第20話 快晴の空

あの日の手錠



  高層ビルがひしめく街の中を、一台の特殊車両が走っている。

 ハンドルを握る月岡に、カーナビの電子音が通達した。


『目的地に到着しました。運転時間は40分です。次はアイドリングを……』


 音声が終わるのを待たずして、月岡は路肩に車を停める。

 そして彼は外に出るなり薄暗い路地裏へと駆け出し、かつての相棒を探し始めた。


「真影!!」


 月岡の叫び声に、男の背筋がびくりと跳ねる。

 彼は恐る恐る振り向き、噛み締めるように呟いた。


「……月岡」


 全身に傷を負い、ボロボロになった特撃班の制服を纏う灰髪の男。

 真影だ。

 真影は道化のような笑みを浮かべ、月岡に歩み寄る。

 しかしその途中でゴミ袋に躓き、彼は頭から倒れ込んだ。


「大丈夫か!?」


 地面にぶつかりかけた真影を、月岡が慌てて抱き留める。

 真影は月岡の手を払い除けると、建物の壁に背を預けて言った。


「よせよ。この期に及んで、慈悲なんざかけられたくねえ」


「そんなこと言ってる場合か! 早く病院に」


「うるせえ!」


 真影に突き飛ばされ、月岡は尻餅を突く。

 彼は埃を払って立ち上がり、真影の肩を掴んで諭した。


「お前は幾つも許されないことをした。しかしだからこそ、生きて償わなければならないんだ」


「生きて償うか……そいつは無理な話だ」


 真影は制服の上着を取り払い、体についた傷跡を曝け出す。

 彼の右の脇腹は、赤黒く腐り果てていた。


「力を使い過ぎたツケだ。今もどんどん広がってる。あと一時間もしないうちに、俺はドロドロのヨーグルトさ」


 臓物が溶ける饐えた匂いだけが、二人の間の沈黙を埋める。

 やがて真影が、意を決して告げた。


「俺の心臓を撃ってくれ」


「なっ」


「だから、心臓だよ。半年前のあの日みたいに……なぁ、いいだろ?」


 真影は月岡の手に拳銃を握らせ、銃口を自分の左胸に向けさせる。

 月岡の目を見据えて、彼は言った。


「お前の手で終わりたいんだ」


 腐食は加速度的に広がり、月岡に決断を迫る。

 拳銃で介錯してやるのか、それともこのまま腐り果てるのを待つか。

 しかし月岡の選択は、そのどちらでもなかった。


「真影星也。殺人及び特別危険生物駆除法違反の容疑で……逮捕する」


 拳銃を手錠に持ち替え、真影の両手首に嵌める。

 自身を縛る手錠を見た彼の目に、大粒の涙が滲んだ。


「ふっ……はははっ、あははははっ!」


 止め処ない感情の渦に流されて、真影は泣きながら大笑いする。

 どこまでも愚直なかつての友に、彼は晴れやかな態度で告げた。


「負けたよ、月岡」


 月岡は深く頷き、真影を立ち上がらせる。

 そして二人は、ようやく陽の当たる道に踏み出した。


「お前のそういう所が、俺は、本当に……」


 恨み言とも賞賛ともつかない言葉を遺して、真影の体は消えていく。

 硬く握りしめた手錠だけが、友の名残りを月岡に伝えていた。


『目的地に到着しました。運転時間は……』


 真影を看取ったその足で、月岡はとある霊園を訪れる。

 真影家之墓と刻まれた墓石が、綺麗に手入れされた状態でそこに佇んでいた。

 月岡は柄杓の水で墓石を濡らし、線香を備える。

 そして両手の皺を重ね合わせながら、真影と過ごした日々に想いを馳せた。


「道は違えてしまったが、お前の中には確かに正しい心があった。……お前の志は俺が継ぐ。お前の分まで、人々を守り抜いてみせる。だから眠れ、相棒」


 月岡は心の中で語りかけ、また来ると約束して顔を上げる。

 振り向いた先には、特撃班の仲間たちが立っていた。


「月岡さん!」


「……ああ!」


 大きく手を振る昇に頷き、月岡は彼らの元へと駆けていく。

 賑やかに笑い合う五人を、雲一つない青空が見守っていた––。


「真影くんがやられたようだね」


 コーヒーを飲みながら、ソウギがどうでもよさそうに呟く。

 黒い長銃を拭きながら、傍らのGODが彼に同調した。


「所詮、その程度の男だったということです」


「かもね。でも彼が持っていた力は過去最大のものだった。それが敗れたからには……少し本気を出さないといけない」


 ソウギは立ち上がり、GODを連れて地下の実験室に向かう。

 幾つかの遺伝子サンプルを吟味しながら、彼は溜め息を溢して言った。


「ダメだ。今から特危獣を作っても、強く育つ前に倒されてしまう。もっと即戦力が欲しい」


「『彼ら』に頼りましょうか」


「……ああ、彼らか」


 GODの言葉を呼び水に、ソウギは特危獣アントの作戦を思い出す。

 あの時全国各地に増殖したアリ人間は、原因不明の全滅を遂げていた。

 そしてスパイダーを見限ってからソウギはこの件について調査を始め、そしてついに暴いたのだ。

 アリ人間を打ち倒した獅子男・山羊男・蛇女の足取りを。


「彼らには頼れないよ。彼らは僕のことを嫌っているからね」


「そうですか。……創って頂いた恩も忘れて、全く身勝手な奴らだ」


 GODは忌々しそうに呟き、拭いていた銃を下ろす。

 ソウギの足元に跪き、彼は改めて告げた。


「ソウギ様、私は絶対に貴方を裏切りません。この命を懸けて、貴方に忠誠を誓います」


「分かっているよ。いつだって、僕の味方は君だけだ」


 GODの頭を撫でながら、ソウギは愛おしそうに呟く。

 左手に握った試験管が、二人の姿を遺伝子サンプルの蒼に染めて映した。


「……あれが特撃班か」


 そのサンプルと同じくらい蒼い空の下に、空色のパーカーに身を包んだ青年が立っている。

 じゃれ合う昇たち五人を車道越しに見つめながら、彼は怨嗟を込めて呟いた。


「俺が必ず、化けの皮を剥がしてやる」

——————

新たな波乱は突然に



 真影の死から数日後、街には平和な日々が訪れていた。

 パトロールから戻った月岡が、火崎に書類を提出する。


「今日も異常なしです」


「おう、お疲れ。……なあ月岡。お前、退屈は好きか?」


「えっ」


 藪から棒な質問に、月岡は一瞬驚く。

 彼は少し考えて、自らの答えを告げた。


「……あまり好きではありません。ですが、この時間は心地いいです」


「ああ。警察の仕事なんて、本当はないのが一番いいんだ。それだけ平和ってことだからな」


 月岡の答えに、火崎は満足そうに頷く。

 この日常がいつまでも続くようにと願う二人の奥の車庫では、木原がエボリューション21の調整を行っていた。


「このパーツとこのパーツを直して、ここの性能も上げて……あっ!」


 握っていたドライバーが遂に耐久力の限界を迎え、破損する。

 すかさず替えを持ってきた金城が、肩を竦めて言った。


「毎日毎日、よく飽きませんね」


「だって楽しいんだもん! こんな凄いマシン初めて!」


 木原は目を輝かせ、新型バイクの魅力を懇切丁寧に解説しようとする。

 丸一日喋りかねない彼女を遮って、金城が強引に話題を切り替えた。


「……しかし意外でした。木原さんにこんな技術があるとは」


「昔ちょっとね。ま、あたしはコンピューターだけの女じゃないってことだよ」


 木原は腰に手を当てて胸を張り、調整作業を再開する。

 それから数時間後、壁にかかった時計の針が正午を指した。


「いらっしゃいませー!」


 扉につけた鈴の音を耳にして、麻婆堂の店長が景気よく挨拶する。

 カウンター席で麻婆豆腐を食べていた昇が、振り向いて声を上げた。


「水野さん!」


 名前を呼ばれた水野はにこやかに微笑み、昇の隣に腰掛ける。

 以前と変わらぬ彼女の様子に安堵しながら、昇が言った。


「退院したんですね。体の方は大丈夫ですか?」


「もうすっかり。きっと、あなたやみんながお見舞いに来てくれたお陰です」


「いやぁ、そんな……」


 昇は慌てて残った麻婆豆腐を平らげ、メニューを広げて紅潮した顔を隠す。

 目線を四方八方に泳がせた末、彼は二杯目の料理を注文した。


「き、期間限定のカレー麻婆一つ!」


「私もそれでお願いします」


「あいよ!!」


 店長の声が響き、鉄火場の炎が燃え上がる。

 暫くしてアルバイトの若者が、二人前の料理を持ってきた。


「お待たせしました。カレー麻婆です」


「ありがとうございます! いただきます!」


 白米の上にカレールーと麻婆豆腐がちょうど半分ずつかけられた大皿に、昇たちは両手を合わせる。

 カレーと麻婆豆腐の中間地点をスプーンで掬って食べた瞬間、二人は思わず絶句した。


「……っ!」


 カレーと麻婆豆腐、共に旨みと辛みを極めた存在でありながら全く別の進化を遂げた二つの料理が口の中で交わり、衝撃の化学反応を生み出す。

 青天井に高まり続ける幸福感に蹂躙されながら、昇たちは凄まじい勢いでカレー麻婆を完食した。


「そんなに美味しそうに食べて頂けると、作った僕としても嬉しい限りです」


「えっ、これ作ったの店長さんじゃ」


「いや、彼だよ」


 厨房の奥から出てきた店長が、昇の言葉をやんわりと否定する。

 店長は困惑する二人に、若者の素性を明かした。


「彼は馬渕駿まぶちしゅん。この間からうちでバイトしてるんだけど、お客さんからの評判が凄い良くてな。試しに厨房を任せてみたらこの通りだ。本当、こんないい子が来てくれて嬉しいよ!」


「いえいえ、店長のご指導のお陰です」


 馬渕は軽く頭を下げると、空になった昇と水野の皿を洗い場へと運ぶ。

 その去り際に彼は一瞬振り向き、唇だけを動かして言った。


『夕方4時、市民公園で待つ』


 昇がその意図を理解する間もなく、彼は店の奥に消えていく。

 そして約束の時間、昇は市民公園の噴水前に立っていた。

 濃緑色のジャンパーの袖に手を引っ込めて寒さに耐えながら、馬渕の到着を待つ。

 10分ほど過ぎた頃、馬渕が小走りでやって来た。


「ここにいたんだね。ごめん、大きな木の所で待ってたから気づかなくて」


「気にしないで下さい。そういうのたまにありますから」


 堅苦しい愛想笑いを交わしながら、昇は馬渕の姿を観察する。

 清潔感のあるストレートヘアに、空色のパーカーと紺のジーンズ。

 ラフな格好でありながら神秘的なオーラを纏っているように見えるのは、王子のような甘いマスクのせいだろうか。


「君、アライブの日向昇だよね」


 高貴な微笑を保ったまま、馬渕が口を開く。

 唐突に己の正体を看破された昇は乾いた笑い声を上げながら、目線を逸らして誤魔化した。


「ははっ……何のことでしょうか」


「とぼけなくていいよ」


 馬渕の笑顔に、獰猛な不敵さが混じる。

 全身に異形の影を滲ませて、彼は自らの正体を告げた。


「僕は、人間の姿を得た特危獣だ」


「……それならおれは、ここであなたを倒さなくちゃならない」


 店長さんには悪いけどと前置きして、昇はショックブレスに手をかける。

 馬渕は慌てて影を引っ込め、昇の前で両手を挙げた。


「待ってよ。ここで君と戦うつもりはないんだ」


「だったらどうして正体を明かしたんだ!」


「……ただの自己紹介だよ。それなのに、いきなり戦おうとするなんて」


 大袈裟にいじけてみせた馬渕にそう言われ、昇の中に申し訳なさが込み上げる。

 馬渕はすぐに元の笑顔を取り戻し、自分の目的を語り始めた。


「ある人が君や特撃班のことを知りたがっていてね。僕は彼の指示で、君たちのことをずっと調べていたんだ」


「やっぱりソウギたちの手先か!」


「だから違うって。あいつらとはむしろ敵同士だよ」


 特撃班ともソウギたちとも異なる第三勢力の存在。

 戸惑う昇に、彼は続ける。


「……でも、やっぱり外部からの調査には限界がある。だから思い切って、君に接触することにしたんだ」


 陽の落ちた公園に、冷たい秋の風が吹き抜ける。

 昇の目を見据えて、馬渕ははっきりと告げた。


「アライブ。君に決闘を申し込む」

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