第18話 せめぎ合う執念

月を喰らう影




 月岡を連れ去ったスパイダーの向かった先は、東都のとある地下発電所だった。

 首だけを動かして周囲を見回す月岡に、スパイダーが馴れ馴れしく話しかける。


「ここに来るのも半年ぶりだな、月岡」


 月岡は何も答えず、鋭い目つきでスパイダーを睨んだ。

 スパイダーもまた彼の眼光を受け流し、かつてと何ら変わっていない機械類を無造作に物色する。

 一頻り部屋を歩き回ると、彼は舐めるような口調で語りかけた。


「覚えてるか? 俺とお前の因縁の場所。あの時の化け物を見るようなお前の目……一瞬だって忘れたことはないぜ」


 半年前、月岡はこの場所で真影を射殺した。

 その時の記憶が蘇り、彼の唇が歪む。

 スパイダーは薄笑いを浮かべると、彼の耳元で囁いた。


「今度は、俺がお前を殺してやる」


「やれるものならやってみろ」


 即答する月岡に、今度はスパイダーが顔を顰める。

 鉄筋コンクリートの壁を殴りつけて、彼は早口で捲し立てた。


「あぁクソッ、これでも駄目なのかよ! 一体どうしたらお前のしかめっ面は恐怖と苦悶に歪むんだ!? 涙と小便で全身ぐしょ濡れにしながら跪いて命乞いするんだァアアア!?」


 スパイダーの叫びが地下に響き、不気味な唸り声となって月岡の鼓膜を襲う。

 月岡は奥歯を噛み締め、込み上げる恐怖を押し殺して告げた。


「……そんな真似はしない」


「月岡、お前本当に状況分かってんのか? 俺の意志一つでお前は死ぬんだぞ。殺そうと思えば、簡単に殺せるんだぞ!」


「ならばやってみろ!」


 月岡に凄まれ、スパイダーはにわかに気圧される。

 彼は天に向かって咆哮し、月岡の心臓に爪を突き立て––




 ––られなかった。

 心臓を貫く筈だった爪はすぐ側の壁を抉り取り、ぼろぼろとコンクリートの破片が溢れる。

 スパイダーの目から垂れた緑色の雫が、足元の破片を溶かした。


「……認めるよ。俺はお前を殺せない。あんな目に遭ったっていうのに、まだお前をバディだと思ってるんだ」


 だからさ、とスパイダーは壁から爪を抜き、懐から進化の種を取り出す。

 手の中で蠢く赤黒い肉塊を撫でながら、彼は月岡の目を見て言った。


「お前も特危獣になれ。そして俺と同じ所まで来るんだ」


「ふざけるな……誰が貴様の仲間になど!」


「違う。俺はあくまで特危獣になって欲しいだけだ。進化の種さえ飲み込んでくれりゃ、後は自由にする。アライブたちにも手を出さない。悪くない話だろ」


 破格すぎる条件に、月岡は返事を躊躇う。

 スパイダーは更に説得を続け、月岡の心に揺さぶりをかけた。


「それに、ソウギの特危獣とも対等に戦えるようになる。アライブの負担を減らせるんだ。相棒を助けられる力……欲しいよな?」


 もう一押しだ、とスパイダーは心の中でほくそ笑む。

 やはり月岡を揺さぶるには、他者を交渉材料にするのが最も手っ取り早い。

 しかし耐え続ける月岡に業を煮やして、彼は苛立ちを露わにして怒鳴った。


「何を躊躇ってる! 人を救う覚悟より、自分が人間でいることの方が大事なのか!? 結局お前は、その程度の奴だったのか!?」


「……っ」


「人間を捨てるだけで、全てが解決するんだぞ!」


 その言葉を聞いた瞬間、月岡の顔から葛藤が消える。

 微かに口角を上げた月岡に、スパイダーが叫んだ。


「何が可笑しい!」


「いや……これで気兼ねなくお前の誘いを断れると思ってな」


 月岡はそう言い、迷いのない目でスパイダーを見据える。

 猛毒に抗い続けている戦友に想いを馳せて、彼は力強く語り始めた。


「日向昇は、『人間』を手に入れるために必死で戦っている。あいつが抱える辛さと孤独を、俺はずっと見てきた。だから俺はなりたいと思わない。人間として、この体のままで戦い抜く!」


「もう諦めろ月岡! アライブは来ない! お前には俺しかいない!」


「……来るさ。あいつは」


 月岡は昇の帰還を確信して、スパイダーの脅しを撥ね除ける。

 その頃東都総合病院では、昇の試練が終わりを告げようとしていた。


「がッ……ぅうううぁアア!!」


 病室のベッドで、昇は悲鳴を上げながらのたうち回る。

 焼けた鉄で掻き回されるような激痛で全身を蹂躙される彼の手がナースコールのボタンに触れ、ナースステーションとの通信が開始された。


「痛い! 痛、ぁ、あああ!!」


 ノイズ混じりの絶叫がステーションに響き、数人の看護師が昇の病室に駆けつける。

 しかし特危獣の膂力で暴れ回る彼に、看護師たちは触れることさえできなかった。


「どうしましたか!?」


 榎本が入室し、目の前で繰り広げられている惨状に絶句する。

 彼は注射器を取り出すと、細い針の先を閃かせて警告した。


「……少しチクっとしますよ!」


 荒れ狂う四肢を掻い潜り、15年打ち続けた血管に注射器の針を突き刺す。

 そして一気にキャップを押し込み、鎮痛剤を投与した。

 昇の動きが僅かに鈍った隙に、素早く打った位置を押さえる。

 やがて痛みが治まると、昇はようやく榎本の存在を認識した。


「……先生」


「大丈夫です。もう、大丈夫ですから」


 久しく聞いていなかった榎本の声に、昇は包み込まれるような安心感を覚える。

 弱々しく笑顔を向ける昇に、榎本が重々しく告げた。


「毒がかなり回ってきています。治すには今、手術をするしかありません」


 だが手術には、大きなリスクが伴う。

 失敗すれば死んでしまうかもしれない。

 それでもやるか、と榎本は昇に問いかけた。

 昇の答えは、決まっていた。


「お願いします」


「……昇くん」


「先生が教えてくれたんです。何があっても、生きることを諦めちゃいけないって。だから、お願いします」


 生きることを諦めない。

 それは昇と榎本の、唯一にして最大の約束。

 榎本は大きく頷いて、昇と誓いの指切りを交わした。

 集中治療室のランプが点灯し、手術着を纏った榎本と医師たちが昇を取り囲む。

 メスを受け取った榎本が、淡々と宣言した。


「ただ今より、毒素摘出手術を開始します」

——————

相棒エンジン



 日向昇が目を覚ますと、そこは東都総合病院の病室だった。

 視界に飛び込んできた電灯の光を、昇は腕で覆い隠す。

 その腕の細さを見て、彼は目を丸くした。


「おはよう昇くん」


「おはようございます、先生」


 部屋に入ってきた榎本に返事をして、また驚く。

 骨と皮だけの細腕に、子供のように高い声。

 これではまるで……。


「……どうしたんだい? どこか痛い?」


「あっいえ、あの、鏡見せて貰ってもいいですか」


「はい。どうぞ」


 昇は榎本から手鏡を受け取り、自分の顔を覗き込む。

 鏡に映ったその顔は、幼い頃の自分そのものだった。


「……っ」


 18歳の今になってみると、その顔は風前の灯のように儚く弱々しい。

 特撃班での数ヶ月は少なからず自分を変えたのだと、昇は改めて実感した。


「月岡さんはどこにいるんですか? それに、特撃班のみんなも」


「いないよ」


 昇の質問に、榎本は淡々と答える。

 その瞬間、病室の白い内装がぐにゃりと歪んだ。

 360度を極彩色の空間に取り囲まれながら、榎本は一音毎に声を変えて続ける。


「こコは幻想ノせかイだかラ、特げキ班も、トッ危じュうもいナイんだヨ」


「幻想の、世界……?」


 疑問をぶつける暇もなく、今度は白と黒だけの世界が広がった。

 白を背にした榎本の姿が幼い頃の昇に変わり、それと入れ替わりに子供だった昇は大人の肉体を取り戻す。

 無垢なる白と穢れた黒をそれぞれ背負って、二人の日向昇が対峙した。


「本当は戦いたくない。普通の人間として生きていたい」


 子供の昇––ノボルが言葉を発すると、背後の白が色濃くなる。

 戸惑う大人の昇に、彼は更に続けた。


「でもおれの人生にそんな道筋はない。病気で死ぬか、特危獣として扱われながら生きるか。二つに一つ」


「そんなことはない! 戦い続ければ、いつかきっと」


「いつかきっと? それはただ現実から逃げて、自分に都合のいいように事実を歪めているだけだよ」


 ノボルは昇の反論を遮り、光の中に榎本や看護師たちの幻影を召喚する。

 昇の動揺を見透かしたように、ノボルがふと笑った。


「理想は叶わない。だったらせめて妥協しようじゃないか。病院にいた頃の暮らしをずっとずっと続けよう。老いも病気も戦いもない、この世界で」


 無邪気で優しい笑顔のまま、ノボルは昇を永遠の停滞へと誘う。

 しかし昇は彼の言葉を否定し、偽りの光に背を向けた。


「嫌だ。おれはみんなの所へ戻るんだ」


「またそうやって現実から逃げる」


「お前は生きることから逃げてる!」


 かつての自分自身に、昇はとうとう声を荒げた。

 思わぬ反撃を受けて、ノボルの表情が強張る。

 足元さえ覆い隠す闇を見据えながら、彼は拳を握りしめて語り始めた。


「おれはずっと、生きてみたいと思ってた。そして実際に生きてみて分かった。おれはやっぱり、生きたい」


 その先にどんな現実が待っていようと、絶対に後悔などしない。

 決意を胸に闇を進んでいこうとする昇を、ノボルが叫んで呼び止めた。


「そっちには誰もいないよ!」


「いるよ」


 昇は闇を掴み、カーテンを開けるようにその正体を暴く。

 孤独な闇を踏み越えた先には、仲間たちの待つ闇が待っていた。


「ヒューちゃん!」


「日向!」


「日向さん!」


 木原、火崎、金城が昇の名を呼び、その手を差し伸べる。

 昇は大きく頷き、声のする方へと全速力で走り出した。


「頑張って!」


「もう少しだ!」


「ファイトですよ!」


 水野と店長、榎本の声援を受けて、昇の足はますます軽くなる。

 そして昇は暗闇を突き抜け、月岡の背中に手を差し伸べた。

 月岡がゆっくりと振り向き、手を伸ばす。

 二人の手が触れる刹那、眩い光が昇の意識を吹き飛ばした––。


「……はッ!」


 そこで長い夢は終わり、昇の意識は現実へと引き戻される。

 集中治療室の看護師たちが、復活した昇を見て騒めいた。


「あの状態から完治するなんて、奇跡よ」


「榎本先生は最高の名医だわ……」


「いえ。この結果は必然ですよ」


 榎本は首を横に振り、昇の目をじっと見つめる。

 未だ治った実感の湧かない昇に、彼は優しく語りかけた。


「君が生きることを諦めなかったから、我々もその気持ちに応えることができた。全ては君の想いのお陰です」


「先生……」


「完治おめでとう、昇くん」


 晴れやかな笑顔で、榎本が告げる。

 昇はその時、ようやく自分が健康体に戻ったことを確信したのだった。


「ありがとうございます。それじゃあ、いってきます」


「ええ。いってらっしゃい」


 病院の玄関前で、特撃班の制服に着替えた昇が深々と礼をする。

 別れの挨拶を終えた昇に、火崎が嬉しそうに声をかけた。


「戻ったか、日向!」


「火崎さん! ……そのバイクは?」


 火崎が乗ってきたバイクは、普段の白バイとは全く違っていた。

 炎のような赤いボディに白いラインを走らせた、鮮烈で力強いフォルム。

 何よりひと目見たその瞬間、昇の中に衝撃的な直感が迸った。


「……完成したんですね。おれのマシン」


「そうだ。名前は『エボリューション21トゥーワン』!」


 火崎に渡されたヘルメットを被り、昇は運転席に座ってハンドルを握る。

 先の直感を証明するかのように、そのハンドルは驚くほど手に馴染んだ。


「あと、これは木原が開発した対スパイダー用毒素中和弾だ。月岡に渡してやってくれ」


「はい。それで、月岡さんは今どこに」


 昇が言いかけたその時、火崎の無線機に通信が入る。

 本部で待機していた金城が、早口で報告した。


「月岡さんとスパイダーのいる場所が分かりました! 東都I地区の地下発電所です」


 半年前、惨劇の舞台となった因縁の場所。

 そこで全ての決着をつけるつもりなのだと、昇たちはスパイダーの目論見を察する。

 昇はバイクのスタンドを蹴り上げ、鍵を回してエンジンの轟音を響かせた。


「頼んだぞ、日向」


「はい!!」


 昇はエボリューション21を駆り、風の速さで地下発電所に向かう。

 アクセル全開の突撃が、重い鉄の扉を吹き飛ばした。


「誰だッ!」


 飛来した扉を爪で切り裂き、スパイダーが叫ぶ。

 ヘルメットを外した昇の素顔を見ぬままに、月岡が告げた。


「日向昇。俺のバディだ」

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