第82話 愛の足跡
「ごめんなさい、お待たせしちゃって」
総白髪でぽっちゃりしたおばさんが、エプロンで手を拭きながら私の隣に立った。
「あの、これ、もしかして、純子さんが」
おばさんはにっこりと笑う。
「そう。さすが、よく分かりましたね。これは純子さんが作ってくれたの」
「そうですよね。純子さんっぽいなと思って」
「私、純子さんの作品のファンで、ずいぶん前に個展を観に行ったのね。その時に純子さんとお話しして、こども食堂をやってるんですって言ったら、ここに見学に来てくれて。それで、この家を作ってくれたの」
「そうなんですか」
「純子さんの旦那さんもボランティアをしてるじゃない? だから、ここにもいろんなものを寄付してくれて、クリスマスには子供にプレゼントまで用意してくれて」
「そうなんですね。そんな話、全然してくれなくて」
「あの二人は普通にそういうことをやってるから、話すほどの特別なことじゃないと思ったのかもね。あなたのお話も純子さんから聞いてますよ。葵さんと心さんと。純子さんのところによく行っていたんでしょ?」
私は深くうなずいた。
「二人とも親がいないのに、子供だけでよく頑張ってるって、感心してたわよ。お通夜で二人とも来てたでしょ? 抱き合って号泣してたの、見てた」
「そ、そうですか」
「純子さん、多くの人に愛されてたんだなって思って。ホントに、惜しい人を亡くして。それも、こんな早くに。神様は残酷ね」
おばさんは眼鏡を外して目尻を拭った。
ああ。純子さんは、あちこちに愛を残していったんだなあ。
「純子さんが推薦した人だから、きっと大丈夫だと思って。それじゃ、ワークショップの説明をしましょうか」
こども食堂の代表の目黒博子さんは子育てが終わり、お孫さんがいる世代だ。目黒さんも含めて3人のおばさんで切り盛りしてるらしい。
自宅を食堂に開放するって、それだけでもすごいことだよね。
こども食堂って名前はよく聞くけど、どんな風に運営してるのか、初めて知った。常設してるところのほうが少なくて、たいていは公民館とかカフェを借りて月に1回だけ開いているところが多いんだって。
「でも、それだとお腹を空かせてる子供たちは困るでしょ? だから、うちは週に二日開けることにしたの。それだって、ホントは足りないと思う。困ってる子供たちは毎日でも食べたいだろうし」
「あ、あの、何人ぐらい、いつも」
「大体20人から30人ぐらいかしらね。うちは大人も利用していいの。ただ、大人は一回500円もらうけど。子供は無料ね。働いているお母さんが、仕事が終わったら保育園に子供を迎えに行って、その足でここに連れて来て、親子で食べて帰る家庭が多いわね。帰ってからご飯の用意するなんて、大変じゃない? だから、週に二回でもうちで食べるようになって、ずいぶん楽になったって言ってくれる親も多いのよ」
「そうなんですね」
子供が一人で来て食べていくイメージがあったけど、違うんだな。
「やっぱり、シングルマザーの方が……?」
「そういう方もいるけど、共働きの夫婦も多いし。シングルファザーの家庭もあるし、さまざまね。共通してるのは、どこも大変だってこと。私たちが子育てしてた時代より、今はもっと過酷なのよね。うちの子供たち見ててもそう思う」
「ホント、ホント。うちらは専業主婦をやってられたけど、今は共働きじゃないとやっていけないからね」
「教育費も高いし、ちゃんとした教育を受けさせるなら私立に行かせなきゃだし」
何となく、こういう活動をしている人は「意識高い人」っていうイメージがあったけど、3人とも近所のおばさんのような雰囲気で、友達の家に遊びに来たような感覚になる。
「それで、夏休みはお母さんたちは大変なの。仕事を休めないし、でも子供たちはずっと家にいるし。学童保育を利用するのにもお金がかかるしね」
「えっ、そうなんですか?」
「うん、そうなの。といっても、区がやっている学童は月に数千円だけど、民間は何万もかかるし。それに、『保育園落ちた、日本死ね』っていうのと同じで、学童も入れるとは限らないし」
「そうなんですか?」
「だって、保育園に通わせていた親御さんは、子供が小学生になっても預け先が必要なわけで。預け先が足りないことは同じなのよ。学童も色々問題を抱えてるのよね。だから、長い休みはここで週に一回ワークショップを開いて、日中はここにいてもいいようにしてるの」
何でもないように語ってるけど、簡単にはできないコトだと思う。すごいな、この人たち。
「それで、8月はミニチュア作りのワークショップをしたいと思ってるんだけど、どうかしら? ただ、講師料とか材料代は、うちがもらっている寄付金からお支払いすることになるんだけど、それほどお支払いできなくて……それでも引き受けてくださるなら、という話になるんだけど」
「あ、はい、料金はいくらでもいいです。その、引き受けたいと思ってます。純子さんにお願いされた、最後のお願いですし」
「ホントに? よかったあ。ありがとうございます」
「それで、えーと、参加する子供の年齢は、どれぐらいですか?」
「小学校の低学年が多いわね。高学年になると、一人で家でお留守番できるし」
「あ、幼稚園児はいないんですね」
「園児は親御さんか小学生以上の兄弟と一緒に来ることが条件。事故でも起きたら大変だからね」
「えーと、そうすると、カッターとかは使わないほうがいいですか?」
一つ一つ確認しながらメモを取った。小さい子が多いなら、ハサミだけで作れるほうがいいかな。カッターは危なさそう。
題材は何がいいんだろ。一人一人に作りたいものを作ってもらうのはちょっと、ムリそうだよね。収拾つかなくなりそう。
相談していたら、あっという間に夕方になって、こども食堂を開く時間になった。
「何をするのかは、ちょっと考えさせてもらえますか」
「もちろん。どういうものが必要になるのか、私達も分からないから、気になることがあったら相談してください。それで、よかったら、後藤さんもハヤシライスを食べていかない?」
「え、でも、子供たちの分が」
「いつも大目に作ってるから大丈夫よ。どうぞどうぞ」
ハヤシライスを温め直して、炊き立てのご飯をよそってくれた。
ハヤシライスなんて、食べるの何年ぶりだろう、懐かしい。ミニサラダ付きだ。
「ちゃんと食器で食べるのも大事なのね。忙しい家庭は、スーパーとかコンビニで買ってきたお弁当とか総菜をそのまま食卓に並べてるから、家に食器がない家庭もあるのよね。使うとしても紙皿とか、プラスチックのコップとか。それでも暮らしていけるけど、なんか味気ないんじゃないかなって。小さなことだけど、食器を使うだけで料理がもっとおいしくなるし、気持ちがホッとするんじゃないかって思うのよね」
「そうなんですね」
初めて聞くことばかりだ。世の中には、大変な思いで生活してる人たちが大勢いる。毎日必死で働いて、子育てして。そんな人たちに比べたら、ミニチュアを作れなくなったぐらいでメソメソしてる自分が、恥ずかしくなる。
「おいしかったです、ごちそうさまでした」
完食すると、目黒さんたちは「あら、キレイに食べてくれて」と嬉しそうにしている。
「後藤さんも、ワークショップの日はここで食べて行ってもいいのよ」
「あ、ハイ」
あ、一人で暮らしてるって思われてるのかな。まあ、お母さんの料理は当てにならないし、食べて行ってもいいかも。
お茶まで入れてくれて、ほっこりした気持ちになっていると、「おばちゃん、こんにちはー!」と子供が2、3人どやどやと入って来た。
「はい、こんにちは」
「今日は何、何?」
「ハヤシライス」
「えー、またあ?」
「また、じゃないの。一カ月ぶりよ?」
「オレ、ハヤシライス好きだから、お代わりしよー」
「おばちゃん、この間のテスト、73点だった!」
「へえ~、すごいじゃない!」
あっという間に、子供の声でにぎやかな空間になる。
「あ、それじゃ、私はこれで」
「はーい。じゃあ、どんなことをやるか決めたら、ご連絡くださいね」
「ハイ。失礼します」
食堂が忙しくなる前に退散することにした。玄関で靴を履いてると、ランドセルを背負った女の子が入って来た。
「こんにちは」
声をかけると、驚いた顔でこちらを見て、「……こんにちは」とささやくような声で言ったかと思うと、逃げるように階段を駆け上っていった。
大人相手だと緊張してしまう、あの感じ。懐かしい。私も子供のころは、あんなだったな。ってか、今もそうかも……。
家を出ると、私は久しぶりに晴れ晴れとした気分になっていることに気づいた。
こんな場を託してくれた純子さん。やっぱり、感謝しかないよ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます