第36話 衝突

 老人ホームでのワークショップを来週に控えた日、職員さんから電話があった。

「あのー、先ほど、後藤さんのマネージャーさんから連絡があって、今回のワークショップは見送らせてほしいって言われたんですけど……どういうことでしょうか?」

 あきらかに声は戸惑っている。

「えっ」

 私はスマホを握りしめて絶句した。


「そ、そんな、そんなこと、私考えてませんよ? 来週のワークショップ、するつもりですよ?」

「そうなんですか? なんか、他に大事な用事が入ったから、今回は見合わせますって言われたんですけど」

「いえいえいえ、そんなことありません! マネージャーは私の母なんですけれど、何か勘違いしてるんだと思います」

「それならよかった! いえね、後藤さん、熱心に打ち合わせをしていたし、ワークショップで何を作るかも真剣に考えていたし、こんな突然、しかも直前にやめちゃうなんて、あり得ない気がして。それじゃ、来週は予定通りにワークショップをするってことですね?」

「ハ、ハイ、もちろんです。私はそのつもりで、じ準備してますから。ご迷惑をおかけして、もも申し訳ありませんでした」

「いえいえ、入所者さんも楽しみにしてるので、お願いしますね」


 電話を切ってから、私は階段を駆け下りた。リビングでは、お母さんがノートパソコンに向かっている。

「あ、葵、この間、注文してくれた人から」

「どういうこと!?」

 お母さんは眉を顰める。

「何?」

「今、ホームの人から連絡があったよ。来週のワークショップ、中止するって言ったんだって?」

「ああ」

 お母さんは、なんだ、そのことか、って顔になる。


「だって、あのワークショップ、ほとんど利益が出ないじゃない。交通費と材料費は全部向こうで持ってくれても、出張費は1万円しかもらえないんでしょ? 10人に教えて1万円しかもらえないなんて、ほとんどボランティアじゃない」

「それは、初めてのワークショップだから、様子見ってことで」

「だってね、葵。老人ホームまで往復する時間と向こうで教えている時間を合計したら、4時間か5時間ぐらいかかるでしょ? 1万円を時給で割ってみなさいよ。たったの2000円だよ? 10人に教えて時給2000円。そんな割の悪い仕事を引き受けてどうすんのよ」

 私は手をギュッと握りしめた。怒鳴っちゃいけない。怒鳴っちゃいけない。


「お金とか、関係ない。私はやりたいの」

「だからあ、プロとしてやっていくんなら、お金のことも考え」

「それはそれで考えるよっ。今回は、私のためにもやりたいの! これからワークショップの講師をやっていくんなら、教える練習しなきゃだし。今の私に必要だから、引き受けたのっ」

 感情が高ぶると早口になる。早口で話すと、さらに感情がヒートアップしてく。

「勝手にやるやらないって決めないで! これは私の仕事だから、私が決めるっ」


 お母さんはムッとする。

「あのね、葵は社会人を経験したことないでしょ? 私は社会人として常識的なことをやってるだけだから。葵がいくら大学生だからって、そんなタダ同然で仕事させるなんて、社会的には許されないことなんだよ? そんな仕事をさせないのは、親として当然じゃない」

 こんな時だけ、いきなり親アピールするなんて。普段は全然、親らしいことなんてしないくせに。

 その言葉は、かろうじて飲み込んだ。


「じゃあ、今回は初回だからその料金で引き受けるにしても、次からはちゃんとした料金を取らないとダメだよ? まあ、その辺の交渉は私がするけど」

「ううん、しなくていい。交渉なんてしなくていい。それは私がする」

「何言ってんのよ。そういうの、苦手なくせに」

「お金をいくらにするのかは、私が決める。これは、私の仕事だから」

 お母さんは言葉に詰まった。

「……分かった。じゃあもう、葵の仕事は手伝わない。勝手にしなさい!」

 ノートパソコンを勢いよく閉めると、お母さんはドンドン階段を踏み鳴らしながら二階に行ってしまった。

 私は脱力してソファに座り込んだ。

 もう何度目だろ、こういう衝突。心が削られるよ。。。



「まあ、あいつは他にやることないから、葵を仕切ろうとするんだろうな」

 お父さんは、相変わらず他人事って感じで、私の話を聞き流してる。

 月に一回はお父さんと会って、近況報告をすることになってる。おばあちゃんが亡くなってから、お父さんなりに心配してくれてるみたい。それでも、絶対に一緒に暮らそうなんて話にはならないけど。

 いつも大宮駅のレストランやカフェで会っている。一緒に暮らしてた時より、今はたくさんしゃべってる。話すのは、ミニチュアの仕事のこととか、学校のこととか、優のこととか。優はおばあちゃんのお見舞いに何回も来てくれたから、そこでお父さんと会ったんだ。

 帰国した時、優は家に帰らず、うちに泊まった。あの時は、みんなでワイワイとお鍋を食べたりして、楽しかったな。

「お母さん、ずっと私の秘書的なことだけしてるわけにはいかないだろうし。どうするつもりなんだろ」

 私はパンケーキを頬張りながら、軽くため息をつく。

 店内は女の子ばかりだから、お父さんはちょっと落ち着かない感じだ。ごめんね。このカフェ来たかったんだもん。

 お父さんはサンドイッチを食べながら、しばらく考え込んでいた。


「じゃあ、うちの会社で営業でもしてもらうかな」

「えっ」

 私はお父さんの顔をまじまじと見た。

「うちの会社も売り上げが伸びて忙しくなってきて、もっと人を増やそうかって話になってるんだよ。理沙はあれだけ押しが強いなら、ベンチャーの営業に向いてそうだしな。声をかけてみるか」

「ホントに? ホントに?」

 私が前のめりになってるのを見て、お父さんは苦笑した。

「娘をこれだけ困らせてるなんて、どうしようもない母親だな。まあ、オレも人のこと言えないけど。たまには、葵の役に立つことをしないとね」  

 お父さん、まるで後光が差してるみたいっ。まぶしい。まぶしいよ、その笑顔っ。


「そういえば、葵のミニチュア、好評だよ。季節ごとにミニチュアを変えたらどうだろうって意見も社内で出てるんだ」

 お父さんの会社のホームページで、私が作ったミニチュアの画像をトップページに載せている。お父さんの会社の家電をミニチュアにしたんだ。お父さんはちゃんと製作料を払ってくれた。

「ホントに? 季節ごとに作るの、楽しそう!」

「ちゃんと製作費も払うから、また作ってくれると嬉しい。葵も忙しいだろうけど」

「ううん、何とかするから大丈夫!」

 嬉しいな♪ 

 ミニチュアの仕事が途切れずにある。それだけで幸せいっぱいだ。


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