⑦
僕はベンチに座り、薄らと顕れた星々を眺めていた。鼻呼吸の音だけが鮮明だった。
サルバドール。
サルバドール。
僕を呼ぶ声がした。エレノアが起きたようだ。僕は「はい」とだけ返事をして、家の中へ這入った。すると、僕を探すために眼を忙しくさせている彼女がいた。
「あっ、サルバドール。さっきは御免なさい。」
「いえいえ、人間の体です。いつ何が起こるかなんて、分かりませんから。」
「本当にありがとう…。」
「もう、大丈夫なの?」
「ええ、もう落ち着いたわ。」
「いつも、あまり部屋から出ないから…。」
「そうか…。訪ねてしまって、申し訳ない…。」
「いいのよ…。」
「ここから見る星は綺麗だね。僕の住む街は、こんなに早くから顕れないよ…。」
「ここは、標高が高いからね…。」
「そうなんですか…。」
「うん…。」
「それで、さっきの話なのですが…。お引き受けします…。」
「え。本当に良いの?」
「はい…。ただ、どこへ、何で行くのかが問題ですけど…。」
「少し南へ行くと、砂漠の民がいるの。エムレンという人を訪ねてみて。彼は飛行機を持っている筈…。」
「砂漠の民って、危険な人々ですか?」
「いいえ、とても親切な方々よ。」
「では今度、訪ねてみます。」
「本当に良いのよね。」
「え。ああ、はい…。」
「ありがとう。そういえば、あなたは確か、砂漠と草原の交わる当たりから、歩いてきたのよね?」
「ええ…。」
「ラクダに乗った人達を見なかった?」
「いいえ、見てませんね。」
「そうなんだ…。じゃあ後で、どこへ、何をしに行って欲しいのか、教えるね。」
「はい…。では…。」
「ありがとう。よろしくね…。」
空には夜鷹が飛んでいた。星は輝いていた。彼女との会話を終え、僕は自分の靴を見詰めていた。ある瞬間、僕はある考えに至った。人間というものは、不思議だ。慣れというものは恐ろしい。その恐ろしさを纏った存在であることが、肉体的な必然だとしたら、今の人間というものは、随分ケチなものだ。そこにあるのは、いつも分別だけである。
僕は突然、体が内面から引っ張られるような感覚に襲われた。苦しくは無い。ただ、感じるのだ。
「サルバドール…。体が半透明になっているわよ…。」
「何を言ってるんだい?」
「見てみて…。」
僕は足下を見た。確かに半透明になっている。矢張りこれは夢なのか。僕の心は自由を感じた。あらゆる束縛からの開放と軽薄さにコーティングされた罪悪が起こった。寒々しさの中で、僕は彼女の方を見た。また、今度ね。と彼女は言う。僕は少し笑みを浮かべた。そして視界が暗闇に覆われていくのを感じた。背中に感覚があるのが分かる。暗い。暗いんだ。それで、あたたかかった。只。
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