が正しいとは限らない。『相手のためを思ってあえて悪人になる』ホントにその人のためになっているのか? ただ自分の気持ちが収まらないから八つ当たりしてるだけの場合だってあるだろう?

 あえて悪人にならずとも、悪人はこの世に山ほどいるのだからムリして増やさなくてもいい。


 大晦日でどうしてそんな話になるのか。

 一年の終わりの月の最終日に、理由もわからずに実行している習慣がなんと多いことかと思った。それが言いたかったような、そうでないような。


 言いたいことが決まるまで、なんとなく続く。

 次は2024年に。


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