滅びの夜
「姫様! 姫様!」
深夜、草木も寝静まったであろう頃、ランサスは部屋付きの侍女に起こされた。その声音にただならぬ気配を感じて、ランサスの意識が一気に覚醒する。
「どうした?」
「騎兵団の副団長がお呼びです。至急、戦支度を整えて物見の塔へ来て頂きたいと」
「……! 分かった。支度を頼む」
「はい」
伝言を携えただけの侍女に理由を問うような無駄な事はしない。ランサスは寝台から身体を起こし、自分で寝間着を脱ぎ始める。
「あと、城の全員に伝えて。手の空いている者は、籠城戦の準備を」
「……! わ、分かりました!」
城の不穏な雰囲気に不安げな侍女であったが、ランサスの指示でこれから何が起こるのか察したようである。王女の戦支度を用意し始めた他の侍女たちと入れ替わりに、慌ててランサスの私室を飛び出していった。
動きやすい軽甲冑に肩当と手甲、脛当、腰には愛用の細剣。
普段から男のような格好をしているランサスであるが、戦装束を身につけると、完全に男と見紛う格好だ。
そんな勇ましい戦支度を整えたランサスは、物見の塔の最上階に足を踏み入れた。
そこにいたのは、王城の留守を預かる騎兵団の副団長、王国の魔道士を束ねる魔法師団長、そして王国の神事を与かる神殿長である。副団長の背後には元騎兵団長のルートもいたが、剣術指南役は名誉職でもある為、この場で発言する立場ではない。だが、頼もしい存在である。
宰相はいない。現在の国王は戦だけではなく、政治の場でも親政を執り行っていた。だから、ランサスを含めてここにいるのが、今現在のこの国の首脳である。
「何があった?」
物見の塔。そこは城の中で一番高く、四方が見渡せる。だが今夜の塔の窓からは、二つある月の双方が大地の向こうに沈んでおり、星明りだけの暗い世界が広がっていた。窓から見える地上は、漆黒の闇に覆われている。
しかし、ここが物見の塔と呼ばれているのは、見晴らしが良いからだけではない。
部屋の中央の床には地属性を中心とした魔法陣が描かれており、それに重なるように王国の地図が描かれている。
「東の結界が破られました」
物見の塔付きの魔道士が、分かっている事を端的に述べた。
床を見れば、王国の地図の中で東の国境付近が淡く光っている。
この国の各所には風属性の結界が張られており、地属性の魔法陣と連動させる事で、侵入者が現れた事を早期に知ることが出来るのだ。
建国時、王の盟友である竜が遺したものとされている。
東の結界が破られた。それは、東から侵略を行なった者がいるという事である。
「東なのか!? 南の小大陸ではなく?」
「はい。黒竜の眷属による侵攻ではありませぬ」
黒竜。
それは二百年前、パテル王国のある大陸から、海を挟んで南に少し離れた小大陸に発生した災厄である。
邪悪な魔力を振りまく黒竜は、主に大陸の山間部に生息する火竜が突然変異したもので、魔法を自在に操る知恵を持った竜であったという。
その黒竜が、無数の魔獣を引きつれて大陸に侵攻してきた。
当時、大陸にあった七つの小国はあっという間に滅亡し、そのうち二国の王と民は東の山を越えて隣国に庇護を求めた。
災害というにはあまりにも熾烈な暴威によって、人の生存圏は脅かされた。国は国の態を成し得ず、人々は魔獣を避け、肩を寄せ合って生きるしかなかった。
だが、黒竜の侵攻から数年後、傭兵を生業とする一組の夫婦が、竜の盟友を得て黒竜を倒した。
傭兵夫婦と竜が、どのような盟約を交わしたのか、詳細は語られていない。だが、竜の加護を得た傭兵夫婦と、人の姿に似た竜人と化した竜によって、魔獣の暴威は大陸から一掃され、黒竜は小大陸に封印された。
その後、傭兵夫婦は残存する魔獣を掃討しながら滅びた七国を統合し、竜の加護を背景に王国を建設した。そして、傭兵夫婦が率いていた傭兵団の六人の勇者は、それぞれかつて滅びた残りの六国を治める事となったのである。
大陸には平和が訪れたのだが、黒竜の封印から漏れた邪気によるものなのか、時折り小大陸から海嘯のように魔獣が押し寄せる事があった。しかし、その度に竜の加護を持つ当代の国王夫妻が追い払ってきたのだ。
これが、パテル王国の大まかな建国史である。この国に生きるものならば、子供でも知っている英雄譚だ。
しかし、黒竜の脅威とは別に、パテル王国は隣国のエイフィッド王国とも不和の種を抱えていた。
百五十年前、東に逃げた小国の子孫が、エイフィッド王国の支援の下、領土の返還を求めてきたのだ。
しかし、パテル王国にしてみれば、自分たちで黒竜と魔獣を追い払ったのに、逃げた連中が今になって帰ってきて、領土を主張するなど納得がいかない。
また、エイフィッド王国にしてみれば、支援という名目で二国を属領とし、王国の版図を切り取ろうという目論見があったのだろう。
そして、国境の東の山の麓で始まった小競り合いは、本格的な領土戦争となった。
その際、三代目の国王と王妃が、エイフィッド王国による侵略の最前線で戦った。
黒竜や魔獣が相手ならまだしも、人間の軍隊が相手なら、竜の加護を継承している国王夫妻は無敵の存在である。
当時の軍記では、国王夫妻がエイフィッド王国の騎士団千人を殲滅したと記録されている。
軍記というものは、大抵が大袈裟に語られるものである。だが、話半分であったとしても、二人で騎士団を殲滅した事には変わりがない。
以来、竜の加護を持つパテル王国の国王夫妻は、隣国にとって恐怖の象徴となった。
その、王と王妃が向かった東から、侵略してきた者たちがいるという。
「バカな……! 父上と母上は?! 騎兵団はどうしたんだ!」
「それは……」
言わずもがなという事なのか、誰も答えない。あるいは、恐ろしくて口に出せないという事なのだろうか。
「申し上げます!」
物見の塔に満たされた重い沈黙を打ち破って、伝令の兵が駆け込んできた。
「どうした!」
沈黙が耐え難かったのか、副団長が食い気味に問い返した。
だが、勢いよく飛び込んできた伝令は、すぐには報告をしなかった。言いにくそうに、苦しそうに言葉をひねり出す。
「……東の国境へ向かっていた騎兵団は壊滅。国王陛下、王妃殿下は……」
言い淀む兵士。
「国王陛下は?! 王妃殿下はどうされたのだ?!」
「……亡くなられました。敵の……、敵魔道士の恐るべき魔法によって……」
ランサスの視線が、自然と窓の外へ向いた。まだ明ける気配のない東の空へ。
その先で、父と母が隣国の兵士相手に戦っていたはずだ。いや、人の身で竜の力を振るう二人が行なっていたのは、一方的な虐殺であったのかもしれない。
だが、攻め込んできたのはあくまで隣国だ。手を出さなければ、こちらから攻める事などしない。
殴られたから、殴り返す。ただそれだけの話である。
力の差は大人と子供より遥かに大きいが、殴りかかってきた子供を大人が殴り返すのなら、二度と殴りかかってこないように力を見せつけなければならない。
いや、そもそも子供ではないのだから、殴りかかってきたのなら、どのように殴り返されようとも甘んじて受けなければならないのだ。
それが、傍から見れば虐殺に見えようとも。
王と王妃が最前線で戦う事によって、パテル王国の兵士には被害がほとんどない。
だから建国以来、魔獣が相手でも、人間が相手でも、王と王妃は王国の剣であり続け、その結果、パテル王国軍の兵士の死者は、戦の規模に比べても驚くほど少なかった。
「……死んだ?」
それが、失われた。
竜の加護が無くても無敵の強さを誇った父と母が、死んだ。
ランサスの脳裏に、昼間のルートとの話が思い返される。
竜の加護を持った父と母が負けるなど、想像もできない。だが、数で押し潰されたら?
その時、ランサスは否定した。だが、あの問答の後、こう続けるべきであったのだ。数で押し潰せないのなら、他の手段で押し潰されたら?
エイフィッド王国の魔道士は、竜の加護を打ち砕く魔法を新たに編み出したのだろうか。それとも、単に数で押し潰したのだろうか。
伝令の報告だけでは分からない。
分かるのは、父と母が死んだという事。
隣国の脅威が迫っているという事。
今やる事、やらねばならない事を考えて、ランサスは決然と顔を上げた。
「うろたえるな!」
物見の塔に満ちていた、あやふやな空気が吹き飛んだ。
この国に生きる者たちは、良かれ悪しかれ国王という存在に依存している。それが失われる状況など、想像もした事が無いに違いない。ランサス自身もそうである。
だから、この国には王が必要だ。
竜の加護を身に纏い、王国を守る者が。
「今すぐ戴冠式を行なう! 略式で良い! 竜の加護を得る為の契約魔術が編まれた部分だけでも執り行う! 神殿長、魔法師団長、準備せよ!」
「ひ、姫様、まさか……」
先々代の王の頃から務めている老齢の魔法師団長が、驚いたように問い直した。
「私が王になる。女だから女王だな」
「し、しかし……、国王陛下と王妃殿下の安否が……」
「報告が間違いかも知れぬと? 戦ならばよくある事だな。だが、事実であった場合、どうなる?」
「そ、それは……」
それまで沈黙していたルート元騎兵団長が一歩進み出た。
「魔法師団長。間違いであった場合は、慌て者と笑って済ませられる。取り返しがつく。だが、事実であったのなら……いや、その可能性は高いが、手をこまねいていては取り返しがつかんぞ。戦場ではなおさらだ」
「ルート殿……」
あれこれ言い募ろうとする魔法師団長に対して、ルートは戦の流儀でばっさりと切り捨てた。
「そういう事だ。急げ!」
「は、はっ! かしこまりました!」
ルートの叱咤を受けて、魔法師団長と神殿長は物見の塔の最上階から急ぎ足で出ていった。近侍の者たちへ、矢継ぎ早に支持を出す声が遠ざかっていく。動き出すまでは迷いも逡巡もあったのであろうが、やる事が決まれば動きは速い。二人とも、この国を支えてきた者たちなのだ。
「我らも行こう」
「お供いたします、姫様」
「ありがとう、ルート」
腰の細剣の柄を握りしめ、ランサスも魔法師団長と神殿長の後を追うように物見の塔の最上階を後にした。
塔の内側に造られた螺旋状の階段を、王女は剣の師と共に降りていく。
「……すまないな、ルート」
「何が、でございますかな」
「お前の勧め通り、私がさっさと結婚していれば、私と王配となった者とで、竜の加護を得られたのにな。私一人では、単純に戦力比が半分だ。六支国からの縁談など、山のようにあったのに」
「はっはっは! それは無理でありましたな」
「な、何がおかしい! 笑うところじゃないだろう!」
「失礼ながら、姫様はじゃじゃ馬ですからな。姫様を御せるような男など、支国の貴族たちには居りませなんだ」
「んなっ!」
「貴族の嗜みとして、また王配候補として剣の腕に秀でた者たちは居りましたが、残念ながら、いずれも姫様より強くなかった。姫様は、同世代の中で最強であらせられます」
「それは……姫としてどうなんだ?」
「さて、支国の貴族や他国ではいざ知らず、我がパテル王国では王の直系は強くなければなりません。男女に関わらずです。ゆえに、姫様はその強さを誇りに思われるがよろしいでしょう」
「上手く乗せられたような気もするが、納得してやろう」
ルートの心配りに感謝しながら、ランサスは表情を引き締めた。
「……納得せざるを得ないな。今の、この状況では」
「はい。心中、お察しいたします。いずれ、姫様にも良き人が現れるでしょう」
「そう願いたいものだ。その為にも、まずは竜の加護を得なければ」
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