第38話 突然のピンチヒッター

 その日は、ホビーショーで圭さんのワークショップの手伝いをすることになっていた。

 10時からの回なら、9時までに会場に行って準備をすればいいかな。佐倉さんが先に行って準備してるって言ってたし。えーと、逆算して8時に出れば大丈夫かな。

 なんてことを考えながら朝ご飯を食べてると、スマホが鳴った。見ると、圭さんからだ。

「あ、圭さん、おはようご」

「あ、葵ちゃん……。あのさ、今日のワークショップ……葵ちゃんが講師をしてくれないかな」

「えっ」

 私は圭さんが言ってることを理解できず、しばらく固まっていた。


「いきなりで申し訳ないんだけど。僕、昨日の夜から体調が悪くて、熱が下がんないんだよね。熱が39度近くあって」

 かすれた声でそこまで言うと、ゴホゴホと咳き込んだ。

「えっ、えっ、だだだ大丈夫ですか?」

「分かんない……これから病院に行こうと思ってて。だから、今日は教えるのはムリそうなんだ」

 圭さんは苦しそうに息を吐く。

「葵ちゃんなら、いつも僕のやり方を見てるから、大丈夫だと思う。他に頼める人がいなくて」

 また咳き込んだ。


「えっ、でも、そんな、私に教えるなんてムリですよ!?」

「大丈夫だよ。葵ちゃんも、最近、ワークショップしてるでしょ?」

「え、いや、でも、まだ1回しかしてないし」

 それに、相手はお年寄りだし。圭さんファンの女の子に教えるのとは、全然違うよお。みんな圭さん目当てに来てるから、私が教えてもちゃんと聞いてない人が多いし。

「そっか……じゃあ、中止にするしかないかな。遠くから来る子もいるから、あんまり迷惑かけたくなかったんだけどな……。それに、イベントの運営側に違約金とか払わないといけなくなるかもしれないし」

「い、違約金?」

「ごめん、これは葵ちゃんには関係ない話だよね。急にこんなこと頼んで、ごめんね」

 圭さんの弱々しい声。

 どうしよう。そんなにあちこちに迷惑かけちゃったら、圭さんがこれから大変になるし。でも、私に教えるなんて、できそうもないし。どうしよう。どうしよう。


「じゃあ、やっぱ、僕がやるしかないかな……病院に行ってくるから、佐倉さんに伝えておいてもらえるかな。途中で倒れないといいんだけど」

 そこまで言うと、激しくせき込む。

「だ、大丈夫ですか? あの、私、私がやり……ます」

 思わず言ってしまった。

「ホントに……? そうしてもらえると助かるけど……迷惑じゃない?」

「えと、えと、迷惑じゃないです、全然」

「ありがとう。葵ちゃんは優しいね、ホントに」

 うううう。圭さんにそんな風に言ってもらえると、嬉しさがこみあげて来るよ。

「参加した人には、作品の画像をSNSで送ってくれたら、僕がアドバイスするって伝えてもらえるかな。できる限りのフォローはするって。後、分からないことがあったら、いつでもLOINで連絡をしてね」

「ハイ、分かりました」

「明日は行けると思うけど……ホントにごめんね。佐倉さんには、こっちから連絡しておくから」

 辛そうな声。圭さんはワークショップ命だから、相当落ち込んでるのかもしれない。

「分かりました。あの、あの、お大事にしてください」

 私は、できるだけ明るい声で言った。

「ありがとう。明日のことは、夜にでも、様子を見て連絡するから」

「分かりました」

 あれ。電話を切る直前、女の人の笑い声が聞こえた気がしたけど、気のせいかな。テレビの声だよね、きっと。



「女よ、女と会ってんの」

 佐倉さんは吐き捨てるように言った。

「へ?」

「圭さん、今、渡瀬みまってグラビアアイドルとつきあってんの。その子と遊びたくて、ワークショップを放り出したってこと」

「え、え、でも、電話では苦しそうに」

「あんなの仮病に決まってんでしょっ。それぐらい、気づかないの? あんな演技、よく信じられるね」

 そうかあ。あの笑い声、気のせいじゃなかったのか……。

 でも、そんなことで圭さん、ワークショップを投げ出すかなあ。あんなにミニチュアを作るのが大好きな人なのに。

 ってか。どっちにしても、私にキツクあたられても困るし(涙)。


 佐倉さんはピリピリしてる。そりゃあもう、ピリピリって音がしそうなぐらいに。主催者さんに何度も頭を下げて、参加者さんのために「本日、望月圭は講師をできなくなりました」って貼り紙も作って、SNSでもメッセージを出して。「返金用のお金を下ろさなきゃ」ってATMに走って。

 その合間合間に、「ったく、もう!」って何度も怒ってる。

 こんな時の佐倉さんには、余計な言葉をかけないのが一番。うん。

 私はとりあえずテーブルと椅子をセッティングして、ワゴン車から荷物を運んで、キットを席ごとに置いて行った。

 頭の中では、どんな風にどんな順番で教えるのか、ずっとシミュレーションしてる。それでも不安だから、教えることを手帳に書き出してみた。

 お台場の巨大な展示場。開場は9時だけど、出店する人たちのざわめきが会場いっぱいに響き渡っている。クーラーがかかってるのにすごい熱気で、私はすでに汗だくになってた。


「圭君、また来ないんだって?」

 堀さんが苦笑交じりにやって来た。

 堀さんはキッチングッズを専門に作ってるミニチュア作家さんだ。初めて観に行った展示会で知り合ってから、会うたびにお話しするようになった。堀さんのワークショップに参加したこともある。

「この間も、大阪のワークショップをドタキャンしたんでしょ?」

「えっ。そうなんですか?」

「うん。その主催者さん、僕のことをよく呼んでくれるんだけど、前日に『代わりにやってもらえませんか』って連絡があったんだよ。でも、準備が間に合わないから断るしかなかったんだけど。圭君、あちこちでそんなことをしてるみたいだよ。同業者の評判はよくないね」

「そうなんですか……」

「まあ、葵ちゃんには何の責任もないけど。今日はどうすんの? 返金?」

「あ、私が代わりに、その」

「えっ、葵ちゃんが代わりに教えるの? ホントに?」

 私は黙ってうなずいた。堀さんは目を丸くしている。


「まあ、葵ちゃんならずっと圭君の助手をしてきたし、大丈夫でしょ。圭君より丁寧に教えるかもしれないし。なるほどね。圭君、葵ちゃんに甘えすぎなんじゃないの? 葵ちゃんがしっかりしてるから、圭君が手を抜くんでしょ」

「い、いえ、そんなことは」

「まあ、とにかく頑張ってね。僕にできることがあるなら、手伝うから」

「ありがとうございます」

「純子さんも来てるから、純子さんにも声かけとくよ」

 和田純子さんもベテランのミニチュア作家さんで、ミニチュアハウス協会の理事をしている。日本にミニチュアハウスを普及させた第一人者だって、よくメディアでは取り上げられてる。

 そんなすごい人なのに全然偉そうなところがなくて、私の作品もよく「若い子は感性が豊かでいいわねえ」なんて褒めてくれる。優しくて、あったかくて大好きだ。

「純子さんが私のお母さんだったらいいのに」って、こっそり、何度も思った。


 10時近くになると、会場に次々と女性が集まって来た。いつもワークショップに参加できなくても、圭さんを一目見るために入り待ち・出待ちするファンが大勢つめかけるんだ。

 入り口で佐倉さんが、圭さんは急病で来られないことを告げると、一斉に「え~」「ウソ~」「わざわざ来たのに」ってブーイングが起きる。

「申し訳ございません。今日のワークショップは、代役として後藤葵が務めます。今日皆様が作った作品は、望月圭のSNSに画像を送っていただければ、アドバイスさせていただきます。必ずお一人ずつコメントいたしますので、ワークショップをできればご参加」

「3万円も払ってコメントするだけって、ふざけてない?」

「そうだよ。私は圭さんに直接教えてもらいたくて参加したのに。コメントだけされても意味ないし」

「だったら、出ないからお金返してよ」

 参加者から責められて、佐倉さんは顔を真っ赤にして、「申し訳ありません」とペコペコ頭を下げてる。佐倉さんは何も悪くないのに。。。


 結局、ワークショップを受けていくのは3人だけになった。

 ま、まあ、そうだよね。圭さんじゃなきゃ、3万円も払って教えてもらう価値ないもんね。むしろ、3人も残るほうがすごいことなのかも。

「そ、そ、それでは、ワークショップを始めます」

 うううう、重たい空気。

 会場の隅から、堀さんと純子さんが心配そうに見守ってくれていることに気づいた。ううっ、ありがたい。でも、たぶん、お二人の力は借りなくてもよさそうです……3人だけだし。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る