第1話 伝説のエージェント
裏社会。
暗殺や機密文書の奪取などの法に触れてしまうような依頼を取り扱うための業界。冷戦時代より裏社会における依頼はその難易度の高さから報酬額が跳ね上がるために一大ビジネスの場として世界中に知れ渡っていた。
当然ながら個人では裏社会で扱うような依頼に対応することは困難であるため、自然と裏社会ではいくつかの組織が形成されていった。
ある時、一つの噂が裏社会に広まった。
『どんな困難な任務でも必ず成功させてしまう、最高のエージェントがいる』、と。
どこの組織も断った最高難易度に設定された任務をクリアするたびに彼の名前が裏社会の隅々にまで流れる。正に伝説と呼ぶにふさわしい存在だった。
それだけに彼に関するデマも多く、根も葉もない中傷を受けることも少なくなかった。だが、彼に関する情報で一つだけ共通している部分があった。
それは『殺しの依頼は何があっても受けない』ということ。
殺しは裏社会の任務の中でも最も難度が高いとされているため、ある種花形とも言える。結局のところ殺しが出来ないのであればエージェントとしては半人前であると多くのエージェントたちは彼を嘲った。
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「すまないな、シン。今回のは少し急ぎなんだ。」
「いいですよ、ボス。で、どんな依頼なんですか? わかってると思いますけど……」
「殺しはやらない、だろ? んなことわかってるっつーの。とりあえずこいつを見てくれ。」
ボスと呼ばれた男は机に書類を広げる。
「これは……」
「そう、誘拐だ。お前にはこの子を誘拐してほしい。」
そう言って男は少女の顔写真を差し出した。
「誘拐……か。確かに難易度は高そうですね。」
「しかも今回はそれ以上に相手がやべぇ。」
「……! ガルバートってまさか……」
「あぁ、ロイ・ガルバートの豪邸だ。ボディガードが山のようにいるぞ。」
「うへぇ……またこんなのかよ……」
シンは深くうなだれた。
「悪いが頼むぜ。前金はもうもらっちまってるからよ。」
「……誘拐ってことは、あの孤児院の?」
「ご名答。今回も同じらしい。」
「そんなひどい環境には見えないけどなぁ。」
「金持ちは裏で何やってるかわからん。少なくとも依頼主は確信をもって動いているようだ。」
「なるほど……毎度のごとく正義のために、ですね。」
「そういうことだ。一つ頼むぜ。」
「了解しました。」
そう言ってシンは部屋を出ようとしたが、ドアノブに手を掛けたところでふと気になったことがあり、振り返った。
「そういえばですけど……」
「ん? なんだ?」
「前に攫ってきたあの子は元気にしてますか?」
「…………あぁ、俺も忙しくてなかなか会いには行けねぇがすくすく育ってるみたいだぜ。」
「そうですか。それはよかったです。それじゃ、失礼します。」
軽く礼をしてシンは部屋を出ていった。
一人部屋に残されたボスと呼ばれた男は高級そうな黒い椅子に腰かけたまま、葉巻を咥えて火を灯し、深く息を吸った後に天井を仰ぐような姿勢で煙を吐いた。
「あー、めんどくせぇ……」
浮かぶ煙を眺めながら男はそうつぶやいた。
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