第27話 契約解除、最後の項目
「ノゾミが人間に……」
想定してなかった答えに、雅司は困惑した。
肩を震わせるノゾミ。何に動揺してるのか分からない。だが、こんなノゾミを見るのは初めてだった。
「契約を破棄する一つ目の条件が、ノゾミさん自身の消滅です。契約者がいなくなれば、契約自体なくなりますから。
その条件、突き詰めるとどういうことか、もうお分かりですよね」
「ああ、理解した。俺は悪魔であるノゾミと契約した。そのノゾミが悪魔という身分を捨てれば、契約も消滅する」
「そういうことです。理解が早くて助かります」
「でも……いや、その提案はおかしいだろう。そもそもの話、悪魔が人間になるなんて、荒唐無稽すぎる」
「こんな状況にいるあなたが、それを言いますか?」
「……」
カノンの鋭い視線が突き刺さる。
「私は何も、いたずらにあなたを惑わせようとしてる訳ではありません。私の提案、これこそが、あなたにとって最良と判断したからです」
「どうしてそう決めつけるんだ、あんたは」
「あなたはノゾミさんを愛している」
「なっ……」
核心を突かれ、困惑する。
「彼女たちと暮らしていく中で、あなたは変わった。人生の最後への絶望、その一点においては変わりません。ですが、以前ほど死を望んでもいません。
その理由は明らかです。あなたは今、幸せを感じている。生きる喜びを知ったのです。それこそが、あなたが契約時に発した、魂の叫びではないのですか?」
逃げ場を塞ぐように、カノンが
「そしてあなたは、ノゾミさんを愛してしまった。自覚がないのであれば、あなたにとって、他人を愛することが初めてだからではないのですか」
「……」
おもむろに煙草をくわえ、火をつける。
そしてゆっくりと白い息を吐き、眉間によった皺を掻いた。
「あんたには全てお見通し、そういうことなんだな。流石は天使様だ」
「賞賛の言葉、という訳ではなさそうですね」
「勿論だ」
煙草を揉み消し、カノンを見据える。
「やっぱりあんた、気にいらないよ」
その言葉にメイが顔を上げた。そして雅司を制しようとした。
しかしそれは、カノンによって遮られる。
「どういう意味でしょう」
「言葉のまんまだよ。天使だか何だか知らないが、そうやって人の心を丸裸にして……下品だよ、あんた。
少しはメイを見倣ったらどうだ? 確かにこいつも俺を知ろうとして、魂に触れたらしい。その行為によって、俺がこれまで生きてきた軌跡、思い、感情。全てを見ることが出来た。
でもな、メイは決して、俺のことを分かったようには言わない。俺を尊重し、今も俺を知ろうとしてくれる」
「……」
「だけどあんたは違う。あんたからは、下等な人間の考えることなど、全部お見通しだって性根が伝わってくる」
「私の見立てが間違ってると?」
「そういうことを言ってるんじゃない。あんたの、他人と向き合う姿勢について話してるんだ。仮に今、あんたが言ったことが全て真実だとしても、それはあんたが言うべきじゃないんだ。俺が言うべき言葉なんだ」
そこまで言うと、再び煙草をくわえ、火をつけた。
「あんたが今言ったこと、人間社会ではこう言うんだ。空気が読めてないって」
「……」
向けられている視線から、怒りや動揺は感じられなかった。
雅司の瞳に宿るもの。それが自分に対しての哀れみだと理解した時、カノンは動揺した。
「ですが、それ以外の方法はありません。ノゾミさんを人間に出来るのは、天使である私にのみ与えられた権限です。そうすればあなたたちは人として、生を全うするその日まで、この世界で生きることが出来るのです」
「決めるのは俺であり、ノゾミだ。勝手に事を進めようとするな」
「ノゾミさんなら大丈夫ですよ。だって彼女は」
「カノン!」
言葉を遮り、震える声がリビングに響く。
「……お願いカノン、ここから離れさせて」
ノゾミの訴えに、カノンは小さく息を吐いた。
「分かりました。許可します」
「ありがとう……」
ノゾミは力なく立ち上がり、玄関へと向かった。雅司が追いかけると、ノゾミは振り返ることなく、囁くように言った。
「……ごめんね雅司。変な話に巻き込んじゃって」
「引っ搔き回してるのはあの天使だ。お前が謝ることじゃない。それよりお前、大丈夫なのか」
「ええ、ありがとう。ただね、その……これ以上はきつくて」
「帰ってくる……よな」
「勿論よ。だってあなたは、私の契約者なんだから」
背中を向けたまま、ノゾミが小さく笑う。
こんな空虚な笑い、聞いたことがない。そう思いながらも雅司はうなずき、ノゾミの肩に手をやった。
「分かった。気をつけてな」
「ええ。ありがとう、雅司」
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