第71話 にせものの家

 どういうこと? どういうこと?

 私、圭さんに「夜の音楽室」を見せたっけ?

 ううん、今週、圭さんの部屋に持って行くまで、見せてない。写真だって、バイオリンとか、楽器ができた時は送ったけど、それだって数枚だ。

 じゃあ、圭さんはどうやって。

 まさか。まさか。

 あの日、あの夜。

 私、あの日、圭さんにスケッチブックを見せた。圭さんに抱かれた、あの夜。


「葵ちゃん、圭君のこと、やっぱり誰も分からないみたいで」

 純子さんが戻って来て、私の様子を見て異変に気付く。

「どうしたの?」

 私は何も答えられない。体が震えてる。

 純子さんも圭さんの作品を見て、息をのむ。

「え、これって……」

 純子さんたちにも、心にも「夜の音楽室」は見せていた。


 あの夜、圭さんは。私が眠っている間に、スケッチブックを、私のスケッチブックを……? まさか、そんな。

「会場にお集まりの皆さん、お待たせいたしました。これから、審査結果を発表いたします」

 会場の端につくられていたステージに、司会者が立って呼びかけた。

「葵ちゃん、大丈夫?」

 純子さんは私の腕をつかむ。

「とにかく、圭君に話を聞いたほうがいいわよね?」

 私は小さくうなづく。

「圭君、どこかしら。ちょっとここで待ってて。探して来るから」

 会場の外に出ていた人も、続々とステージの周りに集まる。


「えー、まずは3位の発表からです」

 私は作品から目を離せずにいた。

 なんで。なんで。どうして、圭さん。どうして、こんなことを。あの夜のことは何だったの? 私のことを、圭さん。

 いつから? いつから、私を騙そうって思ってた?

 あの後、会いに行った時、圭さんは私を部屋に入れなかった。もしかして、あの時、この作品を作ってたの……?

 電話に出なかったのも。アカウントを消したのも。黙ってこの作品を発表するため?


 ふと、視線を感じた。

 振り向くと、ステージの正面に佐倉さんがいる。佐倉さんは私と目が合うと、すぐに目をそらせた。

 そうだ、佐倉さんに相談してみよう。佐倉さんなら、圭さんを問い詰めてくれるかも。

 佐倉さんのところに行こうとした時。


「第5回目の日本クリエイター展の大賞は、望月圭さんの『夜の音楽室』です!」

 わあっと会場が沸き立つ。圭さんが袖から姿を現して、ステージの上に立つ。

 昔の圭さんのように、カッコいい圭さん。髪はきれいにパーマがかかっていて、顔もさっぱりしていて。ジャケットにジーパン姿の、センスのいい圭さん。

 腕をつかまれて振り返ると、純子さんが立っていた。私はたぶん、死にそうな顔をしてる。純子さんは何も言わずに、肩を抱いてくれる。


「えー、まさか、大賞をいただけるとは思ってなかったので、とってもとっても光栄です。今までの僕はトルソーを必ず作品に入れてたんですが、今回はトルソーから離れてみました。僕の新境地の作品で、こんなに評価していただいて」

 盾を受け取って、圭さんは顔を紅潮させてスピーチを始める。


「僕がやらかしたことは、皆さんもご存じだと思います。あのころの僕はわがままで、完全にいい気になってて、多くの人に迷惑をかけました。『しくじり先生』から、そろそろオファーが来るんじゃないかなって思ってて」

 そこで、会場で軽く笑いが起きる。

 息が。苦しい。鼓動が激しすぎて。

 圭さん、どうして笑っていられるの?


「あの出来事があって、あっという間に仕事がなくなって、自分の実力なんてこんなもんなんだって、思い知って。もちろん、全部全部、自分が悪いんだけど。何度も絶望して、死のうって思ったこともあります。でも、でも」

 そこで言葉を切る。ちょっと涙ぐんでるみたい。

「子供が生まれて、支えてくれる家族ができたから、僕はまたミニチュアを作ろうって思いました」


 え。何。何て言った?

 私は思わず、佐倉さんを見た。

 佐倉さんはたぶん、私の視線に気づいてる。でも、圭さんの姿から目を離さない。

 まさか。まさか。

 ウソでしょ? 佐倉さんが、圭さんの……?

 さっき、佐倉さん、この場所で私と話していた時。すごく動揺していた。それって、まさか。

 知ってて……。佐倉さん、すべてを、知ってて……?


「3年ぶりにちゃんと作った作品で大賞を取れて、僕はようやく息子の翔に誇れる気がします。翔、パパだよ~、見てる?」

 圭さんは、佐倉さんが抱えている赤ちゃんに向かって無邪気に手を振った。

 左手の薬指には、指輪が光ってる。

 私はたまらず背を向けた。

 ダメだ。これ以上、見てられない。息が。息がまともにできない。

 ふらつく足で歩きだす。

「葵ちゃん、大丈夫?」

 純子さんがついてきてくれる。


 これ、夢かな。夢の中で起きてることかな。夢なら、醒めて。お願い、早く目覚めさせて。こんな悪い夢。もう見たくないよ。

 圭さんのスピーチは続き、拍手が何度も起きる。

 私、ちゃんと歩いてる? なんか、ちゃんと歩いてないみたいで。体がフワフワする。

 ようやく、エレベーターホールにたどりついて。震える指でボタンを押して。


 傷ついてる? 私。

 ううん、傷ついてない。

 傷ついてない。

 傷ついてなんか、ない。

 それなのに、どうして。

 どうして、こんなに、胸が苦しいんだろ。


 あれ。なんか、床が歪んで見える……。

 私は立っていられなくなって、その場に崩れ落ちた。

「葵ちゃん、葵ちゃんっ、しっかりして!」

 苦しい。助けて。苦しい。助けて。苦しい。助けて。

 純子さんはスマホを取り出すと、「あなた、葵ちゃんが大変で。今すぐ迎えに来て! あと、心ちゃんにも連絡して!」と叫んでいる。


 床に水がこぼれている。

 それが自分の目から零れ落ちる涙だと気づいて。

 自分でも聞いたことのない、悲鳴のような泣き声がホールに響く。

 心、助けて。苦しいよ。苦しいよ。

 私、バカなことをした。バカなことをしちゃったよ。

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