第五章 人魚の墓場でふたりは。
「なんだか貧相な子ねえ」
八月十六日、大型台風が本州に接近するも速度遅く、残念ながらほどよい晴れ。
海沿いならばと微かに期待してみたが、現場に着いてみれば雲の流れが若干速い程度の違いしかなく、凪いだ海がうっとうしいほどの光を反射してマリを出迎えた。
海岸から大きく左に逸れた場所に本日の会場である展望デッキが海にせりだすようにして建っている。
海岸と展望デッキの間には長い桟橋があり、多くの親子が牛乳瓶のようなものを垂らしていた。
どうやら海蛍が生息しているらしく、夏休みの自由研究に採取していく人が多いとか。
眼前に広がるのは薄く濁った青灰色の夏空と、水平線に浮かぶ入道雲、きらきら光る大海原。
会場に集まった観客たちは大人も子どもも昂揚した面持ちできゃっきゃうふふとはしゃいでいる――マリたち以外は。
マリはわかる。
緊張と同時に、今さらながら〝なんでこんなことをしているのだろう〟という我に返ってしまったがゆえのしらけた感情が入り乱れていたから。
しかし誘った張本人である夏目まで仏頂面なのは何故なのか。
あからさまに機嫌が悪い。
「マリちゃん、慧! あそこにイカ焼きあるよ! あ、あっちには焼きそばもある!」
他の観客同様にはしゃいでいるのは槙島だけで、そのテンションにもすでに疲れてきていた。
以上、納涼祭当日の昼下がり、槙島の運転で会場である展望デッキに連行されたマリと夏目の実況中継でした。
「あれ、ここで待ち合わせのはずなんだけど……」
イカ焼きを屋台で買い込みながら、槙島があたりを見回した。
待ち合わせ? 他に誰か来るなんて聞いていない。
と、アンテナショップの向こう側、陸地のほうから「おーい」という声が聞こえた。
槙島が弾かれたように振り向いたので、イカ焼きを受け取りながらつられてマリも視線を向ける。
最寄り駅に続く大通りにはたくさんの人がいたが、その中でも一際目立つ人物がいた。
こちらの視線に気づくと大きく手を振ってにこっと微笑む。
綺麗な女の子だった。
この炎天下にあって肌は雪のように白く柔らかそうで、はやりのミルクベージュに染めた髪を軽く巻いている。
白いマキシ丈のノースリーブワンピに同色のサマーカーディガンを肩にかけ(袖を通さないところがものすごくあざとい)、アクアマリンのミュールを引っかけるという、まるで雑誌の〝海沿いデート特集〟から飛びだしてきたモデルのようだった。
「お兄ちゃん、何度も電話したのにでなかったでしょー?」
「あ、悪い。イカ焼き買ってて気づかなかったわ」
槙島がイカ焼きの串を両手に挟んで拝むようなポーズを取ったが、あまりに滑稽で謝罪しているようにはまったく見えない。
会話が自然に進んでいくので聞き流しそうになって、遅れて二人を凝視した。
今、お兄ちゃんって――?
目の前の人物を交互に見ていると、見かねた夏目が少女を指差し、
「菜々子。祐介の妹」
名前を呼ばれた少女はそこで初めてマリのほうを見て、アイドルがファンサービズするかのようにひらひらと手を振って視線に応じた。
槙島が王子様なら菜々子は完全にお姫様だ。
この兄にしてこの妹あり、という感じがする。
「菜々子、頼んだやつは?」
「慧ちゃん人使い荒いよねえ。まあナナ超いい子だからちゃーんと用意してきたよ」
「助かる」
夏目さん、菜々子って呼ぶんだ。
というか、素直に『助かる』とか言えちゃうんだ。
目の前がくらくらした。
別の生き物を見ているようで気持ちが悪い。
やはり花火をした日に妖怪と入れ替わったのかもしれない。
そんなくだらないことを考えていたマリの足元に影が落ちた。
顔をあげると菜々子が目の前に迫っていてマリのことを見おろしている。
夏目や槙島ほどではないが女の子にしては長身なほうだった。
一七〇くらいあるのではないだろうか。
車椅子から仰ぎ見ると迫力満点でますますモデルっぽい。
「この子が慧ちゃんのパートナー? なんだか貧相な子ねえ」
天使のような微笑みを維持したまま、口だけ悪魔に乗っ取られたような毒舌が炸裂した。
貧相?
咄嗟に見おろすとなだらかな胸の凹凸が見えた。
対する菜々子は……言葉にするのをやめた。
虚しくなりそうだったので。
突然の出来事に口をぱくつかせていると「だああっ」と槙島が割って入った。
「ごめんねマリちゃん! ナナってちょっと口が悪くて」
「なによ。正直者なだけじゃない。慧ちゃんにはこんな女不釣り合いよ。ナナが踊ってあげてもいーのに」
「お前は両足あるだろ! 頼むからちょっと黙っててくれ! なっ?」
「まあお兄がどうしてもって言うのなら?」
菜々子が口の前で人差し指を組みばつマークを作る。
他の子がやればあざとすぎてうざったいのだろうが、菜々子がやると途端にかわいくなる。
しかし毒舌を披露されたばかりなのでさすがにもう天使には見えなかった。
「こいつは妹の菜々子でマリちゃんと同じ高校生だよ」
「高三だから先輩でーす」
「静かにしてくれってマジで。……んで、俺とダンスのカップルを組んでいて、今日はマリちゃんの支度を手伝ってもらおうと思って呼んだんだ」
「よろしくぅ」
毛先をくるくるといじりながら、菜々子がまったくよろしくする気配のない台詞を吐いた。
そんなこんなで、マリの最初で最後の晴れ舞台は波乱万丈を匂わせる形で幕をあけた。
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