5-8

「……一度落ち着いて、俺の話を聞いてくれないか」

 見てわかるほど、巽の顔が曇った。恋はソファから身を乗り出す。

「俺、看護師辞めてバーを始めたって言っただろ? 辞めたって言うか、逃げたんだ。怖くて、もう看護師なんか続けられないって思って」

「穏やかじゃないわね」

 どうして今こんな話をするつもりになったのか──真意を考えながら、恋は相槌を打った。

「俺が勤めてた病院は歌舞伎にあって、訳ありの患者が多かったってことも話したけど、妊娠した娘が多くてさ。オーバードーズで運ばれる患者の次に多かった」

「まあ、場所柄どうしてもそうなるわよね」

 オーバードーズ。医薬品を一度に大量に飲む行為だ。多幸感を得たり、意識を朦朧とさせて現実から逃げるために行う者が多い。とかく歌舞伎にはそれをやる人間が多かった。恋は路上で薬を流し込んでいる少女を見たことがある。

 妊娠した女が多いというのも当然だろう。それこそ背景は様々だが、望まない妊娠をしてしまう女の話は、歌舞伎ではゴシップにもならない、ごくありふれた話だった。冷にとっても、客の一人を妊娠させてしまったなどというのは小さなミスくらいにしか思っていなかったのだろう。

「忘れもしねえよ、土砂降りの夜だった。女の子が一人、下半身を血まみれにして運ばれてきた。その娘は、切迫流産の危険があって通院してたんだ。本当は入院するべきだったのに、お腹の子の父親を探しに行くからってそうはしなかった。父親は飛んだんだな。よくある話だ」

「本当、ありふれた話だけど、聞くたびに胸糞悪くなるわね」

 全く、人間は進化の仕方を間違えたと思う。世の中には生殖行為と引き替えに絶命する種族だっているというのに。その点で人間は、少なくとも蟷螂以下だ。

「どう見ても急を要する状態だった。その娘はすぐに手術室に運ばれた。これはもう、子供は絶望的だろうなって、誰も口に出さなかったけどそう思ってた。手術台に乗せられた途端、彼女は血を吐いて苦しみだした」

 彼の顔に刺す影が、どんどん色濃くなっていく。語るのも辛そうに、必死に絞り出すように話を続ける。

「只事じゃない、これはもう切るしかない、って思った途端だった。彼女の腹が……中から裂けたんだ。その、腹の裂け目から……」

 テーブルの上に乗せられた彼の手が小刻みに震えている。悍ましさを思い出しているのか、顔は蒼白だった。

「その腹の裂け目から、ぎょろっとした目玉が俺を見たんだ。それも一つじゃない、奴は体中が目玉だった。それが全部俺の事を見て、俺は、悲鳴を上げて腰を抜かした。腹の中から目玉が這い出してきた。そいつは泥みたいな黒い体と、目玉だけでできた化け物としかいいようがない生き物だった。そいつは手術台から落ちると、床を這い回ったんだ。テケリ・リっていう、気味の悪い鳴き声を上げながら」

 二重の驚きが、恋を襲った。

「そいつは、その化け物は、どうなったの?」

 自分でもわかるくらい、声が震えていた。

「医療器具を洗浄するための薬品があった。劇薬だ。俺はパニックになって、その薬品が入った瓶を手に取って、そいつに叩き付けた。そいつの体が、吐きそうな酷い臭いをさせながらボロボロに崩れていった。黒い泥みたいな所は千切れて欠片みたいになって、後には、体が無くなって転がり落ちた目玉だけが残った……」

「そいつ、あたしが追ってる化物が孕ませた奴だわ。間違いない」

 恋は確信をもって叫んだ。こんなおぞましい体験をしていたからこそ、巽は今までのあらゆる奇怪な話をすんなり受け入れてくれていたのだ。そして、彼は大きなヒントをくれた。

「ねえ、お願いがあるの」

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