「じゃあお前も踊ってみればいいじゃん」

「ねえ先生、読書感想文代わりに書いてよう」


 保健室登校のために出された山盛りの課題に辟易して、ベッドに腹ばいになってうだうだ言うと、真正面のデスクに突っ伏した保健医が「じゃあ代わりに保健だより書いてよう」とこっちもうだうだと。

 お互いの課題を交換しても面白いと思ってベッドから身を乗りだしパソコンの画面を覗き込めば『インフルエンザ予防その一、』と書かれた状態で止まっている。


「インフルエンザなんてワクチン打てばいいじゃん。私もう病院でそうちゃん先生に打って貰ったよ」

「まあそうなんだけど、打てない家もあるんだよ色々と」


 最後のほうは何だか言いにくそうに口をもにょもにょさせている。

 打てない家ってどんなのだろう。


「そっちは何やってんだ、見せろ」


 不意打ちで伸びてきた保健医の手。

 抵抗する余地もなく課題を奪われてしまう。


「なになに、『読書感想文、本当は怖い人魚姫』……」

「わあ、読むなあっ」


 奪い返そうにも、ただでさえ背の高い保健医が背伸びまでして高い位置を保持し続けるので、平均身長よりもちびっこいマリには太刀打ちできない。


「『人魚姫は馬鹿です。王子は自分を助けたのは人間の女の人だと思っています。でも本当は人魚姫が助けたのに、声を魔女にあげちゃったのでそれを言うこともできないからです』なんだこれ、歪んでんなあ」

「うるさいな。もういいでしょ」

「いや、まだ続きがある……『王子様は人魚姫を可愛がっていますが、それは自分を助けた女の人に似ているからです。人魚姫は代わりでしかないのに、女の人がいないのをいいことに満足そうです。でも結局、女の人が現れたので振られて死にます。馬鹿です』ねえ」

「返してっ」


 読み終わって気が抜けている保健医から原稿用紙を奪い返して掛け布団に潜り込むと、布団の向こうでちょっと呆れたような沈黙のあと、


「お前、もう少し子供っぽいこと書いたらどうだ?」


 苦笑交じりの声がして、布団ごと頭をぽんぽんと叩かれた。

 壺を叩かれた蛇のように布団から頭をだせば、保健医が椅子にふんぞり返って『本当は怖い人魚姫』の本をぱらぱらと捲っている。

 ちょうど開かれている挿絵は、人魚姫が痛む足を庇いながら王子と踊っているシーンだ。


「ねえ先生、知ってる? 尾鰭を二つに裂くための薬はすっごく痛かったんだって。ええっとね……〝まるで鋭い剣を身体に突っ込まれるような痛み〟だったんだってさ」

「なんだその卑猥な話は」


 保健医が眉根を寄せたがマリは意味が分からなかったのでそのまま続ける。


「でも痛みに耐えながらの踊りは美しくって、この世の物とは思えなかったらしいよ」


 ちょっと脳内で想像してみた。

 痛みに疼く足を隠して王子様と手を繋いで踊る人魚姫。

 一瞬誰かがふわりと浮かんだ気がしたが、「ふうん」という保健医の声でかき消えた。


「じゃあお前も踊ってみればいいじゃん」


 本を閉じてこちらに差しだしながら、保健医は至極平板な、いつも通りの声音で言った。

 そのときは深く考えもせずに「無理だよう」とへにゃへにゃ笑ってごまかした。


 あとから気づいたのだが、そのダンスシーンには当時一番お気に入りだった猫の付箋を貼っていて、だから保健医はそのページをしげしげと眺めていたのだ。


 それからしばらくして、冬が近づいた頃だった。

 急に保健医が窓の外を見ながら「ごめんな」と謝ったのだ。


「え、何が?」

「なんでもねえよ」


 明日は雪の代わりに隕石が振ってくるかも知れない。

 珍しく殊勝な保健医に対して、このときはまだ、こんな馬鹿げた感想を抱けていた。


 それから春休みが来て、四年生に進級したときには保健医は学校からいなくなっていた。

 聞いた話では、マリが保健室に引きこもっている間、保健医はたびたび校長や教頭と揉めていたらしい。


 その年の運動会では初めて創作ダンスが各学年で披露されたが、マリは救護テントの中だった。

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