殿下!!そっちはお尻です!!

たまこ

第1話



「セリーヌ。今日は天気が良いようだし、中庭を散歩しよう。」



「ええ。」



 セリーヌが頷き、近寄ると彼はその彫刻のように美しい顔で優しく笑った。眩い銀髪も、くっきりした鼻立ちも、薄い唇も、程よく筋肉のついた長身も、全てが美しくこの国の令嬢たちを魅了する。



 彼はセリーヌをエスコートしようと、優雅な足取りで近づいてきた。この国では婚約者や妻をエスコートする際、男性は女性の腰に手を添えることとなっている。つまり、とても密着するのだ。セリーヌは身体を硬直させる。それは密着することへの恥ずかしさからではない。



 彼の左手が上品に動いた後、セリーヌの腰に手を添えられた……ように見えた。しかし次の瞬間、セリーヌの大声が離宮中に響いた。






「殿下!!そっちはお尻です!!!」……と。





◇◇◇◇



 セリーヌは、ケクラン公爵家の一人娘だ。幼い頃から、ステファン第二王子との婚約が決まっていた。そこには、お互いの気持ちなどは無い。上位貴族の中でステファンと同年齢だった令嬢がセリーヌしかいなかったこと、王家と公爵家の繋がりを更に強めたいという王家の意向があったこと、この二つが婚約の理由だ。



 だから、セリーヌとステファンの間に恋心なんていうものは存在しない。ステファンはセリーヌを見る度、苦虫を噛み潰したような顔をするし、セリーヌだってそんなステファンのことを好きになる筈がない。




「セリーヌ、何故お前はもう少し着飾らないんだ。」



「と、言いますと?」




 週一回の定例のお茶会。またステファンの小言が始まり、セリーヌはうんざりした。



「お前のその一重瞼も、化粧次第で多少マシになるだろう。」



「なりません。」



「そのソバカスだって、化粧で隠せる筈だ。」



「隠せません。」



「その赤毛だって染めたらいいだろう。」



「染めません。」




 ステファンの小言に、怯むことなくつんつんと返すセリーヌ。セリーヌの名誉の為に言っておくが、彼女は身だしなみを疎かにしている訳ではない。公爵家の有能な侍女たちによって、化粧もドレスもヘアセットもバッチリである。



 確かにセリーヌはこの国で美女とされるような、金髪でぱっちり二重瞼の儚げなお人形さんタイプではない。だが、そうだからと言って婚約者の化粧や髪色をあげつらうのは明らかなマナー違反だ。



 しかし、ステファンはここ数年嫌味や暴言ばかりでセリーヌは傷ついてきた。……最近では聞き慣れてしまい、こうやって淡々と言い返すまでになってきたが。



(昔はもっとお優しかったのに。)



 セリーヌはステファンに気付かれないよう小さく息を吐いた。






◇◇◇◇




 十年前。



 セリーヌとステファンが七歳の頃、二人の婚約が結ばれた。その頃のステファンは今よりも優しく、セリーヌを大切にしてくれていた。




「セリーヌ、あっちで遊ぼう。」



「はい。ステファンさま。」



「セリーヌ、僕のことはステファンと呼んで?」



「で、でも……。」




 セリーヌは両親から「ステファン様に会うときは丁寧な言葉でお話ししようね。」と教えられていた。セリーヌの両親はセリーヌを大切にしてくれているし、多少粗相をしたところでセリーヌを叱ったりはしないだろう。だが、セリーヌは大好きな両親の言いつけを守らなければ、と必死だった。



「セリーヌは僕の大事な婚約者だし、もっと仲良くなりたいんだ。」



「ステファンさま……。」



「二人の時は他の友人と変わらないような言葉で話そうよ。ほら、お茶会の時にみんなで遊んでいる時みたいにさ。」




 セリーヌは、ステファンの婚約者になる前からよく会っていた。同年代での交流という目的で、上位貴族の令息令嬢が集められ王宮では定期的に茶会が開かれており、セリーヌも、ステファンも、そしてステファンの兄も参加していた。ただ同年代での交流というのは表向きの理由であり、本当は王子の婚約者探しや有能な側近候補を見つけるためのものだった。



 茶会では、王子と仲良くなることが求められるのでセリーヌも丁寧な言葉で話した記憶はあまり無い。身分は気にせず、美味しいスイーツを食べたり、おしゃべりをしたり、時には追いかけっこをして思いっきり遊んでいた。




「もしもセリーヌのことを叱る人がいたら、僕が絶対に守るよ。だから……。」



 おねがい!と必死に頼む様子を見て、セリーヌはおずおずと頷いた。ステファンは嬉しそうに笑うと小さな手を差し出した。



「よかった!じゃあ、行こう!セリーヌがこの前かわいいって話してたペチュニアの花があるんだ。」




「うん!」



 セリーヌは迷うことなくステファンの手を取った。この頃のセリーヌは、ずっとこんな風にステファンと過ごせるのだと信じていた。




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