Emerald Sword5
実りと歓喜の秋はあっという間に過ぎ去り、今年も約束を違う事なく、暗く長く辛い冬がやってきた。
この季節になってもフォルク王国からの援軍は来ず、他国に本拠地を持つシスカータ商会の船も姿を見せないままだ。
だが、寒さと共に荒野へやって来た者たちもまた、少ないながらもいたのだった。
「話が違うじゃろうが! 千人からの兵がおるんじゃなかったんか!」
「その代わりに敵も五百人程度だろう」
「敵はいくら多くてもええんじゃ! 味方が少ないのは打てる策が減るじゃろうが!」
多くの人で賑わう城の大部屋で、グル爺の友人だというウィントルという老人がそう喚く。
彼は久々に港にやって来たフォルク王国側からの船に乗って来たという、数少ない援軍のうちの一人だった。
驚いた事に、なんと彼らは本国の送って来てくれた人員というわけではなく、グル爺やキントマンが呼び寄せてくれた旧知の人物たちらしい。
彼らを送り届けてきたネィアカシ商会の狐人族の商人は、今父や騎士団の幹部連中と情報交換の真っ最中で……
援軍との面通しを命じられた俺の代わりに、イサラもそちらへと参加していた。
「
「ややこしい言い方はよしてくれ、フーシャンクランでいい」
「じゃあフーシャンクラン様よう、ずらかるなら今だぜ。冬が来たからには山は超えられねぇし、マキアノの奴ら軍船を何隻も出してやがるから、今に港も包囲されちまう」
錆びた戦斧を背負ったキントマンの部下がそう言うのに、俺は首を横に振った。
「逃げるとしても女子供が先だ、俺が行くとすれば最終便だな」
「あんたも子供だ」
「俺は貴族だよ」
「だがようフシャ様……」
キントマンとその元部下たちを交えてそんな話をしていると……
部屋の隅にいたローブを着た背の高い女が、しなを作るように歩いて俺たちに近づいてきた。
「いかんなぁ、いかんなぁ。
「はぁ?」
「民を守って城で討ち死にか、お前はまだそんなめそめそした戦をやるような年ではなかろうて。星の巡りは毎夜変わる、捲土重来というのもなかなか面白いものであるぞ」
低く落ち着いた、妙に色気のある声音でつらつらとそんな事を話す女に、俺の隣にいたキントマンが鞘に入ったままの剣の先を向ける。
「おい、そこで止まれ。一体あんた何もんだ?」
「キントマンがまだ生きていたとはなぁ。あれほど聴き惚れていた
「お前……まさかイスローテップの婆さんか!?」
「口の減らぬ奴よ」
女がローブのフードを取ると、そこには絶世と言っても過言ではない美貌の、
まるで本物の銀を束ねたような髪は豊かに首筋を伝い……
人の血を吸ったかのように赤い唇の、まるで世界中をあざ笑うかのように曲げられたその端からは、吸血鬼の牙のように長い犬歯がちらりと覗く。
こんな辺境では一度もお目にかかった事のないような、どうにも毒の強そうな美女だった。
「滅びの魔女イスローテップがこんな所に何の用だってんだよ。というか誰が呼び込んだんだ……」
「そりゃあ、我が愛しの将軍様よ」
「チッ、グルドゥラのジジイーッ! とんでもねぇのが来てやがるぞ!」
キントマンがそう叫ぶと、部屋の奥で旧知の人物たちと話していたグル爺が、数人の老人を伴ってやって来た。
「おお、イスローテップ、お前も来てくれたのか」
「なんじゃあ、お前さんこんな奴も呼んだんか!」
「お嬢さんめんこいのぉ。孫の部屋から頂いてきた火酒があるんじゃが、今夜一緒に楽しまんか?」
キントマンは好き放題に喋りまくる老人たちを制するように、ドカリと床板を踏みつけてグル爺の胸ぐらを掴み上げた。
「ふざけんじゃねぇぞグルドゥラ! どういうつもりだ! こんな縁起の悪い女を呼び寄せやがって!」
「落ち着け」
だがグル爺はさほど気にした様子もなく、そう言いながら掌でキントマンの手をポンポンと叩く。
「彼女は知恵者だ。フシャ様の錬金術も独学ばかりでは間違いがあるやもしれぬし、知見を広める意味でも一度こういう者とも会わせておきたかったのでな」
「ふぅん、妾を教師役にしようてか……」
彼女はそう言いながら、なぜか俺の顔から下半身までをじろりと見つめて、蛇のような舌先で唇を舐めた。
「まあ、槍の使い方ぐらいは指南してやらんでもないが……」
「ふざけんじゃねぇぞババア!」
凄むキントマンも意に介さず、耳長はニヤニヤと笑いながらこちらに近づいて来たのだが……
そんな彼女と俺の間に、スッとグル爺の皺だらけの手が差し込まれた。
「今のところはそういう事は結構、もう少し専門的な事を教えてくれればよい」
「専門的な事とは? さっき言っていた錬金術か?」
「端的に言えば、フシャ様が必要と思われた事全てだ」
「妾の叡智にその小童が耐えられるかどうか……」
彼女はそう言って笑いながら、グル爺の前へ上を向けた掌を差し出す。
「それで、報酬は?」
「必要か? この状況で」
グル爺がそう言いながら周りを見渡すと、耳長女は犬歯をむき出しにして笑う。
「どういう事だ?」
そう聞くと耳長女はなぜか更に笑みを深め……苦々しげな顔をしたキントマンが俺の肩に手を置いた。
「いいかフシャ様、あのイスローテップって女がいた場所はな、これまでそのほとんどが滅びてるんだよ」
そう話すキントマンの顔はどこまでも真剣で、その隣では彼の部下たちもしきりに頷いていた。
「あいつはなぁ、フシャ様。人が苦しんで死ぬところを見るのが、楽しくて楽しくて仕方がないんだ。あいつはな……あいつは、敵の傭兵団に焼かれる前の俺の里にもいたんだよ」
「おお、お前の女房たちも子供たちも最後までよう戦っとったぞ。
「てめぇっ!」
「それで……」
俺は左手に持った黒剣の柄に伸びようとしていたキントマンの手を抑え、女に問いかけた。
「あんたが来たって事は、この領の終わりも見届けてくれるって事かい?」
「そう思って来たんだがなぁ……どうもそうはいかんような気もしてきてなぁ」
彼女はニヤニヤと笑いながら、ほっそりとした手を伸ばして俺の顔を撫でた。
「あっという間の気もするが、そうでもない気もする。もし長引くようならば、妾の命数ではお前の終わりは見切れんかもしれんなぁ」
「…………」
なるほど、エルフの寿命というものがどれぐらいなのかは知らないが……
長く生きても五十年や六十年ぽっちの俺の人生を見きれないという事は、案外彼女は本当にお婆さんなのかもしれないな。
「まあいい、仕事さえしてくれるならば、別に好きなだけいてくれていいよ」
「ほぉ、滅びの魔女を手の内に置くか。はてさて、この小童は気骨があるのか浅墓であるのか……」
「本気かぁ?」
キントマンが心配そうにそう言うのに、首を振って答える。
「別に婆さん一人がいようがいまいが、やる事は変わらんよ」
「小童、婆さんはよせ。女人の扱いから教えねばならんか?」
なんだか不機嫌そうにそう言う耳長だが、キントマンだってそう言ってたのにな。
「じゃあ何と呼べばいい?」
「愛しのイスロー、銀髪の君、何でもよいが……まぁ、ここは古風に
そう言って、俺が先生と呼ぶ事になった女は楽しそうにくっくっと喉を鳴らして笑ったのだった。
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