第45話 19歳、冬

 心さんとの二人暮らしは、おずおずと始まった。

「おずおず」って言うのは、お互いに距離感に戸惑っていて、手探り状態で暮らしはじめたから。

 初日は、「仏壇に、僕のお母さんの位牌と写真も置いていい?」とおずおずと聞かれて、私は「もちろん! どうぞどうぞ」って即答した。


「きっと、おばあちゃんとおじいちゃんも、仲間が増えて喜ぶと思う」

「ありがとう。お母さんも、話し相手ができて寂しくなくなるかな」

 仏壇に位牌と遺影を飾って、お祈りをする心さん。遺影のお母さんは若くてキレイで、見てるだけで胸が痛んだ。

 どんなお母さんだったんだろう。なんで亡くなったんだろう。今まで、どうやって生きて来たんだろう。一緒に暮らすうちに、きっといつか、話を聞く日が来るかもしれない。


 家の中に家族ではない誰かがいるのって、不思議な感覚。

 朝起きて顔を合わせたら「おはよう」と挨拶して、夜眠る前は「おやすみ」って声をかける。心さんは全然目を合わせてくれないけど、家の中に誰かがいるってだけで、とっても安心する。お母さんがいなくなってから、やっと家で穏やかに眠れるようになった。


 二人で暮らしはじめて一週間ぐらい経ってから、いろんなことに気づいた。

 今のところ心さんはキッチンに立ったことがない。朝ご飯はコンビニやスーパーで買ってきたパンとインスタントのスープ、平日のお昼は学食、夜はやっぱりコンビニやスーパーで買ってきたお弁当、時々カップ麺。そんな感じ。

 見張ってるわけじゃないけど、ゴミ箱に捨てられてる空き箱とかパンの袋とかを見てたら、大体分かる。

 そして、土日に純子さんのところに行ったら、ものすごい勢いで手作りのご飯を食べる。

 私は朝ご飯や夕ご飯も自分で作ったりするけど、心さんの分も作っていいのかどうか、分からない。

 心さんに、「朝ご飯、一緒に食べる? よかったら作るけど」って誘っても、首を横に振られた。遠慮してるのか、食べたくないのか、分からないな。うーん。


 心さんは、基本的に家にいる間は和室に閉じこもってる。リビングのテレビを観てもいいよって言っても、スマホで動画を見てるみたい。ちゃぶ台で勉強してるのを見かけた時、リビングのテーブルを使ってって言ったけど、「大丈夫だから」って出てこなかった。やっぱり、気を使ってるのかな。

 大学に行く時間も基本バラバラだから、一緒に通学するのは月曜日しかない。その時も、なんか気まずい空気が漂ってて、お互いにスマホを見ていたりして。

 一緒に暮らしてるのに、全然しゃべってないよ。。。こんなんでいいのかな?


 心さんはバイトを探していて、あちこちに面接に行ってるみたいだ。

「でも、この髪型と僕って言うのがダメみたいで、そっこー拒否られてて」

 純子さんの家で、そんなことをポツリと言った。

「しばらくは貯金で何とかなるかもしれないけど」

「そんなに焦らなくても大丈夫よ。お金がなくなったら、ここに住めばいいし」

「僕が仕事を見つけようか?」

 純子さんと信彦さんが提案しても、「もうちょっと頑張ってみます」って辞退する。

 たぶん、心さんは人の負担になりたくない気持ちが強いんじゃないかって思う。人に頼りたくないっていうか。そういう環境にずっと身を置いてきたからかもしれない。

 まあ、私も人のことは言えないか……。



「たぶん、頼り方が分からないんじゃないかな」

 信彦さんはそう言ってた。

「そうねえ。養護施設で育って来たなら、家族に甘えられる環境ではなかったわけだし。自立心が強いのかも」

「どっちかっていうと、心さんは甘える相手が欲しいんじゃないかな。でも、自分はそんなことをしちゃいけないって、必死で自分を止めてるって言うか。甘え方が分からないんだろうね、きっと。だから、僕らがその甘えられる相手になれればいいかなって思ってるんだけど。それは時間がかかると思う」

「そうかもねえ」

 純子さんは腕組みをして考え込む。

「普通に誘って遠慮するなら、こっちからどんどん巻き込んじゃえばいいんじゃない?」

「巻き込む」

 それって、どうすればいいんだろ。




 月曜の朝、起きてきた心さんに「おはよう」と声をかけた。

「あ、おはよう」

「あのね、朝ご飯作りすぎちゃって食べきれないから、心さんも食べない?」

 私は食卓にベーコンエッグの乗ったお皿を二皿並べた。ちなみに、ゆでたブロッコリー・ウィズ・マヨネーズがサイドディッシュ。心さんは固まってる。

「たいした料理じゃないから、食べて食べて」

 心さんはためらいつつ、「じゃあ、い、いただきます」とテーブルに着いた。よかった。ホ。

「あ、じゃあ、トーストを焼いてもらっていいかな? 私、紅茶を入れるから」

「うん」

 心さんは素直にオーブントースターに食パンを2枚入れる。私はその間にマグカップに紅茶を注いだ。

「砂糖とミルクを入れる?」

「……うん」

 ミルクポットとシュガーポットを食卓に用意した。


 私、妙にドキドキしてる。

 もしかして。彼氏に初めて朝ご飯を作る日って、こんな風にときめくものなのかな。って、なんでやねん。彼氏ちゃうやろ。

 なんて心の中でボケツッコミをしながら、心さんの反応を待つ。

 心さんは「いただきます」と小さく挨拶してから、ぎこちなくフォークで目玉焼きを切って、口に入れる。

 噛みしめるように食べてから、「……おいしい」とつぶやいた。

「ホントに? ホントに⁉」

 思わず二度言っちゃった。

 小さくうなずいてから、心さんは黙々と口に運ぶ。


「わ、私、半熟気味が好きなんだけど、半熟気味に作ったんだけど、どう?」

「うん。僕も半熟が好き」

「そっかあ~、よかった」

 心さんはトーストにバターを塗り、頬張る。

「いいなあ、料理が上手で」

 思わぬ心さんの評価に、私は心底ビックリした。

「えええっ、そんなことないよ⁉ これ、卵とベーコンを焼いただけだよ? ブロッコリーはゆでただけだし、たいしたことしてないよ?」


「それでもすごいよ。施設から出る前に料理を教えてくれたりして、自立していけるように一人暮らしの練習をする期間があるんだよね。でも、僕、なんか料理が苦手で。ってか、あんまり作る気になれなかったって言うか。教えてくれた調理師さんも、『今は冷凍食品とか総菜でいろんなのがあるから、ムリしなくても大丈夫』って言ってたし。だから、ちゃんと教わんなくて。でも、葵さんが料理を普通に作ってるの見て、なんか羨ましいって言うか。もっとちゃんと教わればよかったって」


「そそそんなこと、私もたいしたの作れないよ? おばあちゃんが、焼くのとゆでるのも立派な料理だから、それだけで十分だって教えてくれて。だから、冷蔵庫の中も、焼いたりゆでたりすればいいものばっかだもん。ソーセージとかサーモンとか。メニューにするなら、干物を焼いて、ご飯に納豆とインスタント味噌汁とか。野菜が足りなかったら、ほうれん草をゆでて醤油をかけるだけ、とか。そんなもんだよ? あ、後、たまにかぼちゃの煮物を強烈に食べたくなること、あるじゃない?」

「……? そうなの?」


「うん、あるの、そういう時が。そういう時は、スーパーでカットされたカボチャを買って来て、麺つゆで煮るだけ。だから、手の込んだ料理は作れないんだ」

「カボチャ好きなんだね。そういうのも立派な料理だって、僕も思うよ」

「そうかなあ。あ、今度、冷凍のフライドポテトを使った、簡単なグラタン、作ってみる? 火を使わないで、オーブントースターで焼くだけでできるんだよ」

「へえ~、そんなのがあるんだ」

「うん、うん。ポテトとシーチキンと生クリームを混ぜて、塩コショウして、溶けるチーズをのせてトースターで焼くだけ。それなら、包丁も火も使わないし」

 心さんは真剣な顔で「うん、うん」と聞いてる。

「そうだな、後は」

 ふと、私は思いついた。

「ねえ、心さん、バイト、まだ決まってないよね?」



「……というわけで、心さんに料理を教えてあげて欲しいんです」

 市原さんは「もっちろん。葵ちゃんの頼みだもん、料理なら任せて!」とおどけて胸を張った。

 はなまる亭は、懐かしいパートのおばさんたちが何人もいた。

 店長さんは、「金髪? 接客でそれはちょっと」と、眉をひそめている。

「調理だけならいいじゃないですか。調理場から出なければいいんだし。ちょうど、三浦さんが腰を痛めて、そろそろパートを辞めようかって話が出てるし。私が料理を教えるから、いいでしょ?」

 市原さんが食い気味にお願いすると、店長さんは渋々「まあ、市原さんがそこまで言うなら」と認めた。

「土日も入ってくれるなら、いいけど」


 心さんは私の顔を見た。

「あ、純子さんたちの家に行くのは、日曜の夜でいいんじゃないかな」

「じゃあ、土日も入れます」

「まあ、それならいいかな。葵ちゃんの友達だしね」

「ありがとうございます!」

「よ、よろしくお願いします」

 心さんはぎこちなく頭を下げた。


「葵ちゃんがうちのおばあちゃんに作ってくれたミニチュアハウス、今でもうちに大事に飾ってあるんだから」

「ホントですか?」

「うん。老人ホームのワークショップも好評だって、施設のスタッフさんから聞いた。葵ちゃん、頑張ってるね」

「いえ、そんな」

「私も、葵ちゃんに作ってもらったミニチュアのお弁当、まだ財布につけてるわよ」

 店長さんの奥さんが見せてくれた。

「そのうち、世界的に有名なミニチュアの先生になったりな。そしたら、このミニチュアも自慢できるよな。ネットで高く売れたりして」

 店長さんはガハハと笑う。

「そそんな、それは大げさです」

「葵ちゃんならなれるって」

 市原さんが肩をポンポンと叩く。


 ああ。

 こんな風に、人と人がつながっていくのって、いいなあ。

 去って行って戻らない人もいるけど。新しい出会いがあって、新しくつながっていって。

 そうやって、私はこれからも、いろんな人と出会って別れながら、生きていくんだろうな。


 季節はいつの間にか冬になっていた。

 私の、19回目の冬だ。

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