第65話 圭さんの苦悩

 それから、二週間に一度、圭さんの仕事場に通うことになった。

 圭さんが選んだのは最初に考えたコテージ風の家。結局、一から作り直すことになった。

 それはいいんだけど。

 今日も、あんまり進んでない。。。

 私が来られない間に作業をどんどん進めているのかと思ってたけど、まだ床と壁しかできてない。これでコンテストに間に合うのかな? 締め切りは来月末だって言ってたよね。しかも、床と壁の木の貼り方も、美しくないし。


「葵ちゃんは、籐のチェアを作ってくれるかな」

「いいですけど……圭さんは何を作るんですか?」

 あ、思わず聞いちゃった。

 圭さんは一瞬、眉をしかめた。

「うん、僕は今日は、タンスを作るつもり」

「そうなんですね」

 なんか、図々しいこと聞いちゃったかな。でも、躯体も私が作ったし、階段も作ったし、なんか、私の作業のほうが多い気がする。。。


 私が細い籐を慎重に折り曲げながら椅子の背もたれを作っている横で、圭さんは薄い板に線を描く。ふと、その線が真っすぐではないことに気づく。定規をあてて鉛筆で線を引いている圭さんの手が、震えてる。

 もしかして。アル中で手が震えるって、聞いたことあるけど。

 それで床や壁もキレイに貼れてないのかも……。

 圭さんは私の視線に気づいたのか、大きなため息をつくと、キッチンに行ってしまった。

 どうするんだろ。これだと、まともに作品を作れないよね。でも、さすがに私も全部を作れないし。


 圭さんはコーヒーを入れて戻って来た。私は気にしないフリをして、椅子を作り続ける。

 圭さんはコーヒーをすすりながら、「情けないよね」とポツリと言う。

「もう、まともに作れなくてさ。葵ちゃんも分かってるでしょ? この家、全然美しくないよね」

「……」

「こんなんじゃ、ダメだよね。コンテストに入賞するわけないし。こんなみっともない作品出したら、望月圭は完全にオワコンだとか言われるの、目に見えてるし」

「そんな、そんなこと」


「もうさ、こんなことやっても、意味ないよね? 作れないんじゃ意味ないよね?」

「そんな、圭さ」

 圭さんはどんどん感情が高ぶってるみたいで、声が大きくなってく。

 そして。止める間もなく、作りかけの家を叩き潰してしまった。反動でコーヒーカップが引っくり返って、テーブルと床にコーヒーがこぼれる。

 私は悲鳴を上げた。

 圭さんは床に崩れ落ちると、大声で泣きだした。

 えっ、えっ、どうしよ。男の人が大声で泣いてる姿なんて、小学校以来見たことないよっ。

 私はオロオロしながら、とりあえずこぼれたコーヒーの後片付けをするために、キッチンでふきんと雑巾を取って来て拭いた。


「ケケケガしなかった、ですか?」

 ティッシュの箱を差し出すと、「うん、平気」とティッシュを何枚も取って、涙を拭く。

「ごめんね、葵ちゃんがせっかく作ってくれたのに、家を壊しちゃって」

「いえ、まだ、躯体しかできてないし」

「みっともないよねえ。お酒におぼれちゃってさ、手が震えて、もうまともにミニチュア作れないんだよ。それが分かってても、お酒、やめられなくてさ」

 圭さんの涙が止まらない。

「もう、どうすればいいか分かんなくて」


 ぺちゃんこになったミニチュアハウス。

 私はお母さんにミニチュアハウスを叩き潰された時のことを思い出した。

 完成品じゃないからいいけど、やっぱ気分はよくないよね。

 でも、圭さんも、やりたくてやったわけじゃない。

 あんなにミニチュアを愛してた人が、まともに作れなくなったら、そりゃ傷つくし動揺するし焦るだろう。

 圭さん、心も手も痛かっただろうな。


「僕、生きてる価値、ないんじゃないかな」

「そんなことないです、そんなことないですっ」

 いきなり物騒なことを言い出す圭さんに、私は焦った。

 どうしよう。えーと、カウンセリングの演習では、何て言ってたっけ。相手を受け入れている姿勢を示すとか、傾聴するって言ってたよね、確か。

 膝を抱えて肩を震わせている圭さんの隣に、私はおずおずと座った。私はそばにいますよって、分かってもらうために。


 でも、どうしよう。なんて声をかけたらいいのか、分からない。

 圭さんに一人じゃないですよって伝えたいけど。

 ふいに、圭さんが私にもたれかかって来た。そして、私の肩に頭をのせる。私は一瞬で緊張した。

「……ごめんね、ちょっと肩を貸して」

「ハ、ハ、ハイ」

 うわあ。圭さんの頭がっ。顔がっ。こんなに近いっ。前みたいに甘い香りはしなくて、かすかにお酒臭いのが残念だけど。。。

 圭さんの体温が、肩からじんわりと伝わって来る。

 男の人とつきあったことのない私は、心臓がバクバクした。圭さんに聞こえちゃわないかな、この心音。


 やがて、圭さんは落ち着いたのか、顔を起こした。

「ありがと。葵ちゃんの肩、気持ちいいね」

「えっ、そそそうですか? なで肩だからかなっ?」

 舞いあがって訳わかんないこと言ってると、圭さんは涙を拭いながらアハハと笑った。

「あーあ、せっかく葵ちゃんに手伝ってもらったのに。めちゃくちゃにしちゃった」

「大丈夫ですよ。まだちょっとしか進んでなかったし。また作り直しましょう、私も手伝います」

「ホントに? 葵ちゃんには迷惑かけてばっかだね」

「いえ、そんな」

「葵ちゃんに再会できて、ホントによかった」

 圭さんは弱々しい笑みを向けた。うっ、そそそんな顔をされると。


「ええと、圭さん、組み立てるのはできますよね?」

「うん、それならできる」

「じゃあ、じゃあ、私がパーツを作るから、圭さんは組み立てるのはどうですか? それなら、私がいない間も作業を進められますよね?」

「ホントに? 助かるぅ」

 ホッとした表情の圭さん。


「だけど、一つ、お願いがあります」

 私は圭さんに向き合って正座した。言いづらいけど、言わなきゃ。

「お医者さんに見てもらってください。その、アルコールの依存症の専門家に。私、お母さんが一時期アルコールにおぼれてて……その時、大変だったから。だから、圭さんも、その」

「ありがと、心配してくれて」

 圭さんはささやくような声音で言う。

「そうだね。一度、お医者さんに見てもらったほうがいいかもしれない」

「そうです、そうです」


「葵ちゃんは優しいね。こんなダメな僕のことを心配してくれて」

 圭さんは涙に濡れた瞳でじっと私を見る。ドキッとした。

「こんな姿、葵ちゃんにしか見せられないよ。葵ちゃんといると、なんか、ホッとするんだ。弱い自分をさらけだせるっていうか」

「え、え、そんな」

 私は、どうしたらいいか分からなくなった。落ち着け、落ち着け、私の心臓。

「そそそれじゃ、パーツ作りますからっ。圭さんは休んでてくださいね」

「ありがと。この辺、片付けるね」


 その日、私はパーツを作れるだけ作った。

 気がつくと高崎線の終電の時間が迫っていて、「ヤバイ、ヤバイ」と慌てて帰り支度をした。さすがに、大宮からタクシーで帰れないし。

「泊っていけば?」

 圭さんが何気なく言ったから、私はフリーズしてしまった。


「あ、ごめんごめん、女の子に言う言葉じゃなかったよね。たまに寝泊まりすることあるから、あっちの部屋にベッドがあるんだ。僕は自分の家に戻るから、ここに泊っていってもいいよ、っていう意味」

「あ、え、えと、でででも、家にはここ心が」

「そっか。一緒に住んでる友達がいたんだっけ」

 圭さんは「駅まで送ろっか?」と言ってくれたけど、2、3分で着く距離だから、気持ちだけありがたく受け取ることにした。


「それじゃ、気を付けてね」

 ドアのところで見送ってくれる圭さんに、私は「それじゃ、また」と頭を下げて、階段を早足で降りた。

 泊まってけばって……うわああああ。なんか、なんか、すごいこと言われた。深い意味ないんだろうけど。

 ってか、圭さんがあんなに苦しんでるなんて、どうにかしてあげたい。

 キラキラしてて、ミニチュアの天才で、やわらかいけど妥協を許さない厳しさもあって。そんな圭さんが、もがき苦しんでる。

 私がそばにいることで、抜け出せたら。

 私はそばにいてあげよう。圭さんが元に戻るまで。


 踊り場の蛍光灯が切れかけているから、夜の階段はいっそう暗い。踏み外さないようにしないと……。

 でも、高い位置にある窓から、街灯の明かりが差し込んで、階段の一部をぼんやりと照らしている。

「あっ」

 私は足を止めた。

 この光景。南沢さんのカバーのミニチュアに使えるかも?

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