第29話 イチャイチャという名の筋書き

 アルベールの淑女しゅくじょのような振る舞いには参った。


 潤んだ目で見上げられ、すがってくる様に、ディアンは悩殺された。


 お陰で理性は崩壊寸前。身体の熱は上昇し続け、鼓動は最高潮まで高鳴った……はずだったのだが。


 自室に戻ったディアンは、いつものアルベールの姿になぜか安堵してしまう。ソファーに身を横たえ、だらしなく足を肘かけに乗せているというのに。


(この姿にほっとするとは──すっかりアルベールに飼い慣らされた気分だ)


 ディアンはアルベールのそばに歩み寄り、「足をずらすぞ」と声をかけ、自身は肘かけに腰を下ろす。


「兄上の印象はどうだった」


「う~ん、オーランドは、緻密ちみつな策を練るような人物には見えなかったな~」


 腕を組み、目を閉じたままのアルベールが口を開く。


「言われてみれば、俺に対する嫌がらせは、どれも幼稚なものばかりだった気がする」


「たとえば?」


「兄上より賢くならないように勉学から遠ざけられたり、部屋から出さないよう使用人に命令したり。監視される日々を、余儀なく送らされていた。他には……顔に悪戯書きされたり、髪を短く切られたこともある」


 当時を思い出し、ディアンは顔を顰める。


「ははっ、容姿に対する劣等感れっとうかんすごいな。それにしても、父親である国王は、助けてくれなかったのか?」


「父上には言わなかった。兄上に屈伏させられたようで嫌だったからな」


 母親の立場が悪くなるのではないか。子ども心に、そんなことも考えていた。


「そうか、ディアンらしいな。ちなみに、オーランドの妃はどんな人だ?」


 目を開けたアルベールが、興味津々で尋ねてくる。


「兄上は……まだ独り身だ」


「え? もう三十を過ぎているだろう」


 王族にしては珍しいと、アルベールは首を傾げる。


「婚約者はいたのだが……まあ、いろいろあってな」


 言葉を濁すが、アルベールは追求の手を緩めてはくれなかった。


「いろいろねぇ~。オレが思うに、顔のいいおまえに色目を使ったってところだろう?」


「なっ──⁉ アルベールは、未来だけでなく過去まで見通せる力があるのか!」


 ディアンは驚愕きょうがくの表情を浮かべる。


「え、まさか、モーリスに言ったことを、今まで信じていたのか? そんな力あるわけないだろう。ちょっとした推測をしただけだ。新たな推測もあるけどな」


 オーランドが容姿にこだわる理由がわかったと、アルベールは満足顔だ。


 ディアンとしては、あまり思い出したくない出来事なのだが、アルベールはその後どうなったのかと好奇心を覗かせる。


「散々だったぞ。憤慨ふんがいした兄上は婚約を破棄。俺はますます邪険にされ、とどめは無学なまま貴族学院に追いやられたのだから、いい迷惑だ」


 勉強にはついていけず、作法までなっていないと大恥をかく羽目になった。とはいえ、貴族学院にいる間は、自由だった。監視されることがなかったからだ。


 女遊びも、そこで覚えた。アルベールには言えないが。


「そのお陰で兄様と親しくなれたのだから、いいではないか」


「まあな。ジェラルドには随分助けられた。それにアルベールとも出逢えたのだから、よしとするか」


「それでいい。いつまでも根に持っていては、オーランドと一緒だからな」


「一緒とは?」


「オーランドがディアンに拘るのは、もう負けたくないという思いからのような気がする。王位にしても、その辺りが絡んでいるのかもしれないな」


 国王ならば、ディアンに勝てる。


 そう思っているのではないかと、アルベールは言う。


「ただでさえ公務がとどこおっている兄上では、国王になったところで、俺に勝ったとは言えないと思うが」


「ダリウスが裏でかじを取るつもりなのだろう。オーランドは体のいい隠れみの狡猾こうかつだったのは、ダリウスのほうだったようだな」


「そうなると、アルベールの変わりようを、ダリウスがどう捉えるか」


 そう易々と、だまされてはくれないだろう。裏がありそうだと、探りを入れてきそうだ。


 アルベールも、その辺りを懸念けねんしているのだろう。身を起こし、人差し指で額をトントンと叩いている。


「よし! しばらくイチャイチャして過ごすか」


「は……?」


 考えを巡らせての、この策。


 意味不明で、ディアンは困惑顔だ。


「おい、どこに行こうというのだ」


 突然立ち上がったアルベールは、軽い足取りでドアに向って歩き出す。


「まずは観光だ。昼食も、外で食べよう。屋台はあるのか? ほら、行くぞ。王都を案内してくれ」


 振り返ったアルベールの顔は、祭りに向かう子どものような無邪気な笑顔だった。


        ◇◇◇


「海産物ばかりではないか──しかも、値が張りすぎだ」


 アルベールに乞われ、市場を案内していたディアンは、想像以上に活気の失われている現状に気持ちが焦る。


 他国から仕入れた穀物の大半は、王族や貴族の元へ流れているのだろう。これでは貧民街の住人は、すさみ痩せ細る一方だ。


「うわー、なんだこれ? 見たことない魚だ。こっちの貝も、変な形。亀の手みたいだな。店主、これとそれ、十づつくれ」


 憤るディアンとは裏腹に、アルベールは純粋に買い物を楽しんでいた。


 フランターナ国は海からはほど遠い。海産物が珍しいのだろうが、自国から持ってきた金貨を惜しげもなく使っていく姿に心配になる。


「もうその辺りでいいのではないか」


 マルクスの背負うかごは、食べ物でいっぱいだ。こんなに買って、アルベールはどうしようというのか。


「そうだな。マルクス、わかっているな」


「はい、心得ております」


 二人の会話は、ディアンにはまったく理解できなかった。


「マルクスはどこへ行ったのだ」


 自分たちから離れていくマルクスの背を見つめ呟く。

 先に王宮へ戻るのだろうか。


「貧民街だ」


 その一言で、ディアンは気づく。『ディアン王子からの差し入れだ』と言って、貧民街の民に渡すつもりなのだと。


 アルベールは自分が嫌われていると知っている。そんな彼が、自分からの差し入れだと言うはずはない。


「アルベールは、素敵な人だ」


 ディアンは眩しいものでも見るように、目を細めた。


「なっ、なんだよ急に。そんなに見るな。あっちを向け!」


 うっとりと向けられた眼差しに、羞恥が増したアルベールは、かかとに力を込めディアンの足の甲に押しつけた。


「うっ! ──イチャイチャしても、いいのではなかったのか?」


 靴の上から足を摩りながら苦情を言うと、アルベールは知らん顔を決め込む。


「さて、用は済んだ。帰るぞ、ディアン」


「はいはい」


 鼻歌交じりで歩き出すアルベールを、忠犬のようにあとを追うディアンだった。

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