第36話 覚醒
大量の血液が流れ落ち、大地に血溜まりを作っていく。
敵が何かを喋っているが、アリシアには意味を聞き取る力が残されていなかった。
……これで終わり……ですか。
アリシアは己の身に迫った死を予感していた。
心臓は貫かれ、血を大量に失っている。確実に致命傷だ。
もはや回復魔術を使う力さえも残されていない。
全身から激痛が引いていく。
穴が空いた心臓も、天衣無縫によって負荷が掛かっていた身体も感覚が失われていく。
手に握った
視界が暗く、霞がかったように澱んでいく。
そんな時、脳裏に様々な光景が蘇った。
……これ……は?
それはアリシアの経験してきた過去。
記憶だった。
父から剣を習った記憶。
母から誕生日のプレゼントをもらった記憶。
戦闘訓練を行っていた時に窮地に陥った記憶。
生意気な
シンに剣を教えてもらった記憶。
第一騎士団長に任命された時の記憶。
シンにとっておいたクッキーを食べられた時の記憶。
シェスタとシュバインが大喧嘩した時に仲裁した記憶。
シンが第三騎士団長に任命された時の記憶。
親友たちと休日に出かけた記憶。
様々な光景が
どれもがかけがえの無い思い出だ。
楽しいことも、辛いこともあった。後悔した事も数えればキリがない。だけど胸を張っていい人生だったと言える。
しかし最後に浮かんできた記憶に、アリシアは心が苦しくなった。それはシンが死塔流しの判決を受けた時の記憶だ。
――シン。本当にこれでいいんですね?
――はい。これは俺の罪です。誰にも渡すつもりはありません。
まるでその場にいたかのように、鮮明に思い出せる。
アリシアはあの時のシンを忘れられない。全てを諦め、裁きを求める人間の目をしていた。
だからあの時は引き止められなかった。
シンがそれを望んでいたから。だがアリシアがシンを引き止めなかった事を後悔しなかった日はない。
それが一番の後悔で心残りだ。
アリシアはシンが大量殺人なんていう馬鹿げた罪を犯すとは思っていない。
人を殺したことは事実だろう。
それはアリシアの部下が港町エーカリアの惨状を確認しているから知っている。だけどそれには止むに止まれぬ理由があった筈なのだ。
……そうでも無ければシンが人殺しなんて。
だから引き止めて、何があったのかを強引にでも聞き出すべきだった。それが親友である自分の使命だったとアリシアは思う。
だけど過去は覆らない。
できる事があるとすれば
……そうだ。
だからアリシアは死ねない。死ねない理由がある事を思い出した。
……私はシンの名誉を取り戻さなければならない。
その瞬間、暗闇の中に一条の光が灯った。
……あれ……は?
光はとても温かかった。
大量の血液を失い、冷たくなった身体に熱が戻っていく。熱が戻ったのなら身体を動かせる。
アリシアは吸い寄せられるように光へと手を伸ばした。
ヴィクターは魔力の高まりを察知し、大きく後退した。
「……なんだ?」
予想だにしない現象。長年の経験から、あそこからの巻き返しは無いとヴィクターは確信していた。
しかし致命傷を負ったはずのアリシアからは、今や莫大な魔力が溢れ出している。
およそ瀕死の人間が発する魔力量では無い。
しかしヴィクターにはこの現象に覚えがあった。かつて己の身に起きた現象だ。
ヴィクターはその顔に好戦的な笑みを浮かべ、口端を吊り上げた。
「まさか! まさか……! 覚醒したというのか!? この土壇場で!? 貴殿は最高だ! 姫騎士アリシア=ハイルエルダー!!!」
それは天恵の覚醒。
アリシアの内で眠っていた才能が開花した瞬間であった。
アリシアの身体から光の柱が立ち昇った。
そして一際大きく波打つと、胸に空いた穴が塞がっていく。そこでアリシアは意識を取り戻した。
ゆらゆらと立ち上がると、自分の身体を見回す。
そして自分に起きた現象を正確に把握した。
……これが天恵ですか。
後天的な覚醒。
それは英雄によくある特徴だった。
強すぎる天恵は幼い頃に発現すると、身体が耐え切れずに身を滅ぼす。故に強力な天恵は生まれてすぐに非活性化状態となる事が多い。
そして月日が経ち、何らかの出来事を
「……
アリシアは自らの天恵を口ずさむ。
後天的に覚醒した者は天恵の名前と能力を瞬時に理解する事ができる。だからアリシアは全身に魔術式を再び記述した。
――光属性固有魔術:
アリシアの身体を光が包み込む。
本来ならばすぐに耐え難い激痛が襲い来る。その為、回復魔術を併用するのだが今回は激痛が襲って来なかった。
アリシアの天恵は、強大な敵に立ち向かい続ける為の天恵だ。
生半可な痛みなど感じず、負荷で壊れた肉体は瞬時に再生する。
今ここに天衣無縫のデメリットは無くなった。
「――光よ!!!」
アリシアが
そしてヴィクターに向ける。
「……行きます」
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