第23話 もう、戻れない家

 今、分かった。お父さんもお母さんも、「痛み」が分からないんだ。

 子供のころ、学校でつらいことがあって泣いてても、「何泣いてんの? 泣いても何も解決しないじゃない」って、お母さんに冷たく言われた。

 ホントは、なんで泣いてるのか聞いてほしかったのに。慰めてほしかったのに。

 お父さんだって、そんなやりとりを見ながら、「子供にその言い方はないだろ」とかお母さんに言うだけで、私には何も聞こうとしなかった。

 お父さんとお母さんは、似てる。二人とも気づいてないだろうけど、人に対して無関心で、痛みを理解しようとしないところはソックリだ。


「ごめんな、オレら二人とも、ふがいない親で」

 謝って終わりにしようとしてる。私は立ち上がった。

「そろそろ戻らないと」

「あ、ああ、そっか。ごめんな、忙しいのに」

 私は無言で首を横に振った。

「これからも、連絡するから。おばあちゃんのところに会いに行くし」

「来てくれなかったじゃん」

「え?」

「この3か月、会いに来なかったし、LOINでたまに連絡くれたぐらいじゃない」

「それは、起業のバタバタで忙しかったからで」

「仕事で忙しかったら一度も会いに来ないって、私より仕事のほうがはるかに大事だって言ってるようなもんじゃない」

「い、いや、そういうつもりじゃ」

 たぶん、私は壊れちゃってる。だから、普段は言えないことが言えてる。止まらなくなってる。


「『理沙は、もう葵とは住みたくないって言ってる』なんて、よく私に言えるよね? そんなこと言われたら、私が傷つくって分からない? 普通は、そんなひどい言葉を本人に伝えたりしないよ? 親に一緒にいたくないって言われたら、どんな気持ちがすると思う?」

 お父さんはタジタジという感じで、「ごめん」「そんなつもりじゃなくて」と繰り返す。

「悪気はなかったんだ」

「だから何? 悪気がなければ許されるって? 悪気があってもなくても、私が傷ついたことには変わりないじゃん」

「ま、まあ、そうだけど」


 文化祭のにぎわいで、私たちの言い争いもかき消されていく。みんなは楽しそうに笑って、おしゃべりして、輝いてるのに。私は何で、こんな悲しくてつらい話を今してるの?

 お父さんはうなだれた。

「そうだよな。オレ、会社でも同じこと言われるよ。部下に対して、オレは普通に接してるつもりなんだけど、キツすぎるとか、傷ついたとか。オレの要求は高すぎてついてけないとか。上からは、部下には優しく接しろって言われるけど、できてないことをできてないって伝えるのが何が悪いのか、分かんないんだよね。オレでもできることを『それぐらい、できるでしょ?』って言ってるだけなのに、追いつめられたって言われてもさ。だから、部下の指導なんてやりたくないって言ってんのに。面談で話をよく聞いてやれとか言われてさ」

 ええと。これって、グチ?

 なんで私は今、お父さんのグチを聞かされてるんだろ? 仕事がうまくいってなさそうなのは分かるけど。娘にグチること? それも、親が離婚するって言われたばかりの娘に。

 なんかもう、どうでもよくなってきた。。。


「お父さんもお母さんも、人の痛みを分からなさすぎ」

 その言葉に、お父さんは驚いた顔をした。

「私はずっと傷ついてたよ」

 お父さんは顔をゆがめた。それがお父さんの痛みなのか、怒りなのか、分からない。

「来てくれて、ありがとう。それじゃ」

 私が行きかけると、「ごめんな、葵」とお父さんは背中に投げかけた。

「ミニチュア、続けなよ。好きなことをずっと続けるのって、すごいことだから。葵がすごいのは、誰から何を言われてもミニチュアを作り続けてるところだから。親失格でも、そこは素直にすごいって思ってるよ」

 振り返ると、お父さんは寂しそうな笑みを浮かべていた。

 痛かった? お父さん。

 でもね、私の痛みはその数千倍、ううん、数億倍なんだよ。



「あ~、よかった、葵ちゃん探してたの!」

 教室に戻ろうとすると、明日花ちゃんが階段を駆け下りてきた。

「あのね、完売! ミニチュアグッズ、売り切れちゃったの! だから、急遽、追加で作ろうってことになって」

「えっ。そうなんだ」

「今日はムリでも、明日の分は作れる?」

「うーん、粘土はもうないんだよね」

「うん、だから、これから粘土を買いに行ってくる! 視聴覚室で作業をしていいってことになったから、葵ちゃんは準備しといてくれる?」

「分かった」

 明日花ちゃんは玄関を飛び出していった。


 視聴覚室にカッターマットとデザインカッター、絵の具とかを用意して持って行くと、優さんがいた。

「あれ」

「私も作ることになった」

「そうなんだ」

 よりによって。気まずさマックス。

 二人で黙って、机に新聞紙を敷いて、カッターマットとデザインカッターを組み合わせて置いて行った。

「仲いいんだね」

 ふいに、優さんは口を開く。

「お父さんが見に来るなんて、仲いいんだね」

「そんなこと、ないよ」

 私は絵の具が足りるかどうかをチェックしながら、気のない返事を返した。

「優しそうなお父さん」

 何気なく、ポツリと言ったその言葉に、最高にイラッと来た。


「そうだね、優しいから、離婚するってわざわざ文化祭の日に言いに来たんだよ」

 毒のある言葉に、優さんは絶句した。

「……ごめん、私、何も知らないのに」

 優さんは珍しく動揺してるようだ。

「余計なこと言っちゃったね」

 ううん。優さんは、何も悪くない。何も知らないんだから。

 手の甲に、涙がポタリと落ちる。

「……大丈夫?」

 私は手の甲で涙をぬぐい、顔を上げた。

「大丈夫」

 こんなことで泣いたりなんか、したくない。泣いたりなんか。

「空気、入れ替えよ」

 分厚いカーテンを開けて窓を開けると、ひんやりした風が教室にふわりと舞い込む。風の底には金木犀のかすかな香り。散りかけている校庭の金木犀が、最後の香りを放っているのだろう。

 窓からは、前の校舎の様子が見える。ステンドグラスや色紙で飾り立てられた廊下を、大勢の人が楽しそうに行き来してる。きっと、傷ついて泣きそうになってる人なんて、一人もいないんだろう。


「うちはさ、妹ばかりかわいがってもらえて、親は私には冷たいんだ」

 優さんが隣に来て、一緒に外を眺める。

「両親の仲はいいし、親と妹もすっごく仲良くて、家では3人でずっとしゃべってる。旅行も3人でよく行ってる。でも、私はずっと一人。食事中も、3人は私を抜きでしゃべってる。私が何かをしゃべっても無視されるか、『そんなこと、今話す必要ある?』とか嫌味言われる。テレビを観ながら、3人で盛り上がってて。私は空気みたいな存在で。旅行には私は行かないって前提で話を進められちゃうし。だから私は一人でお留守番。もう慣れたけど。食べ物を買うお金を置いて行ってもらうだけでラッキーだなんて思ったりして」

 私は優さんの横顔を見つめた。

 淡々と語ってるけど、ものすごい壮絶な話だ。


「それでも、親は離婚してないから、まだいいほうなのかもね」

「で、でも、なんで、妹さんばかり?」

「さあね。うちの妹は可愛いからね。顔も、性格も。私はかわいくないし、いつもキツイことばっか言ってるから、子供のころから疎まれてた。かわいくないって」

「そ、そうなんだ」

「妹はテストで何点取っても怒られないし、50点でも『頑張ったじゃない』って褒められる。私は100点取っても何も言われないし、成績が落ちたら『お前はやっぱりダメだね』ってけなされる。叱られるんじゃなくて、バカにされんの。だから、必死で勉強してここに入った」

 優さんは、大事なことを打ち明けてくれてる。私だけに。


「私は、今、おばあちゃん家で暮らしてる。夏休み前から、ずっと。お母さんはタイに仕事で行っちゃって、いつ帰って来るか分からないし、お父さんは私と二人で暮らすのは困るって、おばあちゃんのところに預けられて……で、離婚するから、私はこのままだって。家を売るから、家にある荷物を持って行ってって、さっき言われた。お母さんは、私と暮らしたくないって。お父さんも、暮らせないって」

 なんか、私、自分に起きたことじゃないみたいに、話してる。

 淡々と話す私の声が、私の声じゃないみたいで。

「そっか。どこの家も、いろいろあるんだね」

 優さんは頬杖ついて、真剣に聞いてくれてる。

 そういう優さんだって、つらいはず。自分以外の家族はみんな仲いいなんて。家族がそろっているのに一人ぼっちなんて、そのほうが、きっとつらくて苦しい。

 いつも優さんが一人で行動している理由が、分かる気がする。


「この間、キツイこと言っちゃって、ごめん……」

 優さんは落ち込んだ声を出す。

「ううん、あれ、当たってた。私、いい気になってたから。私、今まで、こういうイベントで班にはなかなか入れなくて、入れてもらう立場だったの。でも、みんなに一緒の班になろうって言われて、教えてって頼まれて、普通に話せるようになって、優さんも一緒に話せばいいのになんて、偉そうなこと考えちゃってて。それで一生懸命話しかけてたんだと思う。余計なお世話だよね」

「後藤さん、人が良すぎ」

 優さんは軽くため息をつく。

「あれは、なんか、後藤さんのことを見てて、イライラしちゃったって言うか。八つ当たりみたいなもんだよ」

「え?」

「私、家では、家族の顔色を窺って、言いたいことを言えないから。親に媚びることもあるし。そんな自分が大嫌いで。それで、後藤さんを見てて、勝手に重ね合わせてイライラしちゃって」

「そっか……」

 言葉が続かず、しばらく二人で黙り込んだ。


「ミニチュア作るの、楽しいね」

 ポツリと優さんは言う。

「ミニチュア作ってる間は、何も考えなくていいって言うか。ミニチュアにハマるの、分かる気がする。私、家でもずっと作ってた」

「そうなの。どんなに嫌なことがあっても、ミニチュアを作ってたら」

 そこで言葉を切る。引っ込んでた涙が、またこみあげてきたからだ。

「大人って、弱いよね」

 優さんの言葉が胸に深く刺さる。

「そうだね」

 さっき会社のグチを言ってたお父さん。全然共感できなかったのは、きっと自分を正当化してたからだ。あんな場面で、「お父さんも大変なんだな」なんて思えないよ。

 空港で恥をかかされたって怒ったお母さん。私と暮らしたくないってことは、私を許せないってことだろう。元はと言えば、お母さんが悪いのに。


 弱い。大人はとっても、弱い。

 私はポロポロと涙をこぼしながら、目の前の校舎で笑いさざめきながら行き交う人々を見ていた。みんな幸せそう。みんな輝いて見える。だけど、私は一人、打ちのめされていて。

 やっぱり、あの家に、私の居場所はなかったんだ。

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