第5話 救い

 影彦はここ二、三日、中臣氏(なかとみうじ)の館の庭を覗いても時姫を見かけないので不思議に思っていた。

「時姫は、いつも庭で日向ぼっこをしていたのに、どうしたのだろう? なにかあったのか?」


 夕暮れ、影彦が農作業から帰るときに人々が集まっていることに気づいた。影彦はなんとなく気になって人々の話に耳を澄ませた。

「……とうとう、中臣氏のお嬢様が供えられたらしい」

「……それじゃあ、この流行り病もおちつくんじゃないか?」

「……ありがたいことだ」


 影彦は胸騒ぎがして、人々に声をかけた。

「中臣氏のお嬢様が供えられたというのは本当か!?」

「おお、影彦か。お前の仲良くしていた時姫様が、われらのために身をささげてくださったそうだ」

「……なんということだ……! 時姫はどこに供えられたのか知っているか!?」

「噂では、川向こうの山の祠(ほこら)と聞いたが……」

「……時姫!」


 影彦は家に帰り小刀と松明を袋に入れると、闇に紛れて川向こうの山の祠に向かって駆けだした。道の途中で山犬や鹿とすれ違い、肝を冷やされたが影彦は歩みを止めなかった。

「時姫、すまない。無事でいてくれ!」

 影彦は山に入り、祠へと進んで行った。


 祠の入り口で松明に明かりをつけ、中に進んだ。

「……だれか、いるか?」

 影彦は祠の奥に進みながら、人の気配を探った。

「……誰か……」

 影彦の声が闇に吸い込まれる。


「……誰?」

 祠の奥から、か弱い声が聞こえた。

「時姫か?」

 影彦は早足で奥に進んだ。


 松明で照らすと、祠の奥に何かの影と神棚がうすぼんやりと見えた。

「時姫?」

「……影彦?」

 影彦は松明を影に向けた。光に照らされたのは白い髪の女性、時姫だった。

「時姫! 無事か!?」

「影彦!」


 影彦に走り寄ろうとした時姫を、黒い靄のようなものが引き留めた。

「影彦……!」

 時姫はその場に座り込み、黒い靄のようなものに包まれる。


「時姫!」

 影彦は時姫に駆け寄ると、その体を抱きしめた。破邪の腕輪が震えた。

「この黒い靄のようなものは……?」

 時姫を包む黒い靄を追い払うように、影彦は手を動かしたが靄は消えない。

「どこからこの靄は生じているのだ!?」


 影彦は靄の出所を探った。靄は細くご神体の鏡から生まれ出ていた。


「ご神体が、穢されている? どうすれば……?」

 影彦は時姫をかばうように抱きしめたまま、鏡に近づいた。

「影彦、破邪の腕輪を外して鏡にかざして。そのまま鏡にお神酒をかければ、きっと鏡の穢れが払えると思う」

「わかった。時姫、もうすこし堪えてくれ」


 影彦は時姫から離れると、破邪の腕輪を鏡にかざし、鏡にお神酒を注いだ。破邪の腕輪にはめられた勾玉が発光し、砕けると同時に靄が消えた。


「時姫! 無事か!?」

 影彦が松明の光を時姫に向ける。時姫は力ない笑みを浮かべた。

「影彦……来てくれて……良かった」

「時姫!」

 影彦が時姫を抱きしめる。ぐったりとした時姫が、鏡を指さした。


「なにか、映っているわ、影彦」

「え!?」

二人が見つめる鏡の中に、青白い炎が浮かんだかと思うと、得体のしれない声が響いた。

「人の子よ、鏡の穢れを払ったのか? それならば褒美に願いを一つかなえよう」

「貴方は?」

「我はアメノコヤネの命(みこと)の使いだ。願いはないのか?」


 影彦が言葉を失っていると、時姫が言った。

「私たちは、二人で一緒に生きていきたいのです」

「そうか」

 時姫が影彦の目をみつめる。影彦が頷いた。

「私たちの願いは、それだけです」


「分かった。その願い、かなえよう」

 時姫と影彦の胸元が光り、同じ形の赤いあざが刻まれた。

「そのあざは、魂をつないだ証だ。お前たちは共に生きることを我が命じる」

「……私たちは、どうすれば良いのですか?」

「村に戻り、共に暮らすがよい。そなたたちを分かつものには天罰を下そう」

「……ありがとうございます」


 声が消え、鏡の中の炎も消えた。

「……帰ろう、時姫」

「ええ、影彦」


 二人は手を取り合い、祠を後にした。

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