【朗報】宝箱、飼える 〜現代ファンタジー世界で異能力者になった少女が意味不明なキーワードで話題沸騰しまくってる件について〜

福井フェルール

序章 情報交換

0・1 在りし日




 212X年の、ある夏のこと。


「おとーさん、おとーさん! 今、なにしてるのー?」


 保育園の年長さんであるリサは、母から預かってきた温いカフェラテを手渡しながら、椅子に座っている父の肩にしがみついた。


「おー、リサ。お父さんはな、今は論文を書いてるんだ。これは凄い発見なんだぞー?」

「うわぁ! よめなーい!」


 リサは、机の上のパソコンを眺めた。

 その画面に映っていたのは、父が書き途中の論文。

 しかし、その論文はリサには読めなかった。だって、それは全て、アルファベットで書かれていたのだから。


 その未知の文面を前に、リサは眉をひそめ、母から受け継いだ整った顔立ちを真剣一色に染めた。

 が、それが読めないものだと気づくと、彼女は目を輝かせ、ニコニコと父の横顔を眺め始めた。


 この時の彼女は、読めない文章に、中二病的なかっこ良さを見出していた。そして、それを父が自在に操っていることが、何だか誇らしかったのだ。

 そんなわけで、リサはしばらく、父がすらすら論文を綴るのを肩にしがみついて眺めていたのだが。

 ある時突然、石像のように固まると、直前までのご機嫌な顔から一転、悲しそうに呟いた。


「でも、じゃあ今って、おしごと中……?」

「ああ、お仕事中だ」


 「おしごと」。それは、「おかね」のことをよく知らない彼女にとっては、両親と彼女を引き裂く諸悪の根源だった。


 しかしこの前、その考えを両親に伝えると、彼らは決まって困り果てたような顔になったのだ。

 いわく、それは出来ないと。仕事を辞めたら、お父さんは、お母さんは、たくさんの人に迷惑をかけてしまうことになる、と。


 大変だ。迷惑行為は大罪だ。それを、リサはかつてポエキュアから学び取った。

 そうしてリサは仕方なく、「おしごと」とやらを打ち倒すことを諦めた。


「……じゃあリサ、1人でえいが見てるー。おとーさんはおしごと、がんばって」

「お、おう。今手が離せないから、お父さんとしては助かるんだけど。でも、リサは良いのか……?」

「あのね、おとーさんとおかあさんのおしごと中は、1人であそぶミッションなの!」


 なればこそ彼女は、今はがまんの時、と意気込んだ。だって、彼女は年長さんなのだから。

 寂しさを隠すように、彼女は格好つけて笑うのだった。


「……っ。いい子だ、偉いぞリサ。でも、我慢させてごめんな。お父さん、お仕事が終わったらいっぱい遊んでやるから、ちょっと待っててくれな」

「うん! おとーさんがおしごとするなら、リサもミッションがんばるのー!」


 リサが何もないのにニコニコしていると、彼女の頬を父の手が撫でた。

 それは決して大きくない、B5の紙に収まるくらいの手なのだが、それを当時のリサは肉厚で偉大な手のひらのように感じた。


「っ、そうだ。じゃあ、リサがいい子で待っていてくれたら、お父さんは何でも1つ、言うことを聞いてあげるぞ?」

「んー? なんでも?」


 その問いかけはどういう意味だ、と。父は、かつて母に言質を取られた時のことを思いだした。

 だが、相手は小学生にも入っていない娘子だ。

 そう酷いことにはなるまいと、父は頷いて。


「うーん。じゃあね、リサ、おとーさんがおしごとするところ、みてていい?」


 あら可愛らしい。父は即座にそれを受け入れた。


 父の膝の上でふんふんとご満悦なリサ。

 リサの頭の上でだらしない顔をしている父。


 それはとても微笑ましい光景なのだが、これでも父は仕事中なのであった。


 カタカタと、そこそこのお値段のキーボードが軽快な音を奏でた。

 時折挟まるエンターの音が一区切りとなって、つらつらと伸びていく知らない文字列を、リサは退屈せずにじっと見つめていた。


 それからもリサは騒ぐこともしなかったため、父がむしろ、いつもより筆が乗ったような状態で論文を書き進めること3時間。


 膝の上でうつらうつらしていたリサは、椅子が動いたことで目を覚ますと、背中を預けている父を見上げた。

 すると、父はパチリとウインクをした。


「ふぅー。どうだリサ、お父さんのお仕事は?」

「あのね、すごいよ! かたたた、たんって感じ!」

「……それ、褒めてるんだよな?」


 リサは求められたままに感想を伝えたが、父は複雑そうな顔で彼女を見つめて……不意に、別な方向に目を向けた。


 そこにあったのは、傘を長さそのまま太くしたくらいの袋。

 その中身は、外からでは分からない。が、リサはそれを見たことがあるような気がした。


「キャンプセット?」

「あぁ、これな」


 思い当たるものを呟いたリサに、父は情けない声音で愚痴り始めた。


「今日みたいに疲れたときは、深夜にこっそりベランダで、炭火焼肉して、ハンモック吊って寝るんだ。今日だって、生徒から旅行のお土産で焼肉をごっそり貰ったからな。

 論文書いてたら、どうしても疲れが溜まるし。たまにはリフレッシュしないと、お父さんもやってられないんだよー。

……いや、研究は楽しいし。論文っていうのも、研究の成果発表なわけだから、楽しみようはあるんだけどな」


 そんなふうに語る父の表情は、真に迫っていた。


 が、リサは疲れ、という概念を知らなかった。

 強いて言うなら、疲れを感じる前に彼女は寝落ちする。そして、目覚めたときには体力が常に全快している。それが、子供が体力モンスターたる所以ゆえんなのである。


「せーかっぽー?」

「成果発表、な」

「せいか、はっぴょ~」


 だから、そんな風に間抜けな会話をして。

 父は、可愛くて仕方が無いと娘をむにむにと撫でて、辛抱たまらんとパソコンを閉じた。

 作業途中の論文は、こうして保存されることなく泡と消えたのだ。


「よーしリサ。今から、お父さんと一緒にお風呂入るか!」


 色々と注意力散漫になっている父は、リサを抱き抱えると意気揚々と部屋を出て。


「お風呂は、まだ湧いてないけどね」


―――母が、書斎の横の廊下に居た。


「あっ、あ、そうなんだ」

「ちょっと? 人の顔見て、そんなに豹変しなくても良いでしょ」


 彼女は、父の最高のパートナーだ。

 それは、家庭においても、仕事においても、である。

 だからこそ父は、母にこのようなストレス解消系の話題を出すのは藪蛇になりそうで、避けてきたのだが。


「いや、いつから見てたのかなって」

「『どうだリサ、お父さんのお仕事は』、くらいからだけど?」


 聞かれてた。

 父は、そろりと母の顔色をうかがった。


「今日、バーベキューとキャンプ、するのね?」

「うっ、それは……はい……1人で楽しもうとしてました」


 まるで裁判のような、重い空気が父にまとわりつく。

 父は何か、母の逆鱗に触れるようなことをしてしまったらしい。


「もう」


 父がリサを床に降ろして、母の二言を待っていると。

 母は、大きなため息をついて、ずいと父に近づいた。


 そして。


「好きに楽しみなさいな。

 私、そんなのに目くじら立てるほど狭量じゃないわよ?」


 かつて父が惚れた微笑みが、その時も褪せることなく父に向けられて。と思えば、家事でちょっと荒れた手が、頬に触れた。


「今日も綺麗だよ、美咲みさき。それと、ありがとう」

「ふんっ……りっくんの癖に生意気なんだから。そんな綺麗事言うくらいなら、焼肉の一欠片でも寄越しなさい」

「分〜かったよ。今日は3人焼肉だ」


 置いてけぼりのリサを抱きしめて、父は笑う。

 やはり家族との団らんも、ストレス発散の特効薬なのだ。


「え、良いの?」

「当たり前だろ」


 父の言葉に、とりあえず喜んどけとぴょんぴょんするリサを眺めながら、2人は寄り添いあった。


「でも、次からは、勝手に大きい買い物をしないこと。大体、あのキャンプセット、いくらしたの?」

「そ、それは……ほら、デカい馬券当ててただろ? 1年前に、辛庭市立大の教授がさ。実は、あれの予想に俺も参加しててさ。その配当で……つい」

「つい、じゃないでしょ! こら〜、逃げるなぁ!」


 そして、残ったのは子供の前で出来ない話題である。

 静かに怒った母は、逃げる父を追いかけて。


 母は強し、と父は再認識したのだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る