Inner Animal3
帰ってきた城の大部屋では、フル装備の騎士たちと父が俺を待ち構えていた。
もちろん、ハリアットを始めとしたマッキャノ勢も一緒だ。
なんだかタヌカンの騎士たちの空気がピリピリしているようだが、それも当然か。
同じ草原の民であるマッキャノとやりあった時は、本当にタヌカンは滅びる寸前までいったものな。
「戻りました」
「待っていたぞフーシャンクラン。ズバイべの騎兵と話してみようと思う、言葉を訳してくれないか」
ウロクでもその役割はできるだろうが、父たちからすればマッキャノもズヴァイべもまだまだ同じようなものだ。
そこは当然、俺が間に立つべきだろう。
「勿論です、今彼らはどこに?」
「食堂にてもてなしている」
「なるほど。何用だと?」
「ウロク曰く、お前に用があるのだと」
「俺に?」
俺はちらりと、ハリアットの方を見た。
ウロクから何か聞いていないか? という事を期待した視線だったが……
彼女はこちらへにこりと微笑み、お茶の入った銀のカップの置かれた机をトントンと指で突いた。
「父上、少々お待ちを」
「ああ」
ハリアットの侍女が引いてくれた椅子に座ると、カップの横にスッと焼き菓子が出てきた。
俺はもうすっかり飲み慣れてしまったお茶で口を湿らせると、ハリアットにズヴァイべの騎兵について尋ねた。
『相手の目的は何か聞いた?』
『あの人たち、あなたに
『首都まで? 何で?』
チヨノポリタといえば、ズヴァイべの首都だ。
ここよりもずいぶんと寒いところにあるそうで、あまり雨も降らず厳しい気候だと聞くが……
『所詮ズヴァイべはラオカンの妾の子が立てた国、あなたを
『マッキャノの首都まで俺が行ったから、ズヴァイべの首都にもって事か? 呼ばれる理由がないと思うが……』
首を傾げながらそう言うと、ハリアットは震えるほど冷たい目で、朗らかに笑ってこう答えた。
『なら行く必要なんかないわ。使者は首にして返しましょう』
『…………』
彼女は時々
身内とそうでない者の線引がきつすぎて風邪をひきそうになる。
弱い者に理由なく無体を働くというわけではないが、とにかく他人に容赦がないのだ。
『……君は時々、そうやって怖い事を言うよな』
『そうかしら? 急にやってきて無理を言う相手にも配慮は必要?』
それをマッキャノが言うのか、というのは飲み込んで、俺は彼女に諭すようにこう言った。
『人と人との間の事は、話してみるまで何もわからないさ。血が流れないならそれに越した事はない』
『お優しいこと。あなたは会った事もない雑兵にまでそういう事を言うのね』
『君は……』
おほん! と、部屋に父の声が響く。
思わずそちらを向くと、部屋の全員の視線が俺達夫婦に向いていた。
「で、どうだ?」
「やはり私に用があるそうで。一度、その者と話してみようと思います」
「そうか、ではここへ呼ぼう」
父が手を叩くと、一人の騎士が食堂へと走る。
しゃりん、と誰かが剣を抜く音がした。
びぃん、と弓に弦の張られる音がした。
ハリアットだけじゃない、騎士たちもやる気満々だ。
これは交渉如何では使者は死ぬな……と、俺は気合を入れ直したのだった。
食堂から大部屋へと連れてこられた使者は、マッキャノと全く変わらない見た目をしていた。
人種も同じ、服装も同じ、そして言葉も同じ、ならば話はできるはず。
俺の家庭教師であるとにかく怪しいイスローテップ女史の薫陶は、今なお役立ち続けている。
『タヌカン辺境伯家三男、フーシャンクランである』
スヴァイベの使者との間に机を挟み、彼らと城の者たちを隔てるように座った俺がそう名乗ると……
四人組の使者のうちの一番大柄な男が、ガラガラ声で答えた。
『貴様がぁ!……荒れ地のフー……であられるか?』
なんだかこちらを威嚇するような大声で話し始めた男は、俺に視線を向けるとなぜか急速にトーンダウンした。
喉の具合でも悪かったんだろうか?
男は隣の椅子に座る者をギッと睨みつけ、こう続けた。
『俺はチヨノポリタのタドゥルナだ……です』
『タドゥルナ殿、この度は遠方よりはるばる荒れ地を超えて来られたとか。これまでズヴァイベがこちらへ来る事はなかったはずだが……?』
『
今回彼らが来る理由でもあったであろう、禁が解かれた理由というのを聞くべきだったのだが、俺は別の事が気になった。
荒野と草原の間にあるという、黒水の谷という土地……
その存在を、こちらはこれまで聞いた事もなかったからだ。
『……その黒水の谷とは?』
『腐った、飲めぬ水の湧き出る呪われた谷だ。その谷で火を使うと死ぬと言われている』
あれっ? それって石油じゃない?
『その場所は……』
『それよりも、我らがこうしてやって来た理由でもある、ズヴァイべの大首領であるハチクマ様からの命を読み上げる!』
俺はもっと黒水の谷の事を聞きたかったが、使者はさっさと話を進めてしまった。
『申す!
なんだかずいぶんとふわふわした書状だな。
タドゥルナは大汗をかきながら書状を読み上げるが……
要約すれば、俺に何か手土産でも持ってチヨノポリタまで遊びに来いよという事らしい。
チヨノポリタまで来たら色んな楽しい事があるから、結構歓待しちゃうよ、とまで言っていた。
俺なんかを呼んでそんな事までして、一体何の意味があるのだろうか?
『以上が、荒れ地のフーへのハチクマよりの親書でござった』
え? 親書だったのか? さっき命とか言ってなかったか?
『と、とりあえず……なぜ俺なんかを呼び出すのか、これがわからない』
『いやいや……聞けば、荒れ地のフーはマッキャノのツトムポリタへは行かれたそうだな。ならばズヴァイべのチヨノポリタへも来て貰わねば、こちらとしても体裁が悪いという事だ』
『それならそちらへ行ったことにしてくれればいい。土産は持たせるから』
俺がそう言うと、彼は俺の後ろにいるハリアットたちの方をちらりと見て、大きく首を横に振った。
『そんな事をすれば、ズヴァイべは天下の笑いものだ! この通り! どうか頼む! 黒水の谷を超えて来てくれれば、そこからは我が一族が毎夜毎晩、飲みきれぬほどの酒で歓待しよう!』
タドゥルナは大汗をかきながらそう言って頭を下げた。
まぁ、マッキャノとズヴァイべの距離が近いからこそ、そういった面子を大事に思うというのはわからないでもない。
同じ国の軍隊でも、海軍と陸軍がバチバチに面子争いをしていたりするものだ。
『ひとまず父と相談をする、少し待ってくれ』
『もちろんいいとも』
俺は背もたれのない椅子の上でくるりと尻を滑らせて、父たちの方を向いた。
「どうやらズヴァイべはその首都に私を招きたいようです」
「……なぜだ?」
父の疑問も最もだ。
「何やらマッキャノとの面子の問題であるとか。マッキャノの首都に行って大首領に会ったからには、ズヴァイべでも同じようにと……」
「面子か……」
「父上、私は行こうかと思います。このまま突っぱねては、またぞろ
まぁぶっちゃけ、うちには選択肢のない話ではある。
タヌカンは小さい小さい領地で、戦力なんか全然ない。
叩いたところで本国から軍が派遣されてくるわけでもない。
マッキャノと肩を並べるズヴァイべと事を構える選択肢など、最初からないのだ。
特に今回は、別に当主である父をどうこうしようというわけでもなんでもない。
三男である俺に対してちょっと遊びに来いやと言ってるだけなわけで、なおさら突っぱねる理由なんかないのだ。
「フーシャンクラン、お前の思うままに事を成すがよい」
「であれば、行きましょう。もちろん今すぐとはいきませんが、見聞を広めて参ります」
「……そうか」
まぁ、別に行くのはいいのだ。
問題は、チヨノポリタがツトムポリタとは比べ物にならないぐらい遠いらしいという事だ。
前にマッキャノで地図を見せて貰った事があるが、はっきり言ってとても
なんせズヴァイべ方面というのは、荒野だけでもマッキャノ側の倍はあるらしいからな。
ド内陸だから船で行くというわけにもいかないし……
と、俺はそんな事を考えながら、ズヴァイべの使者へと向き直った。
『いいよ、行こう』
『本当か!』
『ただし、チヨノポリタは遠いからな、色々と準備が必要だ』
『できれば今年のうちに頼みたいが……』
『それは厳しい』
いくら俺が身軽な三男坊でも、こちらにも色々やる事はあるのだ。
今年のうちにともなれば、夏の今出る事になる。
フォルク王国への税の支払いの事もあるから、少なくとも今年のうちは動けない。
タヌカン辺境伯家の爵位の行方は今俺が握っているのだ。
傍から見れば何の意味もない爵位かもしれないが、これはうちの先祖代々の立派な家業。
俺はどうしても……うちの親父を、愚かな息子のせいで家業を失った男にしてしまいたくはなかった。
うちの兄貴へ爵位を繋ぐ、そしてその間ラオカンの子孫たちにすり潰されないようタヌカンを守る。
きっとそれこそがこの俺の人生の大仕事となるだろう。
『では……来年はどうだ?』
ズヴァイベのタドゥルナはそう言ってくれるが、俺はできればもう少し先延ばしにしたかった。
『できればそうしたいのだが……すぐに出られない事情があるのだ』
あまり考えたくもないが、税を払った後でフォルクが更に無茶を言ってくる可能性もあるのだ。
行って帰って来たら家がなくなっていたという事にでもなれば、悔やんでも悔やみきれないだろう。
俺の返事に下唇を噛みながら悩んでいたタドゥルナの背中を、後ろに控えていた三人のうちの一人が叩き、耳打ちをした。
タドゥルナはなおも悩んでいたようだが、バシッと膝を叩いてこちらに向き直った。
『わかった、三年以内だ。三年後の冬に次の大首領を決める大会がある。それまでに来てくれればいい』
『……それでいいのか? それならば助かるが』
まぁ、黒水の谷の正体如何では、もっともっと早く行ける可能性もあるが……
それは多分、この世界ではラオカンを含めた
タドゥルナは頷いて、懐から豪奢な作りの短剣を取り出し、床に置いて三歩下がった。
『これは俺の一族の剣だ。ズヴァイべの領域に入ったら、土地の者にこれを見せてくれ。俺の一族の元へ案内してくれるはずだ』
『ありがとう』
『荒れ地のフーと酒を飲み交わす事を、今から楽しみにしている』
そのやり取りで、使者との対話は終わった。
ああいう事を自分の裁量で決められるという事は、タドゥルナは相当偉い血筋なんだろう。
その割には、なんだかこちらが拍子抜けするぐらい融通を利かせてくれたようだが……
逆にあそこまで譲歩させたという事は、間違いなく三年のうちにズヴァイベへと行かなければ大変な事になるという事だ。
言葉を尽くしてから始まった戦は、きっと俺の首ひとつでは収まるまい。
また背中がズシリと重くなった気がした。
あぁ、前世が恋しい……
貴族の生き方というものは、どうにも俺には重すぎる。
そんな事を考えながら、ズヴァイベの使者たちに土産を持たせて見送った二日後。
俺は黒水の谷へとメドゥバルとキントマンを主体とした調査隊を送り込んだ。
今世の俺は、なんちゃってとはいえ錬金術師なのだ。
もし黒水が石油だとすれば、科学技術の全く発展していないこの世界ですら、やれる事は山程あるだろう。
そう、はっきり言って……
俺にとってはズヴァイべの騎兵などよりも、彼らがやって来た黒水の谷の方が、よっぽどのビッグニュースだったのだった。
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南の果てに黒き水あり。
飲めず、煮られず、洗えず、呪われし水也。
悪魔の地、この水のみ湧きて。
そこに住む者、須らくこの水にて暮らす。
彼ら火を吹き、耳尖り、目赤く、尻尾生え、人を食らう。
黒き谷、悪魔を封ずる門也。
立ち入る事なかるべし。
碑文
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