第37話 涙


「駄目だ、言わせてもらう。それを自覚し、認めるのだ。そうでないとお前は、悪魔としての本分を違えてしまう」


「そんなことない! 私は……私は! お母さんの為に! 契約の為に!」


「お前たちの契約はもう、達成している!」





 ――知りたくなかった事実。声を震わせ、メイが言い切った。


 ずっと先延ばしにしてきた。

 考えれば考えるほど、真実に近付いてしまうから。

 そしてそれを自覚した時。自分は彼の魂を奪わなければいけない。

 それは即ち、この生活が終わるということ。

 雅司と育んできた時間が全て、過去の砂と化すということ。

 だから考えない様にしてきた。逃げてきた。

 それなのに。

 それを今、メイに告げられた。


 ノゾミは混乱した。狼狽ろうばいした。

 涙が滂沱ぼうだの様にあふれ、こぼれ落ちていった。





「なんで……なんで言うのよ……あなただって、この生活を楽しんでいたじゃない……雅司のこと、愛してるじゃない……」


「……ああ、その通りだ。出来るものならずっと、続けていきたいと思ったさ」


「じゃあどうして!」


「駄目だからだ! 決まっているだろうがっ!」


 顔を上げ、メイを睨みつける。

 そして驚いた。

 メイの瞳も濡れていた。


「……誰が好き好んで、この生活を終わらせるものか……だがそうしなければ、取り返しのつかないことになるだろうが」


「だって……だって……」


「契約への不遜行為。悪魔にとってそれがどういうことか、お前が一番分かってるだろう」


「そんなこと言ったって……どうして今、それを言うのよ……どうしてもう少し、待ってくれなかったのよ……」


「……」


「明日はイブなんだよ……雅司も楽しみだって……こんなに待ち遠しいと思ったこと、今までなかったって……」


「……」


「明日は3人でパーティーだって……どこかに出かけようって言ってたじゃない……この仕事になって、初めてイブに休めるんだって、嬉しそうに言ってたじゃない……」


 ノゾミの頭をそっと撫でる。


「……確かに私は、残酷なことを言ってるのかもしれない。だが……分かってくれ。お前の気持ちはもう、定まっているのだ。それが分かった以上、私が成すべきことはひとつなのだ」


「なんで……なんでよ……」


「それでもまだ、お前が契約を果たさないと言うのであれば……私は死神として、今度こそお前を消さなくてはならなくなる。容赦なくな」


「……」


「そして雅司の魂は、私が刈る。それが死神としての、私の責務なのだ」


 メイの言葉に、ノゾミが肩を落とす。


「そんな未来にしたくない。お前は私の、大切な友なのだ」


「メイ……」


「すまんな。泣かせてしまった」


 そう言ってノゾミを抱き締める。


「大きくなりよって……昔はあんなに小さかったのに、いつの間にか私を抜きよって……だが、中身はあの時のままだ。私にとっては今も、お前はかわいいノゾミちゃんなのだぞ」


「……何よ……私より、背も胸も小さい癖に」


「胸は余計だ」


「でも……メイにこうされるの、久しぶり……」


「いつの間にか、お前が私を抱くようになったからな。言っておくが、私の方が年上なのだからな」


「分かってるわよ」


「ほんとか? 言葉に誠実さが感じられん」


「分かってるよ。本当に」


 そう言って、メイの胸に顔を埋める。


「ノゾミ。私からも聞いておきたい」


「何を?」


「カノンが言ったことだ。お前にとっては、思い出したくないことだろうが……それでももう一度、自分に問うてほしい。お前、悪魔を捨てる気はないのか」


「……」


「お前が意固地になっているのは分かる。母の名誉を守る為、これまで必死に戦ってきたのだからな。だが、それでも……考えて欲しい。

 お前が悪魔を捨てたとしても、私はお前の友だ。それはこれからも変わらない」


 抱き締める手に力を込める。


「もう一度、今度はお前自身で選んで欲しい。悪魔として生きるのか、人として生きるのか」


「……」


「悪魔として生きるのであれば、今すぐ契約を果たすのだ。そうでなければお前は、永遠に裏切り者の娘としてさげすまれることになる。だが、人として生きるのであれば……契約を捨てて、雅司と幸せになって欲しい」


「メイ……」


「私が望んでいるのはな、お前の幸せなのだ。この契約が果たされ、魔界でどれだけ認められようとも……お前の笑顔が曇っては、意味がないのだ」


 メイの涙が、ノゾミの頬を伝う。


「お前が悪魔でなくなったとしても。それでお前が笑顔になるのであれば……選んでほしい。そして私は、雅司を選ぶことこそが、お前の幸せだと思うのだ」


「ありがとう、メイ」


 顔を上げ、指先でメイの涙を拭う。


「私のこと、ずっと守ってくれて……子供の時からずっと、あなたのことが大好きでした。悪魔でなくなったとしても、あなたならきっと、私の友達でいてくれると思う」


「無論だ」


「でも、私は悪魔としての責を果たす」


 そう言ったノゾミの瞳に、よどみはなかった。


「雅司と別れるのは辛い。ずっとこのまま、彼と一緒にいたい。でも、それが無理なことは分かってた」


 流れる涙を拭おうともせず、ノゾミが微笑む。

 その顔を見て。メイは小さく息を吐き、うなずいた。


「全く……下等な人間の分際で、よくもこんな、ややこしい願いを出したものだ」


「本当ね」


「愛した時が別れの時……やつのことだ、こんな結末、考えてもみなかった筈だ」


「でしょうね」


「悪魔や死神をここまで惑わせる。自分の魂の価値、どれだけ高く見積もってるのだ」


「その前に出した望みは、缶コーヒーだったけどね」


「そうだったな、ははっ」


「ふふっ」


 涙を拭き、笑いあう。


「最後の仕事だ。帰って来る前にこのツリー、仕上げておこう」


「そうね。最後の夜……になっちゃったけど、せめてこれだけは」


「……すまんな、ノゾミ」


「ううん。大丈夫、分かってるから」





 きっとメイに、通達が来たのだろう。

 悪魔の契約に関しては、冥界にも情報が公開されている。

 私が雅司のことを愛していることも、当然伝わっているだろう。


 いつから?


 そんな疑問を自分に向ける。

 そして思った。雅司と同じだ。

 多分私も、最初から彼のことを意識していた。


 そして。


 初めて施設に同行した時。彼の優しさに触れた。

 人としての尊厳を奪われた彼らに、無償の愛を注いでいた。

 遊園地で見せた、無邪気な笑顔。

 残酷な過去。

 そしてカノンの存在に怯え、狼狽うろたえ、逃げ出した時。

 寄り添ってくれた。

 同情でなく、心から私を認めてくれた。


 そのどれをとっても、彼を愛するには十分だった。

 でも、それを認めたくなかった。

 認めてしまった時が、永遠の別離わかれだから。

 でも今、気付いてしまった。自分の気持ちに。

 メイに十字架を背負わせて。

 これ以上、誰にも迷惑をかけたくない。

 私は悪魔として、誇りをもって雅司と向き合おう。





 完成したツリーを見上げ。

 メイと手を握り合い。

 微笑む。


 この生活の最後を締めくくる、舞台は整った。





 メイと並んで料理を作る。

 また、涙が頬を伝った。



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