どうやら学習能力はあるらしい

「あのアルゴスさまとやり合おうなんて、おめぇ、そりゃあ無茶むちゃってもんだぜ」

「なぜだ」

「なぜもクソもねぇんだよ。イジチュール兄弟の性根は心底腐っているが、それでもだ。それでもだぞ。腐っても騎士様だ。兄弟ともに戦士なんだよ。おめぇじゃ勝てっこねえだろうが。第一、舞踏戦騎の操縦方法だってろくに知らねぇだろうに。え? かつての実家で少したしなんだことがあるって? 馬鹿……嗜んだ程度でアルゴスさまに勝てるようならこの世に騎士なんていらねえだろうが。なぁルル、お前さん……なんか昨日の晩から雰囲気が違うが……まさか変なものでも食ったんじゃねぇだろうな?」


 シゴルヒの言葉を聞いてルルは笑った。

 その通りだったからだ。



 ***



 舞踏戦騎は、戦乱の絶えないこの世界における最強にして絶対の戦闘兵器だ。

 地上を走行する戦闘車両に比べて、格段の機動力を持ち、なおかつ人間と同じ挙動をすることができる極めて汎用性の高い武具とされている。


 その由来は、屋敷の書庫で見つけたいくつかの文献によって学ぶことができた。


「なになに、古き神々が自らに似せて作ったうつわである――と。なるほど、こういうのはどこの世界の神話も似たようなものなのだな」


 一人呟くルル。

 思い出そうとするのは、かつて自らがいた世界での話だった。

 召喚される前の記憶は加速度的に薄れてきている。ルル・ベアトリクスと融合したがゆえの影響だろう。いまのルルを成す大部分は、器である少女のものなのだ。


「そういう意味ではこの娘、本来の資質は高いものだったのではないか?」


 肉体的な話だった。

 召喚時に獲得した霊素によってだいぶ強化されているとはいえ、元の肉体はか弱い十代の少女に過ぎない。筋肉などかけらもない身体つきの若者だ。よほど温室育ちだったのだろう。それ故に、いま置かれているこの境遇がいかに過酷なものであったか、よくわかろうというものだ。


「いずれは身体もきたえてゆかねばな……」


 と言いつつも手繰たぐるのは書物のページだった。

 舞踏戦騎の操演とは、基本的に搭乗者が内包する霊素の含有量によって変わってくる。


 搭乗者とは、それ自体が駆動機くどうきにエネルギーを供給する炉心だ。

〈霊子炉〉とも言うらしい。

 したがって霊素が少ないものほど機械仕掛けの操作機構システムに頼らざるを得なくなるわけで、そのぶん煩雑な操縦技術が求められた。逆に、じゅうぶんな霊素を供給できる者は、極端な話、想うだけで機体を動かすことができるとされている。そのような記載を見つけるのに時間はかからなかった。


(なるほど、都合のいい話だ)


 まったくもってこの世界とは不平等にできている。


 だからこそ――

 ルルの瞳に炎が燃え上がった。くらい、情念の火だ。


「破壊する価値があるってものだ」


 少女を突き動かすのは、行き場のない怒りだった。

 勝手な都合で召喚を受け、肉体を失ったことへの怒りでもある。

 何よりこんな不公平がまかり通るような世界を許すつもりはなかった。

 義憤といえば聞こえはいい。だが、そこには純然たる悪意も存在している。その源泉がなんであるのか……。行動を開始したルル自身も気づいてはいない。



 ***



 演舞当日はあっという間に訪れた。

 わずか数日の期間、ルルは屋敷の仕事もせずひたすら書庫にこもっていた。イジチュール兄弟も使用人たちも、そのことについて何も言わなかった。不気味に思われていたということもあるだろうが、それ以上に決闘によって彼女が死ぬであろうことは、誰もが分かり切っていたからだった。


 あと数日で生き終わるものと、わざわざ関わる間抜けはいない。

 そのことはむしろ好都合だった。

 ろくに食事もとらずに調べ物へと没頭することができた。ヒンドリーもたまにはいい贈り物をくれるじゃないか……。時間は何にもえがたい宝であるとルルは思っている。


「さて――」


 おもむくのは屋敷からほど離れた広場に設営された闘技場だった。

 既に多くの領民が詰めかけているのが見える。

 聴こえるのは歓声とどよめき。ややあって現れたのは、アルゴスが駆る褐色の舞踏戦騎だった。簡易的なものではあるが滑空能力も有している。その巨体からは想像もできぬほど軽やかに宙を滑り、闘技場の中央に舞い降りる。歓声が一段と高まった。


 ルルに用意されていたのは、ごくごく基礎的な構造の機体だった。

 最低限のフレームと、そこを走る重想筋のみで構成された素体ともいえる状態だ。装甲など無いに等しい。


 よく言えば無駄がない仕様。

 当然、専属の整備人などいない。だから機体に関する一切はシゴルヒが引き受けている。なんでワシが……。ぶつぶつと呟きながらも最低限のセッティングが行われていた。


「なぁ、ルルよ。お前さん本当にアルゴスさまとやり合うつもりなのか」

「ああ」

「何があったのかは知らねぇけどよ、このところのお前は明らかに変だぜ。一日中書庫にこもっていたり、ろくにめしも食いにやしねえし」

「心配してくれていたんだ?」

「馬鹿野郎、心配などするものかよ。こちとらお前が職務放棄しているせいで、その分のとばっちりばかり食らっているんだ。食わなかった飯の片づけはワシがやっていたんだぞ。ああ、お前みたいな恩知らずは、この決闘に負けてとっととくたばっちまえ」


 それが本音かどうかはさておいて――

 言うだけ言うと、老爺はそそくさと去っていく。これ以上の面倒ごとは御免だ。彼の背中はそう告げている。本来は悪い性根の持ち主ではないのだろう。だが、イジチュール家で働くなかで、どうしても歪んでしまった認知がある。いずれによ哀れな老人だとルルは思った。


「両者、見合って――」


 ヒンドリーの声がする。決闘の前に行われる宣誓というやつだ。

 機体の胸部からはアルゴスが身を乗り出して何ごとかわめいている。怒気を孕んだ口汚い言葉の羅列が闘技場にこだましている。舞踏戦騎士の誇りはどこへ行ったのだろう。適当に聞き流しながらルルは開始の合図を待っている。


「始め――!」


 決闘の火ぶたが切って落とされる。

 まず動いたのはアルゴスの舞踏戦騎だった。手にしているのは戦斧だ。「本気でこの俺とやり合おうってのか? 逃げずに挑んできたことは褒めてやるぜ。いいだろう、最初に一発殴らせてやる。さあ、かかってこい」――そのような声が割って入る。もう勝った気でいる。己が負ける可能性があることを微塵みじんも疑わない純粋な男だとルルは思った。


「さすがはアルゴスさまだ」


 見物人の一人が言う。


「なんでも相手はお屋敷の召使だっていうじゃないか。おおかたヒンドリーさまのお怒りを買ったのだろうよ。演舞なんて言っているが、こりゃあ公開処刑に違いないぜ、可哀想に」――そんな声が方々から聞こえた。


 そんなルル機に注がれるのは憐憫れんびんのまなざしだけではない。召使の分際で舞踏戦機に乗っている不届き者がどのような目に遭うのか……。それを期待している好奇の目だった。


「そう? じゃあ遠慮なく――」


 すかさず一撃を放つ。

 軽級機による正拳突きだ。もちろん大した威力は得られない。ほんのジャブのつもりだったが、たったそれだけでアルゴス機はもんどりうって倒れる。おおっとどよめきが上がった。


「い、痛てえじゃねぇか。この俺をついに本気にさせやがったな……!」

「ひょっとしてお前、今までの人生で一度も本気になったことがないのか?」


 率直な感想を伝える。


「な、舐めやがって! 兄貴、もういいよな。ぶち転がしてくれるわ!」


 アルゴスの機体は軽級にもかかわらず、自身が発する霊素によって身の丈ほどもある戦斧を軽々と振り回していた。大変な膂力りょりょくだろう。機体にそれだけの機動をさせ得るだけの霊素をやつは保持しているのだ。


 だが、それだけだった。

 猪突猛進ちょとつもうしんといえば聞こえはいいだろう。

 ルルの眼にはやみくもに突っかかってくるだけの闘牛にしか見えない。

 いや、この場合は闘牛以下だろうか。

 完全にパターン化された機動は、決して戦い慣れした手練てだれのものではない。アルゴスの傲慢な性格が如実に表れた、力任せの動きだった。おそらくは――とルルは考える。


「こいつ、ひょっとして自分より弱いものしか相手にしたことがないのか?」

「ごちゃごちゃ言ってんじゃねぇ。内臓ぶちまけて死にやがれ!」


 内臓、ね。

 それならとっくに経験済みだ――と、操演席に座したルルは軽口を叩く。そして最低限の挙動でアルゴスの一撃を回避した。


 続けざまに大ぶりの斬撃が来る。

 回避。

 さらに振り向きざまの水平斬りが機体の脇腹を襲う。

 それも回避。


「……なんだおめぇ、その動きは。やる気あんのか!」


 攻撃が当たらないことに苛立ったのか、巨漢が叫んだ。


「馬鹿か。お前ごとき筋肉馬鹿の攻撃なんてわざわざ避けるまでもないぞ」

「ぐぬぬぬぬ……」


 ふがいない弟! ヒンドリーもまたごうを煮やしている。彼の目論見では初撃で終わらせるつもりだった。そして、「相手は戦闘もろくに知らぬ召使です。これは不幸な事故だったのです」――そう言って一切を片付けるつもりだった。


 だが、現実はどうだ。

 アルゴスはルルによって完全に翻弄されていた。


「なんだか虫取りしてるみたいだね」


 これは見物客の子供による何気ない一言だ。子らの目に映るアルゴス機とは、さながら捕虫網を振り回して蝶を追いかけているような無様な姿だった。早い話が下手くそ。闘技場に流れる観客の空気は、徐々に変化しつつあった。


「馬鹿にしやがってッ! これならどうだ。飛び道具ならばそうやすやすと躱せまい」


 アルゴスは霊素を練り上げてゆく。

 機体の両肩部分が発光し、そこから何かを打ち出そうとしているのが理解できた。どうやら最低限の学習能力はあるらしかった。

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