第7話
血のつながった家族はいないけど家族はいる。その子は体中が白くとても小さい存在だけど心の深いところまで繋がっていると思う。私が暗い路地裏で生活してたときからずっと一緒だったから。
それに私が一度病気で動けなかったことがある。その時、助けてくれたのはあの子だった。どこからともなくリンゴを拾ってきて、私の目の前に置いたの。リンゴの身はほとんど残ってなくて残飯のようだった。でも、その白い体が泥や埃で汚れているのを見ると自然と口角が上がっていたわ。
ボロボロの果実に手を伸ばし、噛り付くと甘味よりも苦みが口の中に広がったの。でもその時、心の錠が外れ、自分の内側に入ってきた感覚を初めて味わった。
そこからはあの子の……シロの力を使いながら情報を集めながら盗みをやり始めた。何故かシロと意思疎通ができるようになったから。効率は段違いに上がり、万能感を覚えた。でも、そんな日々はすぐに終わった。スラムにはスラムなりの流儀があるからって殴られた。
——何度も何度も何度も……。
今まで強者だと思ってた自分が崩れた瞬間だった。初めて赤い水たまりを見た。これで終わりなんだ。あの時の私の心には生への執着は全くなく静かな諦めが底に溜まっていた。
でも、偶然私は助かった。彼らよりも強者が突然現れ、すべてを蹂躙した。成す術なく私を殴った奴らが死んでいく様は爽快だった。
奴らを掃除した男がゆっくりと私のもとへ歩いてくる。どうにもならない絶対者が目の前にいる。自分の全てが男の決定次第。頭を過ったのは死の恐怖ではなく、純粋な憧れだった。
それが気に入られたのか私はスカウトされた。彼は暗殺協会という場所で私を暗殺者にしたいと言っていた。私の口からは『あなたのようになれるのか』という質問がいつの間にかこぼれていた。すると、彼は笑顔で『なれるさ』……そう言った。
その瞬間、再び錠は外れ、答えは決まった。
私は髪の中に逃げ込んでいた唯一ではなくなった家族を手の中に入れ、その体をしっかりと握った。そして、安堵した。小さな命の温もりが自らの大きさを誤認させてくれる。
本物の強者を知って、真になりたいものが見つかったと思った。あんな人間になれれば無知で傲慢を気取るまがい物とは一線を画すほどの極上の満足感を味わえるだろう。
私も——すべてを思い通りに蹂躙したい。でも、そんな歪んだ願いを胸の奥底にある宝箱にそっとしまった。だって、そんな醜さをあの人には見せたくなかったから。
私は精一杯の笑みを浮かべ、差し出されたあの人の手を強く握った。
四日目は結局収穫なく終わり、試験は五日目を迎えていた。期日までは今日を含めてあと三日。試験は佳境のはずだが何も事態は進展していない。ここまで平和に試験が進行するとは思わなかったな。まあ、今年の候補生は単純に合格を目指していない人間がいるからかもしれないね。
セリルはここ数日のことを思い返しながら階段を降り、食堂へと向かっていた。武器の手入れをしていたら時刻はすでに昼の十二時を過ぎようとしていたのだ。流石にそろそろ真面目に捜査しないとクロエあたりに見つかったら怒られそうだ。
セリルは苦い笑みを浮かべながら、食堂の暖簾をくぐる。すると、そこにはアシュリンとアメリアの二人がいた。少女たちの目の前には木で作られたチェス盤が置かれている。
「はい、チェックメイト」
「……投了」
アメリアがしたり顔でナイトを指で弄ぶ。アシュリンは負けたことが納得いっていないのかぶつぶつと何かを呟いている。
「まだまだ修行が足りませんなー」
「じゃあ、もう一回。次は仕留める」
静かな闘志を燃やすアシュリンは答えを聞くことなく、盤上の駒を初期の位置に戻していく。
「えー! もう飽きてきたよ。次の相手はセルセルにでもしてもらいなよ」
アメリアはセリルの方へ首を傾けると可愛らしく片目を瞑る。
「セリルとはやらない。負ける勝負はしない主義」
「それって私なら勝てると思ってたの!」
アメリアは心外だと言わんばかりに大げさなリアクションを取って見せる。しかし、アシュリンはそんな反応は意に介さず駒の配置を整え、再戦を目で訴えている。
桃髪の少女は困ったように頬を掻き、苦い顔をしている。あのアシュリンの様子からして説得はかなり難しいだろう。だが、何かを思いついたのかアメリアはにやりと口角を上げる。
「ねえ、アシュアシュ。チェスよりももっと面白いことしようよ」
「面白いこと?」
「そっ。最高の暇つぶしを思いついたんだ」
そう言うとアメリアは椅子から立ち上がり、セリルの腕を掴み、引き寄せる。
「題して——ドキドキ暗殺ゲーム! パチパチ」
アメリアは気味の悪いくらい明るい笑顔で手を叩いている。どうせろくでもないことを考えているに違いない。
「ルールは簡単。ターゲット役をアシュアシュ。暗殺者役を私とセルセルに分けてどっちが先にターゲットを仕留めるかを競うそれだけ。もちろん武器はゴム製のものを使うよ」
アメリアは腰に付けたポーチから緑色のゴム製ナイフを取り出した。何故持っているのかという疑問は浮かんだが話の腰を折るのはやめておこう。面倒なことになりそうだ。
「これにペンキを塗って先にアシュアシュの急所に色をつけるのが勝利条件ってことで」
「私は?」
アシュリンは乗り気なのか目を輝かせ、机に乗り出している。アメリアの顔には計画通りと書いてあるかのような笑顔が浮かんでいる。準備の周到さからしてチェスに飽きてきたら誰かを巻き込む気だったね。
「アシュアシュは制限時間まで逃げ切れば勝ち。時間はそーだなー。今から十七時まででどう?」
「おっけー」
「よし! それじゃあ、始めって行きたいところだけど……このままじゃセルセルの圧勝が間違いなしだよね。ハンデをつけなきゃ」
参加するとは一言も言っていないけどこの流れに逆らうのは骨が折れそうだ。セリルは好きにしろと伝えるように肩をすくめて見せる。
「ハンデはセルセルもターゲット役を兼任すること、私とアシュアシュにナイフ以外の攻撃禁止、そして……私はナイフ以外にこれを使わせてもらうよ」
アメリアは腰のホルスターに下げられていた一丁の銃を壁に向けて一発放った。軽い発砲音がなり、木製の壁には赤色の塗料がぶちまけられていた。
「それで? ボクが狩られた場合のペナルティーは?」
「その場に一時間待機でどうかな?」
「いいよ。それで勝者は何がもらえるのかな。何もないお遊びじゃ興ざめだろう?」
挑発するような口調なセリルに対してもアメリアは余裕の笑みを崩さない。まあ、予想通りってところだろう。
「勝者の特権は敗者に何でも一つ言うことを聞かせる権利にしようよ。あ、もちろん生死にかかわることやエッチなことはダメだよ」
アメリアは口の前で指を交差させばってんを作る。どこまで本気なのか分からないだ思いがけず面白いことになったね。アシュリンもいつの間にか準備運動を始めている。やる気十分なようだ。
セリルとアメリアの部屋へと行き、必要な道具と調達する。その間にターゲット役のアシュリンを校舎のどこかへと解き放った。今回のゲームの範囲は校舎から半径百メートル以内と決まった。このルールでは森へと逃げることができない以上主戦場は校舎内になりそうだ。遮蔽物のない校庭ではアメリアの格好の的になってしまうからね。
「さて、そろそろいいよね? セリルん?」
アシュリンが居なくなってからおよそ三分。彼女が身を隠すのには十分な時間だろう。
「いいんじゃ——」
了承を口にしようとした瞬間、赤い弾丸が顔の横を通過していく。赤いペンキが木目を汚し、飛沫が飛び散る。
「あまり汚さないで欲しいね。君たちとの思い出の場所は綺麗にしておきたいんだ」
「じゃあ、避けないでよ!」
間髪入れず四発の弾が発射される。しかし、完全に軌道を見切っているセリルは僅かな動きでペイント弾をすべて躱す。
「通常の銃より弾速は遅いんだから工夫しないと一生当たらないよ」
「やってみなきゃ分からないでしょ!」
アメリアは銃に弾を込め直すと、馬鹿正直に五回引き金を引く。セリルは溜息をつきながら体を捻り、流麗な動作ですべての弾丸を避ける。
「これならどうだ!」
アメリアはもう一丁の銃を構え、引き金を順に引く。数を増やしても当たらないのに。しかし、避ける以外にやることがないな。直接的な攻撃はできないし、どうしたものか。二発の弾丸が迫る中、呑気に考えていると妙な違和感が頭を過る。
——弾の速度が違う!
最初に発射した弾丸に後のものが追いこうとしている。そして、弾丸同士がぶつかり、ペンキが赤い剣のごとくセリルの喉元へと延びてくる。工夫と狂気が詰まった凶弾がセリルにチェックメイトを宣言していた。
——これを狙ってたのか!
セリルはギアを一段上げ、間違ってもペンキが付着しないように大きく後ろに跳んだ。しかし、何故かそこには赤い凶弾があつらえたかのように迫ってきている。流石、仕掛けを伴った戦い方は一流だね。だけど、一手足りないよ。
セリルは空中でゴムのナイフを抜き、ペイント弾の軌道を逸らそうと構えた。しかし、着地した瞬間、右足が木造の床を突き破りバランスを崩す。ナイフは空を切り、赤い凶弾が右胸に当たり弾けた。生涯を通しても数えるほどしかない攻撃の直撃にセリルの表情は石のように固まった。
「やったー!」
アメリアは無邪気に歓声を上げ、ダンスのようなステップで狭い廊下を跳ね回る。セリルはスーツにべったりとついた赤いペンキを人差し指で拭う。
油断はあった。だけど、それ以上に彼女がボクの行動を把握していた。どう思い、どう行動するかを完璧に図られていた。セリルは得も言われぬ感情を抱きながら赤く染まった指を壁に強く押し付け、ゆっくりとなぞる。
「あれれー? どうしたの、セリルん? らしくない表情だね」
アメリアは半笑いを浮かべながら顔を近づけてくる。嘲笑が入り混じった笑い声に僅かな苛立ちが湧きたつ。
セリルはゆっくりと息を吐き、一秒ほど目を閉じ、そして開ける。すると、心の波は凪いでいく。その様子を見たアメリアはつまらなそうに口を尖らせた。
「もう少しくらい遊ばせてほしかったなー。まっ、でも無敵超人のセリルんに一撃入れたのは気持ちよかったからいっか」
桃髪の少女の顔色は山の天気のように気まぐれらしい。忙しい子だ。
「もっと誇りなよ。今日この瞬間にボクに攻撃を当てた人間は片手で収まらなくなったんだからさ」
アメリアは蠱惑的な笑みを振りまき、今一度圧倒的な満足感を噛み締めるように目を細める。
「そうなんだ! 今からアシュアシュに自慢しに行くよ。じゃあ、セリルんはそこで一時間待機ね。道具やタオルは私の部屋にあるのを使っていいよ。準備してあるから」
それだけ言うとアメリアは軽やかに駆けだした。その足取りはいつもより楽しげでその心中が伺える。
少女の姿が見えなくなることを確認するとセリルは冷たい木の床へと倒れ込んだ。
「油断……いや、慢心してたね」
彼女たちは強い。そう思っていながらも自分には及ばない……と知らず知らずのうちに考えていたようだ。そりゃあ、コトノハにみんなでならボクを殺せるって言っても信じてもらえないわけだ。
反省しつつも、視線を横に滑らせ、壊れた床に移す。じっくりと飛び出した木材を見ると切れ目が入っている。しかも、それがバレないように上から色を塗ってある。丁寧な仕掛けだ。
さて、そんなアメリアが次の行動を考えていないわけがない。もしかしたらこの一時間で勝負は決してしまうかもしれない。
「もしそうなったらそれまでさ」
天井に向かってぽつりと呟く。ボクは今すべきなのはこの一時間でゲームが終わらなかった場合の戦略だ。これだけ綺麗に嵌めれたんだ。ボクも先生として彼女の想定を超えなくてはね。
セリルは思考を巡らせながらにやりと笑った。
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