第23話 アルベールの誤算
変だ。明らかに様子がおかしい。
活気を失った夜の町に、ディアンは不安を覚える。どの酒場を覗いても、店の半分も客が入っていない。以前は溢れんばかりで、店の外にまでテーブルが用意してあった人気店でさえも。
「お、お父さん、あそこを見てください」
傍らに立つマルクスがぎこちない。まあ、それも当然だろう。呼ばれる自分も、妙な気分なのだから。
アルベールから、町にいる間は名前を呼ぶことを禁じられたのだ。顔は布で覆っているとはいえ、ディアンと言えば、国民の誰もが知っている名だからだ。
だからと言って、『お父さん』はないだろう……。
「うん? どこだ」
マルクスの指し示す先を辿り視線をやると、小さな子どもが店から出てきた客に物乞いをしていた。兄妹だろうか。手を繋ぎ、恐る恐る手を出している。
「あっちへ行け! 他人にくれてやるものなどない!」
身なりはそこそこの男だが、子どもを怒鳴りつけ手を払い除けている。
「ひどいことをする」
ふらついて尻餅をついた子どもを足蹴にし、男はさっさと行ってしまった。
「殺伐としていますね……」
マルクスの呟きは、ディアンの胸に
王都の都心でこうなのだ。自分が幼いころ住んでいた小さな町は、今どうなっているのか。そして貧民街の子どもたちは、生きているだろうか。
「あの子たちの元へ、行ってもいいですか」
呆然と立ち竦むディアンだったが、マルクスの一言で我に返る。
「行こう」
立ち止まっている場合ではない。自分は、この状況を打破するために帰ってきたのだから。
◇◇◇
暗い夜道を照らす、小さなランプの炎。
繁華街から逸れ、裏路地を進んで行くと、長屋が建ち並ぶ一画が見えてくる。
「お兄ちゃん、もうすぐ着くよ」
ディアンの前を歩く三人は、仲良く手を繋ぎ微笑ましい。
孤児院で慣れているのか、マルクスは子どもの扱いが上手だ。すっかり打ち解けている。
(それにしても、気の毒なことだ)
先ほど助け起こした兄妹から事情を聞いたディアンは、放っておけなくなり、家まで送り届けることにしたのだ。
その事情は切実で、この国の現状を突きつけられたような気がした。
改めてディアンは、王族としての責任の重さを感じる。
(この子たちのためにも、俺は王となり、国の在り方を変えていかねばならない)
寝床から起き上がれなくなった父親のために、食べ物を求め酒場にやってきたという幼い兄妹の背を見つめる。
(勇気がいっただろうに)
父親に元気になってほしいという一心で起こした行動は健気で、今の自分の無力さが腹立たしくなる。
「ここだよ。──お父さん、お客さん!」
開かれたドアの向こうには、簡素なベッドに横たわる父親の姿があった。
ランプに照らされた顔は青白く、頬は
ディアンは悔しさから、グッと奥歯を噛み締める。これが、トシャーナ国の今の姿なのだと。
「水をどうぞ。パンもありますよ」
駆け寄ったマルクスは、父親の背中に手を当て身体を支えてやっている。
(打ちひしがれている場合ではない。受け止めなければ)
ディアンも歩を進め、父親の傍らに膝をつく。
「私は旅の商人なのだが、この国はどうしてしまったのだ? 以前はここまでひどくなかったと思うが」
水を飲み干し、パンを半分ほど口にした父親は「生き返ったようです」と礼を述べたあと、「実は……」と項垂れてしまった。
◇◇◇
アルベールが宿に戻ったとき、ディアンの姿はまだなかった。
「考えを整理したい。しばらく一人にしてくれ」
セオドアと別れ、宿の庭に出たアルベールは、座り心地のよさそうな大岩に腰を下ろす。
両手を後ろにつき身体を反らせると、夜空には満天の星が瞬いていた。
「星は変わらず綺麗だな……あっ! 流れ星」
人間の心が廃れ汚れても、星は輝き光を届けてくれる。
「どうすれば、ディアンをこの国で輝かせてやれるだろうか」
酒場で聞き知ったことは、あまりにもディアンにとって
(やられた、先手を打たれていたとはな──)
誤算だ。まさか、ディアンが国を出たあとに、あのような噂を流すとは。
ディアンの兄オーランドは、頭の切れる男だったようだ。暗殺をしくじったとしても、帰る場所をなくせばいい。そう考えての策──。
(くそ、うまく利用された気分だ)
フランターナ国でのディアンの好評判。まさかそれが、トシャーナ国で事前に流されていた噂の信憑性を、高めることになろうとは。
「今に見てろよ。絶対に許さないからな」
よりにもよって、フランターナ国に汚名を着せるとは。
意気込むアルベールだったが、現国王が次期国王を指名するまで、あと二月もない。巻き返しを図るには、ぎりぎりだろう。
「どんな男なのだ、オーランドとは」
自分の知識にある男とは、やはりかけ離れているようだ。
そんな相手を前に、どう戦うか。
アルベールの挑戦が始まった。
◇◇◇
人から向けられる負の感情。
それらがこれほど、心に傷を負わせるとは……。
病に伏せる父親の目から感じた、第三王子ディアンに対する憤りと嫌悪。
再び酒場に戻り、幾人かの民に話を聞いたが、皆が皆、第三王子に悪感情を抱いていた。
(アルベールはこの感情を、ずっと一人で背負い耐えていたのだな)
自分も負けるわけにはいかない。それに、自分にはアルベールがいてくれる。これほど頼もしく心強い人間は、他にはいない。そこに愛まであるのだから、最強だ。
「やってやろうではないか。首を洗って待っていろ、オーランド」
決意を新たに、マルクスと共に宿への帰路を急ぐ。
そんな勇ましい姿を、朗らかな笑みを浮かべてマルクスが見ていたことを、ディアンは知る由もないのだった。
◇◇◇
「なんだ、落ち込んでいると思ったが、案外元気だな」
宿で顔を合わせたアルベールがあっけらかんと放った言葉は、ディアンを慮ってのものだろう。重い空気にならないようにと。
自分が聞いた内容は、当然アルベールも聞き知っているはずだからだ。
「慰めてくれる気があったのか? だったら、暗い顔をして帰ってくればよかったな」
キスしてもらえる機会を逃したと残念がると、ふっとアルベールが微笑を浮かべる。その表情は優しく、労りを感じた。アルベールだからこそ、今のディアンの心情を理解できるのだろう。
「お互いの情報交換をしようか」
ディアンは胸を張り、皆を促した。
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