僕はベンチに座り、薄らと顕れた星々を眺めていた。鼻呼吸の音だけが鮮明だった。

サルバドール。

サルバドール。

僕を呼ぶ声がした。エレノアが起きたようだ。僕は「はい」とだけ返事をして、家の中へ這入った。すると、僕を探すために眼を忙しくさせている彼女がいた。


「あっ、サルバドール。さっきは御免なさい。」


「いえいえ、人間の体です。いつ何が起こるかなんて、分かりませんから。」


「本当にありがとう…。」


「もう、大丈夫なの?」


「ええ、もう落ち着いたわ。」


「いつも、あまり部屋から出ないから…。」


「そうか…。訪ねてしまって、申し訳ない…。」


「いいのよ…。」


「ここから見る星は綺麗だね。僕の住む街は、こんなに早くから顕れないよ…。」


「ここは、標高が高いからね…。」


「そうなんですか…。」


「うん…。」


「それで、さっきの話なのですが…。お引き受けします…。」


「え。本当に良いの?」


「はい…。ただ、どこへ、何で行くのかが問題ですけど…。」


「少し南へ行くと、砂漠の民がいるの。エムレンという人を訪ねてみて。彼は飛行機を持っている筈…。」


「砂漠の民って、危険な人々ですか?」


「いいえ、とても親切な方々よ。」


「では今度、訪ねてみます。」


「本当に良いのよね。」


「え。ああ、はい…。」


「ありがとう。そういえば、あなたは確か、砂漠と草原の交わる当たりから、歩いてきたのよね?」


「ええ…。」


「ラクダに乗った人達を見なかった?」


「いいえ、見てませんね。」


「そうなんだ…。じゃあ後で、どこへ、何をしに行って欲しいのか、教えるね。」


「はい…。では…。」


「ありがとう。よろしくね…。」


空には夜鷹が飛んでいた。星は輝いていた。彼女との会話を終え、僕は自分の靴を見詰めていた。ある瞬間、僕はある考えに至った。人間というものは、不思議だ。慣れというものは恐ろしい。その恐ろしさを纏った存在であることが、肉体的な必然だとしたら、今の人間というものは、随分ケチなものだ。そこにあるのは、いつも分別だけである。


 僕は突然、体が内面から引っ張られるような感覚に襲われた。苦しくは無い。ただ、感じるのだ。


「サルバドール…。体が半透明になっているわよ…。」


「何を言ってるんだい?」


「見てみて…。」


僕は足下を見た。確かに半透明になっている。矢張りこれは夢なのか。僕の心は自由を感じた。あらゆる束縛からの開放と軽薄さにコーティングされた罪悪が起こった。寒々しさの中で、僕は彼女の方を見た。また、今度ね。と彼女は言う。僕は少し笑みを浮かべた。そして視界が暗闇に覆われていくのを感じた。背中に感覚があるのが分かる。暗い。暗いんだ。それで、あたたかかった。只。


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