第9話 秘密

(暖かい)


 リリベルがそう感じたのは、暗闇の中でだった。顔にかかる、液体でも個体でもない、暖かいもの。

 リリベルはやがてそれが、陽射しであることに気がつくと同時に、自分が瞼を閉じているがために暗闇の中にいるのだと察した。


「ん……」


 ゆっくりとリリベルが目を開けると、案の定、開けられた窓から、カーテンを少しだけ揺らす弱い風と暖かい陽射しが降り注いでいた。


 状況が理解できないリリベルは辺りを見回した。目に入るのは毛布、見覚えのない天井や壁、そして──。


「ミケッシュ……?」


 ベットのそばで船を漕ぐように、座りながらうたた寝しているミケッシュ。

 思わず名を呼んだリリベルに応じるように、ミケッシュは目を開ける。


「リリベル?! 目が覚めたの!!?」


「ああ……うん」


 目覚めたてで、意識がはっきりしないままリリベルはそう返事すると。


「まってて! 呼んでくるから!」


 地面だったら、土煙をあげそうな勢いで部屋から出ていくミケッシュ。


「あ、ちょ! ミケッシュ、話を!」


 今がどうのような状況なのか、リリベルとしては話をしてもらいたかったが、しかし行ってしまったのだからしょうがない、と諦めた。


 そして同時に、リリベルは思い起こした。自分は脇腹を刺されていた筈だ。

 ゆっくりと半身を起き上がらせた彼女は、服を見つめる。

 どうやら服は着替えさせられていないようだ。まだ血が着いている。


 よかった。


 そして、腕に巻かれた青い布切れがあることにリリベルは気づく。そうだ聞いたことがある。

 この青い布切れは、いわゆる軽傷者であることを示す、識別用の布。


 そうか、実際大規模な事件であった。犠牲者も自分が意識を失った後、増えたのだろうだからこそ、こんな識別用の布があるのだと。


 そう考えたリリベルは辺りを見回す彼が寝ていたのはどうやら個室の部屋のようだ。宿屋か、もしくはそれを回収した小さい病院なのか定かではないが今は深く考えることではない。


 次にリリベルは周りに人がいないことを確認すると自身の服を捲った。


(刺された……よね)


 痛みは感じない、それどころか、包帯すら巻かれていなかった。

 傷は跡があるものの、完全に塞がっていた。

 誰かが治してくれたのだ。

 しかしリリベルの記憶では、治療を受けた記憶がない。


 結構な傷だった筈だ。

 完全に完治しているため、おそらく回復の魔法を誰かが使ったのだろう。


(誰が……?)


 思い当たらない、そもそも化け物に襲われた後どうなったのかすら記憶にない。


「助けられたの……? 誰に?」


 あの状況では、唯一思い当たるのは、冒険者パーティの回復役である僧侶だ。だが回復役が化け物を倒したとも思えない。


 そんなリリベルの頭の中で疑問が気泡を立てたながら湧き出している時だった。


「おはよう、調子はどうですか?」


 優しい綿毛のような、フワフワとした声がリリベルの耳に入る。

 リリベルは咄嗟にめくっていた服を元に戻し声のする方に向き直った。


「ごめんなさいね、血のついた服のまま放置してしまって……本来なら着替えさせてあげたかったのだけど……」


 そこに立っていたのは、修道服に身を包んだシスターだった、若干の癖のあるセミロングの髪が修道服の隙間から見える。

 年齢は見た目から言ってかなり若く、さらに体の凹凸がはっきりしており、胸が豊満だ。


「あ、ありがとうございます、シスター」


「うふふ、"元"ですけどね」


 元シスター。その言葉から、リリベルは彼女の姿をよく見てみる。本来、修道服は黒が主体だが、よくみると、目の前の豊満な胸のシスターは黒というよりは紺色の修道服だ。


「し、失礼しました、従軍衛生士官の方でしたか!」


 咄嗟に、ベットの上でかしこまるリリベル。


 従軍衛生婦。

 本来、宗教上の理由でシスターや、神父、牧師と言った聖職者の者たちは戦争に参加はできない。

 聖職者の行使する神々の奇跡の再現、俗にいう回復魔法は通常の魔法使いが使うものよりも高次元だ。


 それゆえに、戦争を長期化させ、さらには大量殺戮に実質加担させられる恐れがあるとして、教会は一律、聖職者の従軍を禁止させていた。

 しかし時代は変わり四年前の世界大戦、かつてない大規模な戦争を前に聖職者達も変わった。


 国を、兵士を、民草を守るため、ソール国内の聖職者達は戦場に行くことを決意したのだ。


 その結果は、教会からの追放。

 戦場に行った者は聖職者ではないと大元の教会から宣言されたのだ。


 故に呼び名は変わった。シスターや、神父などから、"従軍衛生士官"として。

 だからこそそう言った国の為に、皆の為に教会すら捨てた、いや捨てざるをえなかった誇りある聖職者達に、シスターなどと呼ぶのはある意味では失礼にあたるのだ。


「いいんですよ、よく間違われるので!」


 しかし、リリベルの目の前にいるまだ若い衛生士官はそんなことを気にせず、着替えをリリベルの座るベットの近くの小机に置いた。


 その彼女の仕草をリリベルは見て内心安堵する。


(バレてない……よかった)


「本当は、不衛生だから貴方も着替えさせてあげたかったんだけど、昨日は大変で……ごめんなさいね」


 そう言う、衛生士官の顔からは疲れが見て取れる。


「……何かあったんですか?」


 興味本位でリリベルは聞いてみる。今この現状がどうなっているのか知る必要もあるし、何よりも何も知らないままでいるのは居心地が悪い。


「……昨日、王都エポロ行き魔道機関車が襲われたでしょう?」


「ええ、僕の乗った……やつですよね」


「貴方のだけじゃないわ」


「え?」


「王都に向かう列車は、東西南北の全部で四路線、その全部が襲われた。幸い死者は出なかったけど……負傷者がね、とんでもない数だった」


 リリベルが乗っていたのは東の路線だ。騎士学校入学者たちが乗る列車の襲撃事件。


「そんな、じゃあ……」


 それは実質、騎士学校入学者を狙ったテロ、ということをリリベルも勘づき手が震える。

 恐怖がリリベルの胸を占めていた。


「……大丈夫! もう犯人は捕まったの!」


 そんな、リリベルを気遣ってか、衛生士官は笑いながらそう答える。


「え、あ、そうなんですか?」


「ええ! なんでも自首してきたらしいの! 魔道機関車普及による、森林開発が気に食わなかったんですって」


 詳細はわからないがあんな化け物を用意できる活動家がいたということらしい。

 しかもこの短期間での自首。


 リリベルはどうも納得ができなかったが、それ以上のことを彼女から聞くこともできないだろうと感じた。


 何せ彼女は衛生士官で、自分は学生、何か疑問を持ったとしても情報は降ってくるわけでもない。

 ひとまず湧き上がる疑問をリリベルは胸にしまう。


「ありがとうございます、えっと……」


 疑問を胸にしまったところで、リリベルは衛生士官に感謝しようと彼女の名を呼ぼうとした。しかしそう言えば彼女の名を聞いていなかった。


「アーシェよ! これからよろしく! 騎士学生さんは多分、私達、衛生士官とも関わるとも思うから」


 アーシェはそう言って手を差し伸ばしながら名乗る。リリベルはそれに握手で答え、


「ありがとうございます、アーシェさん」


 と言った。


「さて……他に必要なものはある?」


「あ、あの入浴施設とかありますか? その……体を洗いたくて」


 ひとまず現状のことは知れた、ならば次にリリベルが気になるのは自身の体のことだった、若干ではあるもののあの事件の血生臭や、汚れが落ちていない気がしたのだ。


「ああ! ごめんなさい! ちょっとすぐにお湯、用意するからね!」


 そういうと、アーシェは部屋にあった大きい戸棚を開ける大きなタライを取り出した。


「よかったぁ、あったあった! 入浴用のやつ!」


 アーシェはそのタライを床に置き、そして──。


「ん……!」


 ──じっと手を合わせて祈った。

 すると小さな気泡がタライのそこに生じたかと思うと、たちまち湯気が溢れ出て、タライに液体が満ちた。


 お湯がタライに湧いたのだ。


「神の奇跡の力の再現ですか……?」


 リリベルの質問にアーシェは微笑む。


「そう、ちょっとしたね! さあ、これお風呂代わりに使って!」


「あ、ありがとうございます」


 リリベルが感謝の言葉を伝えるとアーシェは「じゃあ私は近くの一階の部屋にいるから何かあったらよんでね」と、そのまま部屋を出て行った。


 やっと1人になれた、ドアが閉まるのを確認すると、リリベルは服を脱ぎ出す。


 覚悟はしていた。しかし、どうも秘密を守るというのは難しい。というか緊張するものだ。

 そう感じたリリベルは改めてため息を吐く。


「やっていけるかな、僕……」


 リリベルには秘密がある。

 誰にもバレてはいけない秘密が。

 全ての服を脱ぎ、ベットに畳んでおいた後、リリベルは湯に入るべくタライのお湯に足を入れたそしてその時、気づくそう言えば、鍵をかけ忘れた──。


 ──その瞬間だった。


 ガチャリと、部屋の扉が開いた。


「おーっす! こんにち……」


 入ってきたのは身長180センチはあろうかという短い黒髪の男性。

 その男性の青い瞳は間違いなく、驚きで思わず体ごと振り返ってしまったリリベルの裸を目撃してしまった。


 リリベルの秘密。

 誰にも言えない秘密。

 彼は、男らしくない。


 男らしくない、華奢な体つき。

 男らしくない、中性的でどちらかといえば女よりな顔立ち。

 男らしくない、少女的な趣味すら実は持っている。


 それもその筈だ、彼は──。



「きゃあああ!!!!」


 男らしくない叫び声が、建物中に響き渡る。

 そう彼は少女なのだから。


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