第41話 からっぽの家

「えっと、えっと、じゃあ、どうすればいいの?」

「どうすればいいんだろうねえ。警察に捜索願でも出すか?」

 お父さんはずいぶんのんびりした声を出す。

「そんな、他人事ひとごとみたいな」

「いや、だってさ、オレと理沙はもう他人なんだよね。だから、言ってみれば他人事って言うか」

「……」

 私は絶句した。いくらなんでも、取り乱してる娘に言う言葉じゃない気がする。


「まあ、どうせすぐに戻って来るでしょ。タイに行ってた時もそうだったし。しばらく様子を見てたらいいんじゃない?」

「だって、だって、スマホを置いてったんだから、連絡取れないんだよ?」

「まあ、家の電話番号は知ってるんだからさ、なんかあったら電話かけて来るでしょ」 

「ちょちょちょっと冷たすぎない?」

 私は思わずお父さんを責めてしまった。

 ってかさ。お父さん、前、「オレは結婚に向いてない」とか力説してたじゃん。あれは何だったの? ……まあ、今はそれどころじゃないけど。

 お父さんは言葉につまったみたい。


「……うん、そうだな、確かに冷たすぎるかもしれない。理沙が来てから、うちの業績がアップしたのは確かだし、取引先をいっぱい開拓してくれたからね。理沙には感謝してるよ。でも、オレは新しい家庭も大事なんだ。そこを壊されるのは、許せないんだよね。だから、葵には申し訳ないんだけど、オレはもう、これ以上理沙とは関わりたくない。あいつも大人なんだから、家を出てくなりなんなり好きにすればいいけど、オレは探す気にはなれない。葵には悪いけど」

 申し訳ないけどとか、悪いけどって言ってるけど。関わりたくないなんて言われたら、もうこれ以上、何も言えなくなるじゃない……。


「ごめんな、力になれなくて。とりあえず一週間ぐらい様子を見てみて、それでも帰って来なかったら、また連絡してよ。まあ、あいつのことだから、すぐに帰って来ると思うけど。猪突猛進型だから、思い込んだら突っ走るけど、飽きたらすぐにやめちゃうからなあ。それでまわりは振り回されるんだよね」

 えっ。それって、私、一週間、一人でこの家で暮らすってこと?

「あ、そうだ。葵、来年お姉ちゃんになるぞ。あいつも、葵には一度会ってみたいって言ってて、そのうち場をセッティングするから。式はしない予定だけど、籍を入れ」

 最後まで話を聞く気になれなくて、電話を切っちゃった。

 ウソでしょ、お母さん。ホントに出てっちゃったの?

 私は呆然と部屋を見渡す。

 私、この家に一人? 一人で住むの? 今晩から?

 そうだ。

「サンマ、どうしよう……」

 どうでもいいことをポツリとつぶやいた。



「えーっ、大変じゃない。葵、大丈夫?」

 画面の向こうで優は目を丸くしてる。アメリカは朝だ。たぶん、私が起こしちゃったのかも。優は寝ぐせのついた髪で、パジャマ代わりにしてるTシャツ姿でスカイプに出てくれた。

 それはいいんだけど。

 優の隣には金髪の男性がいて、優の頭にキスしてる。おそろいのTシャツ。

 一か月ぐらい前に彼氏ができたって話は聞いたけど。そそそうだよね、もう大人の関係になってもおかしくないよね。うわあ、ラブラブすぎて、見てるこっちが恥ずかしくなる……。

「もうっ、ロバート。大事な友達と話してるのっ。向こうに行ってて」的なことを英語で言ってるのは分かった。

 ロバート。ごめん、空気読めなくて。二人でいい感じの朝を迎えたかったのに、私、割り込んじゃったんだね。ソーリー。


「葵、その家に一人ってことでしょ? 大丈夫?」

「うん……」

「誰か、泊らせてくれる人はいないの? 泊まりに来てくれる人とか」

「うーん……」

 明日花ちゃんたちとは疎遠になっちゃったし、大学では友達なんていないし。

 そっか。私、独りぼっちなんだ。全世界で、独りぼっち。

「私、日本に帰ろうか?」

 優が心から心配してるのが伝わって来る。

 それは嬉しいけど。優が単位を落とさないために、必死で勉強してるのは分かってる。こんなことで帰国してもらうわけにはいかない。

「ううん、それは大丈夫。あ、明日花ちゃんに相談してみる。もしかしたら、来てくれるかも」

「そうだね」

 優はしばらく思案してる様子。たぶん、私が明日花ちゃんに連絡しないのも、分かってるかもしれない。


「もし、もし、理沙さんが帰って来なかった場合なんだけど」

 優はためらいながら、用心深く言葉を選んでいる。

「シェアハウスみたいに、誰かに部屋を貸したらいいんじゃないかな」

「シェアハウス?」

「そう。私が住んでるここみたいに。その家は空いてる部屋があるでしょ? 静香さんの寝室とか、和室とか。一部屋だけ、誰かに貸すって言うのもあるんじゃない? 同じ大学の子とか。葵が一人で住むのは危ないでしょ? でも、家を出てアパートに住むのももったいないし。誰かに一緒に住んでもらうと、安心できるんじゃない? あ、もちろん女の子ね。家賃収入も入るし、悪い話じゃないと思うよ」

「なるほど……」

「今は、そこまで考えられないだろうけど。とにかく、これからは、毎日スカイプで話そ。ね?」

「うん、でも、彼氏さんがいるのに」

「いいの、いいの。ロバートとは大学が一緒だから、いつでも会えるし、気にしないで。とにかく、つらくなったら、いつでも連絡して。絶対だよ」

 優は、どうして私にここまで優しくしてくれるんだろ。私は優に何もしてあげられないのに。

 私は涙ぐみながら、でもムリに笑顔をつくって手を振って、スカイプを切った。


 お母さん。きっと、会社ではお父さんと再婚相手の姿を見て、胸がざわついてたんだろうな。そんなそぶり、全然なかった気がする。ってか、普段からイライラしてることが多いから、気づけないよ。

 気づいたからって、何かできたわけじゃないだろうけど。

 それにしても。何もかも投げ出したくなったんだろうけど、娘が一人になるってことについては、何も思わなかったのかな。

 おばあちゃんの病気で団結できたと思ったけど、結局、私なんかどうでもいい存在なんだろうな。

「あーあ……」

 ため息がシンとしてる家に響く。

 私、ホントにこの家に一人なんだって思ったら、急に怖くなってきた。膝に顔を埋める。早く、夜が明けて。明るくなって。

 仲いいわけじゃないし、母親らしいことをしてもらったこともほとんどない。

 でも、やっぱ、私にとってお母さんは一人だけなんだ。今更だけど。今更、だけど。



 どんなに泣いても、どんなに祈っても、奇跡は起きない。世の中には、そんなことはたくさんあるものだ。

 お母さんは一週間経っても戻って来なかった。お母さんのスマホも鳴らないし、うちにも連絡はない。

 私は一人で寂しくて怖くて、おばあちゃんの部屋で寝てた。おばあちゃんが守ってくれるだろうって思って。布団はかすかにおばあちゃんの香りがする気がする。もう時間が経っちゃってるから、気のせいだろうけど。

 まさか、お母さん、最悪のことを考えてないよね? って、不安が膨らむばかり。ネットニュースを見るのも怖くて。

 お父さんは「理沙に限って、そんなこと、ないない」って笑い飛ばすけど。

「たいしたことない」って押し切ろうとするお父さんを何とか説得して、警察に捜索願を出すことにした。

 警察で事情を話すと、「仕事をクビになって家出? お母さん、何歳?」って、警官のおじさんは鼻で笑う。

「旦那さんの前で悪いけど、男がいるんじゃないの?」なんて、娘の私の前で言うかなあ。

 お父さんは「あ、元旦那です。僕は、もう新しい家庭があるので」って、私の心をさらに冷えさせるし。


 一応、捜索願は受理されたけど、捜索してもらえない感ありありだった。

 警官のおじさんは、「すぐに帰って来るでしょ。うちのかみさんも夫婦げんかで怒って家出して、一カ月ぐらい実家に帰ってたことあったけど、あの時は」って、自分の体験談をベラベラしゃべってたし。

 私はスルーしたけど、お父さんは適当に相槌うって、「ホント、女ってのは困りますよねえ」とか、話を合わせてた。こんな時まで愛想笑いをしてるなんて、お父さんにイラっとした。

 警察を出てから、「ま、あんなもんでしょ、日本の警察なんて」って、「ホラ見たことか」って顔してる。

「じゃあ、このまま何か月も何もしないで待ってればよかったってこと?」

「いや、そんなことは言ってないでしょ。どうせすぐに帰って来るんだから、ここまでしなくても」

「すぐに帰って来るかどうか、分からないじゃない」

「まあ、そうだけど」

 お父さんは「それで、一人で大丈夫か? 生活費はあるの?」って話をそらした。


「まあ、貯金があるから、しばらくは何とかなりそうだけど」

 どうせ、「ううん、大丈夫じゃない」って言ったところで、何もしてくれないでしょ?

 お父さんはジャケットのポケットから封筒を取り出した。

「これ、当面の生活費。理沙はお金を置いてってないんでしょ? 足りなくなったら言って。って言っても、そんなに渡せるわけじゃないけど」

「……ありがと」

 ってか。お金を渡して終わりってこと?

 私、あの家で一人で暮らしてるんだよ?

 お父さんは、私と目を合わせようともしない。

「ごめんな、会社に行かないと。理沙が突然抜けて、バタバタなんだ」

「……そっか」

「それじゃ、何かあったら、いつでも連絡してよ」

 お父さんは手を軽く振って、駅に消えてった。

 あーあ。

 これからも、眠れない夜を過ごさなきゃいけないんだ。

 大学で友達をつくっとけばよかったかなあ。なんて、今更、後悔しても遅いけど。

 私はトボトボと、からっぽの家に向かった。


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