「つまりモグリの義肢装具士?」
「ははーんなるほどね。足の型取りね。でも知らない人が見たらどう見ても卑猥なことしてるようにしか見えないよね」
槙島が木製の椅子を引きずって現れ、背もたれをこちらに向けて跨がると頬杖をついてにやにやと。
差し入れと聞こえた気がしたが、槙島はビニール袋に入っている残り二本のアイスをこちらに渡すこともなく、左手にぶら下げたままちろちろと自分だけアイスを舐めている。
エアコンの壊れた室内は蒸し風呂状態で、しかし窓をあけたところで吹き込んでくるのは結局熱風。
長らく放置していたスタジオにカーテンのようなものはなく、照りつける日差しの中でマリは羨ましげに槙島のアイスキャンディを見つめた。
「ていうかそれ、今度は何してるの?」
槙島がきょとんと指差した先では、夏目がマリの腰を覆うシャツの中に頭を突っ込んで(もう隠している意味がない)手をわちゃわちゃと動かしている。
マリは感触でなんとなくわかるが、槙島の位置からはシャツに覆われているので怪しさ満点だろう。
「石膏を含んだ包帯で足を覆ってる。五分もすれば固まって型ができる」
「へーそうなんだー」
興味なさそうな声でとってつけたような感想を述べると再びアイスをちろちろと。
聞く気がないのなら聞かなければいいのにと思いつつ、マリのほうは気になっていたので図らずも答えを知ることとなった。
そもそも夏目が説明をしなさすぎる。
どうやら水に浸かっていた包帯が石膏入りだったらしい。
身体に巻きつけた状態で乾燥させればその形状のまま固まってくれるので、これで足の型が取れるのだとか。
石膏ででろでろの包帯を巻きつける夏目の手はもはや爪の中まで白く汚れている。
そのうえ構うことなく額の汗も拭うので、アフリカの先住民族みたいに白い線が浮かんでいた。
ちなみにマリの腰に巻かれたシャツも例外なく石膏がべっとりとこびりついていて紙粘土臭い。
そうか、初日に夏目からしたのはこの匂いか。
包帯を巻かれている間それなりに踏ん張っていると、どうしてもじとりと汗が浮かんでくる。
これはすごく嫌だ。
夏目がシャツの中に顔を突っ込んでいる現状では。
ぎゃんぎゃんとうるさい盛りきった蝉の声と、夏目が石膏を撫でつけるぺちゃぺちゃという音が茹だるような暑さの室内にこもる。
「もういいか」
およそ五分後、夏目はずずずと形を崩さないように包帯を引っこ抜いた。
「もう楽にしていい」
とれたてほやほやの足型を手にブルーシートへ腰をおろすと、足が入っていた部分を念入りにチェックし始めた。
脱ぎたてのタイツを観察されているようで居心地が悪い。
「ねえ、ここってトイレとかないの?」
とはいえ腰に巻かれたシャツの中のほうが気になっていた。
一刻も早く確認したいマリが夏目の背中に問いかけると、振り向くことなくスタジオの右端を指差した。
マッドサイエンティスト工房と対になっているあのドアだ。
四つん這いになって移動する道すがらスカートを拾い、やっとの思いで扉をあける。
「ぎゃっ」
「あははーいうと思ったー」
マリの叫びを聞いた槙島が腹を抱えて嬉しそうに笑った。
そこはよくあるユニットバスだった。
トイレと、鏡の設置された洗面台、部屋の隅にはシャワーカーテンつきのバスタブ。
生徒の更衣室兼シャワーとして使われていたのだろう。
レールにはハンガーや古びたドレスがひっさげられている。
それはいいのだが。
「何この張り紙……こわっ」
壁一面に付箋や雑誌の切り抜きが張られていた。
フロアの壁の比ではない量。
そのうえ鏡には真っ赤な文字で『Keep your face up up up! to this message!』という謎の英文が書かれていた。
きーぷ……なんだって?
「すごいでしょー。昔世界を目指していたカップルがいてさあ。あ、カップルっていうのはダンスのペアのことなんだけど、女の子のほうが向上心ありすぎて魔改造しちゃったんだよねえ」
これ全部、ダンスの注意書き……?
今までこれといって熱中したものがないマリにとっては異世界すぎた。
だが背に腹はかえられない。
仕方なく中に入ってドアを閉め、ものすごい威圧感を覚えながらも淡々とシャツの中をチェックした。
……よし、そんなに蒸れてない。
ラップを綺麗さっぱり取り払ってスカートを穿きスタジオに戻ると、夏目が背中を丸めて何やら作業をしていた。
這いよって肩口から覗き込む。
型の余計な部分をハサミで切り落としつつ入り口にパテを塗っていた。
なんだがケーキ職人みたいだ。
「ねえ、それは何をやってるの?」
「入り口滑らかにしてる」
夏目の骨張った手からは想像できないほど器用な手つきで、生クリームを盛りつけるようにへらでパテを重ねていく。
すっかり型が整うと、今度はバケツに入っていたコンクリートを流し込み始めた。
「なんだ、わたしを海に沈めるためのコンクリートじゃなかったのか」
人魚がコンクリート詰めにされて海底に沈んでいるところを想像して一人で笑っていると「はあ?」と仏頂面を向けられたので笑いが引っ込んだ。
恥ずかしい妄想を聞かれてばつが悪くなる。
小さい頃に姉から人魚姫云々の話を聞かされて以来、ときどき変な妄想をする癖がついてしまった。
「これコンクリートじゃなくてギプス泥。これを入れて固めて、陽性モデルにする」
「陽性……何?」
「この外枠にギプス泥を入れて固めたやつ。お前の足の形を写し取った模型のこと」
「ふーん。夏目さん案外物知り」
「お前……俺のことなんだと思ってるわけ?」
何って……なんだろう。
もう踊りは辞めたらしいからダンサーではないし。
女の足を作ることが趣味の変人にしか思えない……と考えて、根本的なことに気づいた。
「そもそも夏目さんって義肢装具士の免許持ってるの?」
義足を作る人は義肢装具士と呼ばれ、専門学校や大学で必要過程を学んだあと国家試験に受からないといけないはずだ。
「いや、無免許だけど」
「無免許!」
そういうのありなのか。
ついうろんげな視線を向けると「研究のために作ってるだけだから。卒業制作みたいなもん」と悪びれもせずに。
「つまりモグリの義肢装具士?」
「おーおー、かっこいいじゃねぇか」
「どこが」
某モグリの天才外科医ならいざ知らず、モグリの義肢装具士ってかっこいいのか?
「ねーえ、お話中悪いけど」
三本目のアイスを食べ終えた槙島が遠くから口を挟み、
「その義足とやらはあとどれくらいでできるわけ?」
「ギプス泥が固まるのに二日はかかるから……まあ三日もあれば」
「なら間に合うかあ」
「たぶん」
間に合う? 何が?
当事者であるマリを差し置いて進んでいく会話に嫌な予感がした。
そういえばバイトとして持ちかけられたのに未だ終了期限を明示されていない(もちろん金銭面での条件提示もない)。
「ちょっと待って、間に合うって何が?」
棘のある言い方で割り込めば槙島がびっくりした顔をして、
「えっ、まさか話してないの? 俺さっきエントリーして来ちゃったよ?」
「エントリー?」
思わず声が裏返って喉を痛めた。
エントリーって日本語にすると……参加申し込み?
何の?――顔を引きつらせたマリをよそに、足型を床に叩きつけて空気を抜いていた夏目が顔をあげ、
「納涼祭」
「え?」
まるで天気の話でもするかのようにさらりと言った。
「そこで俺と踊ってもらう」
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