第15話 触れ合う唇と誤解
テーブルにうつ伏せ、すっかり寝入ってしまったアルベールを前に、ディアンは途方にくれていた。
何度も肩を揺すったが、起きる気配はない。
「セオドア、どこか宿を取ってきてくれないか」
城までの道のりを考えると、大の大人を担いで歩くのは自分とて厳しい。
「かしこまりました。直ちに行って参ります」
商人が集う酒場だ。きっと近くに宿屋があるはず。
それにしても、今日のアルベールはどうしたというのだろう。次々と酒を煽り、ディアンの制止にも、『今日は飲みたい気分なのだ』と取り合わなかった。
すべてを吐露し、気持ちが楽になった?
いや、そんな飲み方ではなかった。何かを吹っ切ろうとするような……そんな飲み方だったように思う。
アルベールの中で、葛藤する何かがあるのだろうか。あるならば、自分に打ち明けてほしい。けれどそうされないのは……。
まだ自分が、アルベールの信頼に達していないから?
ふと淋しいような切なさが、胸を襲う。
「お待たせしました、ディアン様」
そうこう思いを巡らせているうちに、セオドアが宿を見つけ戻ってきた。店から数件先にある宿屋が取れたという。
「よかった、では行こう」
ディアンはアルベールを背負い、宿屋に向った。
◇◇◇
「二人部屋と一人部屋、それぞれ一部屋ずつしか空いていませんでしたので」
一端、二人部屋に入ったところで、セオドアは経緯を説明する。
「いや、十分だ。俺とアルベールはこの部屋に泊まる。セオドアは一人部屋に泊まってくれ」
アルベールが深夜に目を覚ましたとき、混乱するといけない。
「承知しました。ディアン様、鍵は必ずかけてくださいよ。では、明日の朝、お声かけさせていただきます。」
セオドアが部屋から出た後、言われたとおり鍵をかけると、足音が遠ざかっていった。
鍵の音がするまでドアの前にいたとは、どうやら信用されていなかったようだ。
「思ったより、鍛えているのだな」
背に感じるアルベールの肉体は硬く、引き締まっていることが窺える。とはいえ、さほど重さは感じなかった。鍛えてはいても、身体の線は細いとみえる。
ディアンはアルベールをそっとベッドに下ろし、苦しいだろうと首元のボタンをふたつほど外した。
とそのとき、アルベールが「う……ん」と掠れた声を上げる。
「参ったな──」
その悩ましい声を発した唇から、目が離せなくなる。
ベッドに腰を下ろしたディアンは、アルベールの髪を撫で、その手をすっと頬まで滑らせる。そして自然と親指の腹で、赤く色づいた唇をなぞっていた。
微かに開いたそこから、ふぅーと息が漏れる。
「うっ──!」
もう、本能に抗うことはできなかった。
ディアンは吸い寄せられるように、アルベールの唇に己の唇を触れさせた。
一度触れ合ってしまった唇は貪欲で、温かく柔らかな愛くるしい唇を何度も啄む。
もっと……もっと深く味わいたい。
ディアンは口内に舌を這わせ、アルベールの唾液を貪る。
「んん……」
息苦しさからか、アルベールが身動ぎ、唇が離れてしまう。
余韻を楽しみたかったが、そんな時間は与えてもらえなかった。
不意に目を開けたアルベールと、至近距離で見つめ合うこと数秒……。
「おお……おまえというやつは──離れろ!」
覆いかぶさっているディアンの胸を、アルベールは両手で力任せに押す。けれど、アルベールの頭を挟むように肘をついて身を倒しているディアンは、微塵も動かない。
「アルベール……」
まだ足りない、もっと……もっと欲しい。
頭を抱え込み、無遠慮に再び舌をねじ込む。
「ん……はぁ……うぅ」
不慣れなのだろうか。縮こまったアルベールの舌は、一向に応えてくれない。
今、どんな顔をしているのだろう。
うっすら目を開けたディアンは、はっとし身を起こす。
アルベールの目尻から流れる涙が、ディアンに理性を取り戻させた。
「すまない、アルベール。俺はなんてことを」
焦り身を退けると、アルベールもすぐさま身を起こした。
「オレに謝るな。謝るなら、兄様に謝れ! この裏切り者! 浮気者‼」
アルベールは、震える声でディアンを罵る。
そして拳を何度もディアンの胸に叩きつけた。
「ジェラルドに謝れとは、弟に対する非礼にということだな」
拳を甘んじて受けながら、謝罪すると誓う。しかし、裏切り者とは解せない。ましてや浮気者とはどういう意味だ。
ディアンが妻を娶っていないと告げると、アルベールはさらに激高してしまった。
「ふざけるな! おまえはジェラルド兄様のことが好きなのだろう。大切な人がいるくせに、他の人間に不埒な真似をするとは……裏切り以外の何がある。──まさか、届かぬ想いから、オレで憂さ晴らしするつもりだったのか⁉」
ディアンを睨みつける目には、ロウソクの炎も手伝ってか、怒りが煌々と燃え上がっているように見える。
「落ち着いてくれ、アルベール。確かにジェラルドは大切な友人だ。好きと言えばそうだが、それとアルベールにキスしたことが、なぜ浮気者で憂さ晴らしになるのだ?」
「兄様と恋人同士なのだろう? オレにキスしたら、浮気ではないか!」
アルベールは憤りも露わに声を荒らげた。加えて軽蔑の眼差しを向ける。
「何か誤解があるようだ。俺とジェラルドは恋人同士ではないぞ」
ディアンは努めて穏やかな声で語りかける。
「嘘をつくな、『ジェラルドのことが大好きに決まっている』と、大声で宣言していたではないか!」
なるほど。あの一言を聞いて、アルベールは誤解したのか。
誤解を解くのは簡単だ。しかしそうなると、自分がアルベールの奇行の理由を暴露したことを話さなければならない。
だが、この躊躇いがいけなかった。思案するほんの一時の沈黙を、アルベールは肯定と捉えたようだ。
眉根を寄せ、苦しそうな表情を浮かべると、すっと顔を背けてしまう。
大好きな兄を取られた。そんな心境だろうか。
こうなった以上、正直に話すしかない。
ディアンは詰られる覚悟を決めた。
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