中華幻想小説集

鯖虎

第一集 禁看之舞、禁説之言 上

「時が来たら、この窓を開いて音曲と共に舞をお見せする。それ以外は絶対にここを開けるな。蓮香れんこうよ、わかったな?」

 小蘭しょうらん婆さんは私の顔と体をじろじろと舐めるように見ながらそう言った。

 品定めされているみたいであまり気分は良くないけど、お務めの一部だから仕方がない。

 と言われたのは、大きなお堂の奥の部屋にある、壁に付けられた小さな窓だ。

 蝶番が付いた、しっかりした作りをしている。

 小窓がある部屋は、立派な朱塗りのお堂の中でもひときわ豪華な物。

 赤、青、緑、金、銀、宝玉で華々しく飾られていて、私のボロ家とは違う世界にあるみたい。

 私は舞うのだ――この夢のような舞台で。

「あの、覗くとどうなるの?」

「そんなこと考えるな。興味を持つな。変に興味を持つと、呼ばれてしまうよ。大変なことが起きたらどうするんだ」

 興味を持つな。

 そう言われても、って話だ。

 呼ばれるというのは、舞をお見せする神様にだろうか。それで興味を持つなは無いだろう。 

 天山てんざんの中腹に小さな村を作って暮らす私達は、大体月に一度ぐらい、帝江ていこう様に舞をお見せする。

 帝江様は昔からこの山におわす神様で、音楽と女の子の舞が大好きで、時々お見せしないとお怒りになる。

 私達は山で採れる宝玉や金属を加工して暮らしているけど、お怒りになると、彫刻にしている最中の玉が割れたり、鉄を作る炉の火が消えてしまったりするらしい。

 だから神様のご機嫌を取るために女の子が楽器を演奏し、それに合わせて踊るのだ。交領みぎまえじゅをはだけて胸をあらわにして、変な所に切れ目の入った際どいくんを履いて。

 なんだかなぁとは思うけど、畑なんて大して耕せないこの土地じゃ、玉や鉄で生きるしかない。

 だから、帝江様の合図としてお堂に置かれた水晶が光ったら、急いで舞をお見せするのだ。

 踊り子は、帝江様が飽きないよう時々変わる。

 この間までは瑛月という姐さんがやっていたけど、三年もやったから交代だという話になって、色が白くて、顔と体の綺麗な娘の何番目かとして私が選ばれて、踊り方を教えてもらった。

 最初は悪い気はしなかったけど、踊る自分を想像すると、やっぱり少し嫌だった。

 だって、私はまだ男らしい男と遊ぶどころか、ろくに口を利いたことも無い。それなのに、いきなり変な格好で踊るのだ。

 せめて、ちょっとした好奇心を満たすぐらいはいいじゃない――そんな風にも思ってしまう。

「じゃあさ、帝江様ってどんな恰好なの?」

「言わないよ。興味を持つなと言ったろう」

「あんまり内緒にされちゃうと、余計気になっちゃうなー、なんて」

「駄目だ。どうせ一月もしない内に踊るんだから、それで良いじゃないのさ。帝江様の踊り子をやったといやぁ、この辺じゃ美人の証なんだ。選び放題なんだから、イイ男のことでも考えてな」

「えー?」

 ちょっとむくれてみたけれど、小蘭婆さんはさぁ帰った帰ったと、私をお堂の外へと追いやる。

「帰りに里長りちょうの所に寄って、踊り子になった証文を貰うんだよ! それが無いと、税を減らしてもらえないからね!」

「はぁい」

 わざとらしくトボトボと歩いてみたりもしたけれど、可哀想に思った小蘭婆さんが私を呼び止めて知りたいことを教えてくれる、なんてことは無かった。

 小蘭婆さんも昔は可愛くて、恋い焦がれる男が列をなしたというから、小娘の手の内は見透かされているのかもしれない。百戦錬磨の元小娘は誤魔化せない、ということか。

 諦めて里長の屋敷に寄ると、娘の瑛月ねえさんがもてなしてくれた。私より二つ年上で、もうすぐお嫁に行ってしまう。

 前の踊り子だった、綺麗な人。

 当然村の男達が大行列だったけど、美人なうえに詩や琴も上手だったから、太守たいしゅ様の次男の所に行くことになった。

 里長が奮発して教師を何人も雇った時は心配になったけど、かけたお金は何十倍にもなって返ってくるだろう。

 お金持ちになると決まった姐さんは、家の中なのにばっちり化粧をして、高そうな絹の青い襦裙を着ていた。

「ふふ、おかしいでしょう、家の中でこんな格好して。本当はこんなの恥ずかしくって嫌なんだけどね、慣れておけって、お父様が言うから。私は皆と同じがいいのに」

 おしとやかな口調でそう言う姐さんの顔は、口元がやけに緩んでいる。これは――嬉しいのだ。

「またまたそんなことを。本当は?」

 私よりいくつか年上の姐さん達の中で、瑛月姐さんは少し浮いている。

 人一倍頭が良くて、習い事も上手で、見た目も綺麗で、街の役人とも繋がりがあって――

 口には出さなくても、邪魔だな、と思っている人が沢山いるのは、どうしても分かってしまう。

 だから、喜びを分かち合う相手も難しい。

「すっごく自慢したい。どう? 絹。触る? すごいよ」

「触る。うわぁ、え、へぇー。ね、肌着も?」

「絹。すっごいの」

「え、なんだろう。なんていうか、すべすべ?」

「すっごい」

「えぇ……すっごいんだ」

 あの博識で文才もある姐さんが、さっきからすごいしか言ってない。高い服って、そんなに良い物なんだ。

 帝江様の踊り子をしっかりやったら、私も少しはお金のある所に行けるだろうか。

 今は食べる物には困らずに済んでいるけど、それでも絹どころか木綿の服だって、新しい物は何年も身に着けてない。

 踊りの衣装も絹だけど、あれは、私のために私を綺麗に見せる物ではない。

 なんというか、帝江様――他人が悦ぶための物であって、綺麗なの飾りに過ぎない。

 そうまでして尽くす相手だ。

 一体、どんな存在なんだろう。

「いいなー。踊り子やったら、私も絹の服着れるようになるかなー。あのさ姐さん。帝江様って、どんな見た目なの? 怖かったりする?」

 軽く、あくまで軽く流れで聞いてみたつもりだったけど、今まで優しく笑っていた姐さんの顔は、はっきりと引きつっていた。

「蓮ちゃん、なんでそんなこと聞くの?」

「だって気になるよぉ。神様だもん。姐さんは気にならなかったの?」

「気にしちゃ駄目! 呼ばれちゃうよ!」

「わかった! 本当は姐さんも見たんでしょ。それで良いことあったから秘密にするんだ。いいないいなー、ずるいなー」

 私は何の気なく、本当にただ軽い気持ちでそう言った。そうしたら、姐さんの顔はみるみる赤くなって、見たこと無いぐらい怖い目で睨まれた。

「何、何が言いたいの」

「いや、何って」

「私が帝江様とみだらなちぎりを交わして良い家にお嫁に行ったとか、小窓の向こうで太守様としてたとか……あなたまでそんなこと思ってるの。あなたはそういう子じゃないと思ってたのに」

「ちが、違うよ姐さん」

「みんな……本当にみんな、私の気持ちも知らないで。どんなに頑張ったって、家が良くてずるいね、美人で良いねで片付けて」

「あの、あの、ごめんなさい。私、あの」

 そこから言葉が続けられなくなって、耳も頬も怖いぐらい熱くなった。

 なんて言ったらいいのかも分からなかったし、微かに――本当に微かに心の奥底にあった、姐さんは家がお金持ちだから運が良いよね、とか、私が友達になってあげよう、という気持ちが見透かされた気もした。

 黙り込んだのが、良かったのか悪かったのか。

 姐さんは目を伏せて小さくため息をついた。

「ごめんね蓮ちゃん。変なこと言っちゃったね」

 目元が全然笑ってないけれど、一応は優しい言葉をかけてくれた。私はもう一度頭を下げて、ごめんなさいと言ってみる。

 顔を上げると、姐さんは悪戯を思いついた子供みたいな顔で私を見ていた。

「ねぇ蓮ちゃん。私変なこと言っちゃったから、お詫びに良いこと教えてあげる」

 そう言って立ち上がった姐さんは、ぐるりと机を回って、私の隣の椅子に座った。

 そして、しなだれかかって私の耳元に口を寄せる。息がかかってくすぐったくて――

「あっ」

 びくりと肩が震えてしまう。姐さんは面白がるように小さく笑って、囁くようにこう言った。

 帝江様はね……黄色くって、ぷにぷにしてて、とっても可愛いの。それにねぇ、小窓を覗くと、とっても良いことがあるみたい。でもまぁ、決まりだし、大変なことが起きちゃうからね、――

 それだけ言って、姐さんは体を離して椅子から立ち上がってしまう。

「私これから琴のお稽古だから、行かなきゃいけないの。暗くなるから、帰り道気をつけてね。 

 そう言い残してつかつかと、部屋の外へと歩いていく。ひらひらと揺れる裾の動きは、踊ってるみたいでとても綺麗だ。踊り、踊り、帝江様――

 黄色くって、ぷにぷに。

 良いことがあるかもだけど、内緒。

 なんだ、なんだよ。酷いじゃないか。

 気になるよ。

 気になる気になる。

 気になるよ。もう駄目だ。

 そんな意地悪しないでよ姐さん。

 気になっちゃうって分かって言ってる。

 怒らせちゃったから、これはお仕置きなんだ。

 見たい。

 見たい。

 見たい。

 気がついたら、私はお堂に足を向けていた。

 慣れているとは言え山道だから、暗くなる前に行ってしまいたい。

 お堂の鍵は、今日婆さんに貰ったばかりだ。

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