「マリちゃんたちが一番目立ってたよ」
一分十五秒。
息も絶え絶えにフロアから戻ると、満面の笑みで槙島が抱き着いてきた。
「うわあっ、変態っ。やめろっ」
「なんだとっ。フルチェックのお祝いなんだからハグくらいいいだろぉ」
いいわけあるか。
手渡されたタオルだけを受け取って本体は容赦なく引っぺがす。
槙島は易々と〝ハグくらい〟なんて言うが、青春とは無縁の生活を送るマリにとって、ハグとは未知の致死性ウイルス並みに耐性のない存在だ。
「えっ、というか今、フルチェックって言わなかった?」
一拍遅れて槙島の言葉を飲みこむと、タオルが滑ってアイラインを掻き消した。
「ああっ」とメイク担当の菜々子が怒りの声をあげたがそれどころではない。
フルチェックというのは言葉通りに、全員がチェックを入れること。
今日の審査員は七人いる。
その七人全員がマリと夏目のカップルにチェックを――つまり得点を入れたと槙島は言っているのだ。
「いやあり得ないってば。なんでそんなことがわかるのよ」
「だって全員がマリちゃんを見ながらチェックつけてたもん。ねえ、ナナ?」
アイライン片手に近寄ってきた菜々子がその話はしたくないと唇を尖らせたが、兄による「ねえ?」の追撃に根負けして「確かに、フルチェックだったけど」と不服そうに呟いた。
「えっと、」
何が何だかわからない。
しかし二人はチャンピオンであり、だとすればそれを否定するマリこそが何様のつもりだということになる(それではまるで夏目ではないか)。
「基本は……できてたのかも。他の人みたいに目を引く何かができたわけじゃないけど」
納得するための理由を絞りだしたマリに対して、
「何言ってんの。マリちゃんたちが一番目立ってたよ」
槙島の放った言葉が現実を突きつけた。
「ああ、そうだよね。義足で踊るなんて、もはや大道芸だもんね」
ピエロか、はたまた傷痍軍人の同情かき集めパレードか。
お涙頂戴劇でもらった同情票なんて嬉しくもなんともない。
「違うよ、そんなんじゃないってば」
焦った様子で首を捻った槙島が
「俺は正直、最初はふざけ半分だったんだけど……慧はこれを見たから優勝できるって言ったんだなって。さっきはっきりとわかったよ」
あまりにも真っ直ぐな言葉を吐いたので、受け取ったマリのほうがどぎまぎして声が揺らいだ。
「ど、どういう意味よ、それ」
「これ以上は本人に訊きなよぉ」
降参とばかりに槙島が両手をあげたが、そこまで言っておいてはぐらかされるのは気持ちのいいものではない。
そういえば先ほどから妙に会話が続くと思ったら話題をぶつ切りにする夏目がいない。
アイラインを直し終えて周囲を探せば、舞台袖でタオルに顔を
「ねえ、夏目さん。槙島さんがなんか変なことを……」
声をかけたときだった。
タオルからわずかに顔をあげ、鋭い眼光がマリを捉えた。
きらきらした少年のような瞳は消え失せ、そこにあったのは猛禽類を思わせる鋭く冷たい目――しかし深いところでは蒼い炎が揺らめいていて、氷の中に閉じ込められた莫大な熱が宿主を燃やし尽くして這いでようとしているようだった。
身を亡ぼすというのにまったく言うことを聞かないその炎は、明らかに危険なものだった。
ぞくりとして言いかけた言葉を飲みこんだ。
遅れてやってきた槙島が「あちゃー」と困ったように、しかしどこか面白がって頭を抱える。
夏目がマリにタオルを放り投げ、背を向けてどこかに歩いて行ったがついていく気にはなれなかった。
背筋を伝う冷え冷えとした恐怖心が、地面に足を縫い留めている。
「まあ、あんなの見せられちゃあ仕方ないよね」
「あんなのって?」
「マリちゃんの踊り。火をつけちゃったらしいよ、あの負けず嫌いの」
「火……?」
ウッドデッキを降りて薄暗い防波堤のほうに消えていく背中を見送りながら、マリは目をぱちくりとさせる。
夏目が負けを感じる要素なんてどこにもないはずだ。
自分の世界に没頭しすぎて夏目の踊りは見れていなかったが、あの王様然とした立ち姿からして初心者のマリとは比べ物にならないくらいにうまかっただろうに。
ぶるっと身震いを覚えた。
夜とはいえ夏真っ盛り。
寒いわけがなかった。
それでも寒気を覚えるのは……脳裏に焼きついて離れない、あの冷ややかな灰色の瞳のせい?
なんだか嫌な予感がした。
槙島の差しだす炭酸水を一気に煽ると、ああ神様、何事も怒りませんようにと祈りながら予感もろとも飲みこんだ。
しかしマリにとってクリスマスと年末年始と金欠のときにしか手を合わせない神様が、実はものすごく天邪鬼だという事実をすっかりと忘れていて。
今回もマリの願いとはまったく真逆の、とんでもない事件を起こしてくれたである。
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