とある惑星の食事

雨矢健太郎

第1話




 冷蔵庫を開けた。


 中には夕食の材料が入っていた。それは開ける前からわかっていた。自分で用意したのだ。他の誰かに無理やりそこへ突っ込まれたわけじゃない。


 (自分って誰だ?)


 一瞬そう思った、一瞬だけ。


 身分証明証を取り出そうか迷った。どうかしている。


 「ウル、お前どうかしてるぜ」


 そう呟いてみた。かなり上手くいったと思う。だからこの件に関してはこれでおしまいだ。


 中腰で冷蔵庫の中を見つめたまま硬直していた。


 なんだか思っていたのとは違うものが入っているような気がしたから。


 「………おいジャイロ、お前なんかここへ入れたか?」


 向こうの部屋へと語り掛けた。んあ? という間抜けな声が返って来た。おれの手はまだ冷蔵庫の扉に掛けたままだ。


 冷蔵庫の、その中段に見覚えのない物が収まっていた。収まっている、というより自らの意思でそこに滞在しているようにおれには見えた。試しに小声で話し掛けてみた。


 「ぷぬあああああああっ」


 そいつは小刻みに振動し、呻いた。隣りの部屋から同僚のジャイロがぬっと姿を現した。


 「どうしたよ?」


 おれは中腰のまま指差した。


 「こいつ何だよ?」


 ジャイロは目をまん丸くし、何か不思議なものでも見つめるかのようおれを見下ろした。


 「ウル………お前が持って来たんだろ?」


 何だって?


 「昨日の夜やけに上機嫌で探索から帰って来てよ『明日の食料はゲッチューしたからもう安心だ』とか言って冷蔵庫に突っ込んで寝ちまったんじゃねえか」


 「全然、覚えてないな」


 本当だった。


 おれはもう一度、冷蔵庫の中のそいつを見てみた。目が合った。多分、目なのだろう、それか鼻の穴だ。


 「本当に覚えてないのかよ?」


 ジャイロは真面目な口調になり問い掛けた。言いたいことはわかる。おれが酒でも飲みながら仕事をしているのではないかと疑っているのだ。


 母星との通信が途絶えてから一体どれくらいが経過したのだろう?


 時間なんてそれを観測する者がいなければ意味を持たない。この未開の惑星にいるのはおれとジャイロの二人だけだ。


 何もかもが失敗だった。


 今ならそう断言、出来る。


 ただ最初の頃はそうは思わなかったし、おれたちにはこれから何か素晴らしい未来が待ち受けていると勘違い出来た。予測が甘かったのだ。自分たちにはとんでもない報酬が用意されていてそれを受け取る権利があるのだと。


 おれたちは都合の良い嘘を鵜呑みにしてしまった。自分のより良い方に解釈した。あいつらは………母星にいるあいつらは、ただ自分の利益のためにありもしない嘘を捲し立てていただけなのだ。こんな仕事は本来、死刑囚にでもやらせるべきだろう。


 だが全てはもう遅い、こうなってしまった以上は引き返せなかった。何故なら………。


 日記を読み返す。


 出発する前、おれたちはそれぞれ自分に用意された人生がこんなものではないと心の何処かで思っていた。未だ見ぬ輝かしい未来がこの先にあると信じて疑わなかった。しかしおれたちはあの下らない人生でどうにかして満足すべきだったのだ。そのための努力こそすべきだったのだ。分不相応なものに手を伸ばし、その結果がこれだ。


 母星から遥か遠く離れた惑星で同僚と二人、閉じ込められていた。


 通信はとっくに途絶えている。


 いつから? 体感がおかしくなっている。数週間前からかもしれないし、数年前かもしれない、数十年と言われても納得しただろう。向こうへ行って計器を確認すればすぐにわかる、だがもうそれを認識したくもなかった。かつて自分たちのいた母星の時間を指し示す画面上の小さな数字。頭がおかしくなる。


 異常事態に対応する訓練はされていた。だが重要な点はおれたちはホワイトボードを前にしてそれを聞いていたという点で、こんな真空状態で監禁されていたわけではなかったということだ。


 「向こうで何かあったのかな?」


 最初の頃はおれたちもまだのんびりと構えていた。


 おれたちは帰りの燃料を積んでいなかった。


 定期的に約束の場所へ無人の補給便がやって来ることになっていた。


 実際それは何度か来た。


 おれたちの記した足跡を辿ってやって来たのだ。


 だが何の脈絡も無くある時を境にそれも途絶えてしまった。理由はわからない。おれたちは永遠の闇に向かって信号変換された問いを投げ付けた。それは虚空を漂い本当に向こうに着いたのかどうかもわからなかった。返答は無かった。


 おれたちはただここで待つより他無かった。


 分厚いレンズのようなドームの窓をなぞり表を見た。核戦争後の更地のような惑星。おれは厳重に管理されたこちら側から温かい珈琲を飲む。珈琲はまだ充分に在庫がある。


 「なあ、本当に次の便が来ると思うかい?」


 ジャイロが言った。それはもう何度も繰り返された質問だった。


 (こいつには自制心ってものが無いのか?)


 おれは憤怒した。そんなことはな、このおれだって何度も繰り返し心の中へと問い掛けているのだ。だがけしてそれを口にはしようとは思わなかった。何故なら意味が無いからだ。


 「来るさ」


 おれはいつものようそう答えた。


 おれとジャイロはまだ冷蔵庫の前にいる。


 「ふう………」


 その中のおれが昨夜、連れ帰ったらしい奇妙な生き物をじっと見つめた。


 可哀想に。こいつもまさか他の惑星からやって来た異星人に拉致されて、こんな冷たく意味不明な暗い場所へと閉じ込められるなんて夢にも思っていなかったろう。それともこいつらは夢を見る機能なんて無いのか?


 開けっ放しの扉の前で動かないおれにジャイロが言う。


 「まだ生きてる、帰してやろうぜ」


 「ああそうだな」


 おれは言った。


 「こいつのいるべき場所へと帰してやろう。きっとそうするべきだ」


 「………一人で大丈夫か?」


 ジャイロが問い掛けた。おれはふっと笑った。


 「何度も行き来してるさ」


 「そうか」


 ジャイロはそれ以上、何も言わず入口から出て行くおれを見送った。遠隔操作で扉を開閉する。カプセルドームを出る際、入口のすぐ脇には打ち捨てられた測量の計器が無造作に転がっているのが視界に入った。


 ジャイロは溜息をついた。この星へとやって来てから上手くなったのは溜息のつき方だけだ。


 母星との交信を試みる。反応は無い。







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