馬鹿兄貴の尻拭いで悲しみに暮れた妖精姫に会いにいったら、愛犬にされた件について。

水鳥楓椛

第1話

「———今、なんとおっしゃいました?」


 父上と執務机を間にして対峙した俺、優しい金髪と焦茶色の瞳が犬っぽいと言われるチャーリー・ルティアスは笑顔でピシリと固まった。


「だから、バディーの馬鹿の行いのせいでで悲しみに暮れているという、フローラ・オパール公爵令嬢の心を落としてこいと言っているのだ」


 貫禄たっぷりな父上の厳かな言葉に、俺は頬が思いっきり引き攣ったのを感じた。


「———、………つまり、馬鹿兄貴の尻拭いをしてこいと?」

「あぁ」


 こともなげに頷いた父上に、笑顔も、穏やかな仮面もかなぐり捨てて、俺は、引き攣った顔面で思いっきり叫ぶ。


「んなもん、無理に決まってんだろーがッ!尻拭い?勘弁してくれや!!馬鹿兄貴の尻拭いはこれで何回めだよ!!つーか!娘を溺愛していると名高いオパール公爵のところに、悲しみに暮れる原因を作った馬鹿兄貴バディーの弟である俺が訪れた時点で、俺の人生バッドエンドの終焉だよ!ちょっとはものを考えてから話せや!こんのクッソ親父!!」


 思いっきり執務机を両手で叩いた俺は、腕の痺れも気にせず唾を散らして怒鳴り散ららした。


「大丈夫だ、チャーリー。お前ならできる!」

「出来ねーわッ!!」

「さあ勇者よ、永劫の旅に行ってくるのだ!!英雄譚はまだ始まったばかり!我が国1番の勇者たる我が愛息子チャーリーの健闘を、心から期待しておるぞ!!」

「いや、期待せんでいいわ!!」


 勢い良くツッコンだ俺の言葉は完璧に無視され、父上はさらに言葉を連ねる。


「さあデズモンドよ。我国の救世主、勇者チャーリーの出発だ。すぐに馬車を用意しろ!!」

「はっ!!」


 できる男デズモンドによって、馬車はあっという間に用意された。

 あれよあれよという間に馬車へと乗せられた俺は、あっという間にオパール公爵家へと連れ去られる。


「勘弁してくれやああああぁぁぁぁぁ!!」


 馬車に響く悲鳴は、王宮からオパール邸に向かうために過ぎ去る道へと、綺麗さっぱり放棄されていったらしい———。


▫︎◇▫︎


 〜時は遡り1週間前〜


「フローラ・オパール。権力にしがみつく卑しい女め!私の愛おしい人を虐めるなど言語道断!腐り切った根性を持った人間を小久保に吸えることなどできぬ!今この瞬間を以て婚約を破棄する!!」


 俺の目前で広がっているこの地獄絵図はなんだろうか。


 いまにも泣きそうな、焦燥たっぷりな表情で両手を握りしめている、緩やかに波打つプラチナブロンドの髪に若葉色の瞳の美少女フローラ・オパール公爵令嬢。

 対峙するのは真っ赤でドス黒い感じの華やかな美女の腰を抱いた、太陽のような黄金の髪に瑠璃の瞳を持つ美丈夫である兄のバディー・ルティアス。


 王位継承のために結ばれた政略結婚が一方的に破棄されている状況に、俺の魂は口から出て行った。


「………わたくしはこのような非道なことのために呼び出されたのでしょうか」

「は?婚約者の呼び出しに理由など必要か?あぁ、間違えた。元婚約者だったな」


 嘲笑う兄上の姿に、俺の魂は天高く登りたくなる。

 パステルグリーンの色彩が優しいプリンセスラインのドレスを身に纏ったフローラ嬢は、顔を床へと向けると深々と頭を下げた。


「婚約破棄、承知いたしました。では、わたくしは」

「帰すわけないだろう?」

「え………、」

「そのブレスレットを渡せ。エレインがそのブレスレットを欲しているんだ」

「これは、亡くなった母の形見で」

「関係ない。お前は彼女の大事なドレスを破ったのだから」

「きゃっ!」


 兄上がフローラ公爵令嬢の腕を強く掴み、ブレスレットを奪い取った。

 その拍子に彼女は床に転がされ、足を挫いてしまったのか座り込んでしまっている。


「はっ、こんな安物エレインには相応しくないな」


 瞬間、あろうことか兄上は床にブレスレットを叩きつけ、バキリと踏み砕いた。


「っ、おかあ、さま………、」


 ぼろぼろと涙をこぼす麗しの妖精姫フローラ公爵令嬢に、俺の心の絶叫はピークを超える。


(あぁ、王家終わったな………、)


 フローラの実家たるオパール公爵家は、建国以前より続く由緒正しき家柄だ。

 オパール公爵家と王家に年齢が近い子供が生まれた場合、必ず結婚させるほどにその関係性も強い。

 よって、オパール公爵家と縁を結ぶことイコール王家を継ぐと言っても過言ではないほどだ。言い換えれば、オパール公爵家の庇護がない場合、王家を継ぐことなんてできない。


(馬鹿兄貴が王家を継げなくなったのはまあよしとしても、この行いはヤバい)


 現公爵が家族を溺愛している。

 特に亡くなった公爵夫人と末娘であるフローラへの愛情っぷりは、他国でも有名なほどだ。


 兄上は、そんな亡くなった公爵夫人が身につけていたという形見のブレスレットを公衆の面前で踏み抜いて粉々に壊した挙句、現在進行形で床に転んでしまって泣きじゃくっているフローラ公爵令嬢の髪を掴んで無理矢理上を向かせている。明らかな冤罪の婚約破棄もよろしくない。


(………国家滅亡で済んだらいいな………、)


 物騒なことを考えていたら、舞踏会はあっという間に終わった。


 フローラ公爵令嬢はお付きの侍女によって回収され、邸宅へと帰宅。

 兄上は犯した罪の重大さゆえに、即刻大事なものを切られた上で北の鉱山に突っ込まれた。その日のうちに断末魔のような絶叫が聞こえたらしいが、俺の預かり知るところではない。

 フローラから兄上を横恋慕した赤レンジャーのエレイン伯爵令嬢は、実家取りつぶしの上に、本人は娼館送りになったらしい。逞しい彼女はものの数日で娼館のトップに上り詰めたそうだが、それはまた別のお話。


 俺は、いつ自分が消されるのかとビクビクしながら過ごした。

 しかしながら、いつまで経っても消されないし、それどころかオパール公爵家からの報復もない。

 さてどうしたものかと思い、そして、自分は無関係な人間でいられたと歓喜し始めた日、俺は父上に呼び出された———。


▫︎◇▫︎


 馬車から降り、オパール家の廊下を歩く中、俺は魂が抜けた蒼白の顔面でここ1週間の出来事を走馬灯のように思い出し、乾いた笑いをこぼした。


「チャーリー殿下?」


 執事の不思議そうな問いかけに曖昧に微笑んで首を横に振った俺は、心を奮い立たせ無言で歩く。


「ここがお嬢さまのお部屋です」

「すまないな。本当に、何もかも」

「………リチャード殿下とバディー殿下は別の人間ですよ」

「———ふっ、そういうふうに言われたのは初めてだ。緊張がほぐれた気がする。感謝する、執事どの」

「ありがたきお言葉」


 去っていく執事の背中を見送った俺は、ふーっと大きく息を吐いてからノックをし、返事を待たずして部屋へと入る。

 俺の後ろからはフローラ公爵令嬢専属の侍女が歩いてきている。


 ここは、オパール公爵邸にあるフローラ公爵令嬢の私室。

 カーテンに深く閉ざされた優しいグリーンのお部屋は、漆黒の闇と深い悲しみに包まれている。


「………だ、れ………………?」


 掠れ切った声、腫れ上がった瞼、肌は泣きじゃくったことにより赤く染まり、心なしか痩せたようにも見える。

 せっかくの妖精姫が台無しだ。


 俺は迷うことなく彼女の前に両膝をつき、両手を床につけて、床に頭を叩きつけた。


 後ろから侍女の悲鳴が聞こえた気がしなくもなかったが、命のためならば俺は易々とプライドを捨てられる人間。オパール公爵家に消されるよりは、ここで土下座をする方がマシだと判断した。


「チャーリー・ルティアスと申します、フローラ公爵令嬢。此度は愚兄が、大変申し訳ございませんでした」

「………………」


 悲しみに暮れている彼女は俺に返事をくれない。

 ちゃりちゃりと両手で大事そうに握りしめているネックレスに、俺の心はぎゅーっと締め付けられる。あれはおそらく、兄上がフローラ公爵令嬢に送ったというプラチナでできたネックレスだろう。


「………わたくしはなぜあの場に呼ばれたのでしょうか」


 今にも壊れてしまいそうな虚ろな視線が向けられた瞬間、俺は息を呑む。

 ぼろぼろに痩せこけ皺くちゃのネグリジェを身につけてなお、妖精姫と謳われるフローラ公爵令嬢は、その渾名を納得せぬわけにはいかないくらいに大層美しい。


「愚兄の残虐な性格ゆえかと」

「わたくしは今までの人生全てである16年をあのこのために捧げてきましたわ。全てを我慢して、あの子中心の生活を送って参りました」

「申し訳ございません」


 俺は彼女の人並外れた努力を知っているがゆえに、謝るしかできない。

 彼女は未来の兄上の妻として、未来の王太子妃として、未来の国母として、日夜、勉学やマナー等の様々なレッスンに睡眠時間を削って励んでいた。


 苦しかっただろう。

 悲しかっただろう。

 辛かっただろう。

 遊びたかっただろう。


 周囲の人間が遊んでいるのを横目に教育を受けることがどんなに辛いことか、俺は知っている。

 未来のためだと言われても、国のためだと言われても、受け入れられないことはある。


「わたくしはたった一夜で失った」

「我が愚兄の行動、弁明のしようもございません」


 美しい若葉の瞳に広がる真髄の闇に、俺のくちびるは情けなく震える。


「あのこの全てが愛おしかった。あのはわたくしの人生そのものだった」

「っ、」

(あぁ、兄上よ。あなたは何故、こんなにも真っ直ぐに自らを愛してくれる女性を粗末に扱ったんだ………!!)


 控えめに言って兄上の心情が理解できない。


「なのに、失う瞬間にすら立ち会えなかった」

「ん?」


 俺は表情がピシリと固まるのを感じた。


(いやいや、そこは普通立ち会えなくない?というか、婚約者が寝取られる瞬間を拝みたかったの?)


 大混乱に陥った俺は、ぱちぱちと何度も瞬きを重ねる。


「わたくしの愛おしいマックス。可愛いマックス。あぁ、あいつのせいで、バディーとかいうクズのせいで、わたくしは生まれた時からずっと一緒のあのこの死に目にすらも会えなかった!!」


 フローラ公爵令嬢の叫びに、俺は首を大きく傾げた。


「エーットー、ダレノコト?」


 『わーん』と泣き叫び始めたフローラ公爵令嬢に、俺は慌てるでもなく大混乱を極める。


「わたくしの親友!わたくしの心の友!わたくしの愛犬マックス!!あぁ!なんで、わたくしを置いて天界へと旅立ってしまったの!!」

「………い、ぬ………………、」


 呆然と呟いた俺は悪くないと思う。


(………つまり、先ほどからフローラ公爵令嬢が嘆き続けている理由は———………、)

「犬ですね」


 後ろから聞こえた侍女の冷静な言葉に、俺はガクッと崩れ落ち、床に頭を強くぶつけた。ゴンっというなかなかにいい音が響いたが、誰も突っ込まないでくれた。


「元婚約者による非道な婚約破棄のせいで心身ともに疲れ切ってしまった、純真無垢な妖精姫ではなかったのか!?」

「元婚約者による非道な婚約破棄のせいで、愛犬の死に目に会えず心身ともに疲れ切り、元婚約者への恨みつらみそらみを募らせた妖精姫が正解ですね」


 侍女が訂正した文句を聞きながら、俺は再度ガクッと崩れる。


「………もしかしなくとも、握りしめているのは兄上が送ったネックレスではなく………、」

「母君であらせられる今は亡き公爵夫人が、フローラお嬢さまの愛犬マックスにお贈りになられたプラチナ製の迷子札でございます」

「まいご、ふだ………、」


 半ば片言になった俺は、少しだけ立ち上がり、未だにぐじゅぐじゅと泣きじゃくっているフローラ公爵令嬢の足元に向かい、下から覗き込むようにして再度床に座り込む。


「フローラ公爵令嬢。マックスさまは今どこに?」

「そこっ、」


 指さす先に視線を向けると、そこには大きな寝台がある。

 おそらくはフローラ公爵令嬢用のものであろう寝台の中には、1匹の大型犬がぐったりと横たわっている。白と黒のセパレーションカラーのスタイリッシュな犬は、多分ドーベルマン。


(………花の妖精のような姫君が愛した犬というから、勝手にポメラニアンのようなふわふわで小さな犬を連想していたのだが………………、ものすごく凶暴そうだな)


 じっと見つめている俺の焦茶色の瞳は、どうしてか凶暴そうなマックスを通じて亡くなった愛猫キャシーの最期を思い出させる。

 色素の薄い柔らかな金髪と煌めくエメラルドの瞳を持ったマンチカンのキャシーは、俺の我が儘のせいでなかなかに埋葬してもらえず、最後には遺体がぼろぼろになってしまった。


 俺は意を決し、彼女の両手を優しく握り込むと若葉色の瞳を覗き込むようにして穏やかに微笑む。


「………フローラ公爵令嬢、マックスさまを埋めてあげましょう」

「っ嫌よ!!」

「これ以上は遺体がぼろぼろになってしまいます。マックスさまはきっと、フローラ公爵令嬢には綺麗な頃の姿が最後の姿として残っていて欲しいはずです」

「でもっ!!」

「………では質問させていただいます。あなたは、大切な人に自分の遺体がどのような姿であったと記憶していて欲しいですか?」

「それは綺麗な方が………、」

「それはマックスさまも同じであるはずです」

「っ、」

「ほら、ね?埋めてあげましょう」


 真珠のように美しい涙を流しながら、フローラ公爵令嬢は俺の顔を若葉色の瞳に映した瞬間、頬を赤く染め上げ、小さく声を紡ぐ。


「………マックスはちゃんと埋めますわ。だから………、わたくしが立ち直るために、新しいパートナーを用意してください」


 俺は小さく感動した。

 彼女は『マックスの代わり』と言わず、『新たに自分を支えるもの』と表現した。

 マックスの代わりなんて誰もできないということをちゃんと理解しているフローラ公爵令嬢に、俺は彼女がどれだけマックスを愛していたのか実感する。


「王家の威信に賭け、必ずや素晴らしい犬を見つけ出し、ご用意すると誓いましょう」

「………探す必要はございません」

「?」


 俺が首を傾げた瞬間、フローラ公爵令嬢は俺の首をするりと撫でた。


「わたくし、次はゴールデンレトリバーが良いなと思いました」

「分かりました」

「優しい金色の毛に焦茶色の瞳、そして真摯な表情をする大きなわんちゃんが欲しいのです」

「成犬が欲しいのですか?」

「はい。だってそうじゃないと結婚できませんでしょう?」

「???」


 痩せこけた顔で優しく微笑んだフローラ公爵令嬢は、首を傾げた俺の頬を優しく包み込む。


「わたくし、あなたに一目惚れいたしました」

「———ッ!?」

「だから、わたくしの愛犬になってくださいまし」


 とんでもない求婚に俺は唖然としたのち、肩を震わせた。


「ふふっ、はははっ!!」


 止まらない笑い。

 そんな俺の頭を艶やかに磨き抜かれた指先で優しく撫でるフローラ公爵令嬢。


「俺なんかを愛犬にしちゃうんすか?」

「はい」

「俺、自分でいうのもなんですが《忠犬》とは程遠いですよ?」

「構いません」


 赤い頬でしっかりと頷いたフローラ公爵令嬢の耳元に、俺はくちびるを寄せる。


「じゃあ、愛するわんちゃんはマックス以外には未来永劫俺だけ?」

「はいっ、」


 はにかんだ彼女の頬に、俺は小さく口付けた。


「きゃっ!」


 にっこり笑い、唖然としているか彼女を見つめながらペロリと自らのくちびるを舐め、俺は彼女に告げる。


「俺、舐め癖のあるわるーいわんちゃんなので、いーっぱいキスしちゃうかもですけど、愛犬のやることなので許してくださいね?」


 こうして、馬鹿兄貴の尻拭いで悲しみに暮れた妖精姫を訪れた俺は、亡くなった愛猫キャシーを連想させる美しき妖精姫、フローラの愛犬となった———。

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