ラッパーズ・サイレント
との
第1話 どうしてこんなところに来てしまったんだろう……
場違いという言葉がこれほどまでに似合う場面は、田中達也の十五年の人生の中にはなかった。
キョロキョロと目だけを落ち着かない様子で動かし、周囲を見ると、茶髪は当たり前といった様子で金髪や赤髪の人間がたくさんいる。
中には身体中に入れ墨をしている厳ついお兄さんや、やたらと露出の高いお姉様方が目に飛び込んできた。
どちらにせよ、達也がこれまでの人生で一度も関わったことのない人種だ。
そんな人間に囲まれている今の状況は生きた心地がしなかった。
周囲への動揺を必死に抑えながら、当初の目的を思い出す。一刻も早くこの場を離れたいという気持ちは時間とともにどんどん強くなっていくが、達也の生真面目さがそれを許さない。
(早く鈴木さんを見つけないと……)
達也は受付でなけなしの千円と交換したコーラを喉に流し込んだ。キンキンに冷えているはずなのに、会場の熱気のせいか、心なしか生ぬるく感じてしまう。
早く彼女を見つけて帰りたい。
その一心で恐怖にすくむ足に無理やり活を入れ、達也は人ごみをかき分けながら、会場内を練り歩いた。
(どうしてこんなところに来てしまったんだろう……)
それは今から二時間前のことだ。
ホームルームが終わり、部活をやっていない達也にとってあとは帰るだけとなった放課後、突然クラス担任の教師に呼び止められた。
「あー……委員長。ちょっと」
「……なんですか?」
「進路希望の紙を出していない奴がいてな。悪いんだけど、こいつらから集めてきてくれ」
そう言って、クラスメイトの名前が書かれているリストを担任教師が差し出してきた。リストをちらと見ると、ほとんどの人間はまだ教室に残っているように見えた。これならすぐに集められるだろうと達也は承諾した。
「わかりました」
「ありがとう! ちなみに今日中な」
「え、今日中?」
「明日の会議で使うんだよ……すまん、田中……任せた!!!」
「え、あ、ちょっと! ……えええ……」
そう言って担任教師は颯爽と教室を後にした。
職務怠慢を押し付けられ、達也はため息を漏らす。仕方がないと思い、周囲を見渡しながら、教室に残っている生徒と手元のリストを見比べた。
「うわ! また面倒事を押し付けられてやんの!」
ふと後ろからからかうような声をかけられ、達也は振り返る。
立っていたのはクラスメイトの諏訪原光一だった。
「何これ? あ、俺の名前もある」
「進路指導の紙を集めろってさ。お前も出していないなら早く出してくれ」
「うわ、忘れてた。おーい、みんな! 進路希望の紙、出せってさ!」
そういって光一はクラスに残っている連中に向かって、声を飛ばした。光一の声に反応したクラスメイトたちがぞろぞろと集まってきた。
スクールカースト上位の目の前の友人をすごいなと達也は素直に尊敬する。
「ありがと。おかげで集まったよ」
集まった紙を机でとんとんと叩き、端っこを合わせた。
「高校一年の夏休み前に進路聞いてどうすんだよな」
「なんか会議で使うとかいってたよ。とにかく助かった。ありがと」
「お礼なんていいよ。お前に恩を売るのは俺のためでもあるしな」
そういって光一は教室を後にした。
達也は手元のリストの名前と集まった進路希望の紙の数を比較した。しかし、数が合わない。
「うわ、足りない……。誰だ……」
一人一人の名前を照らし合わせていく。そこで一人の名前がないことに気が付いた。
「鈴木さんか……」
意外な名前だった。
鈴木きらら。
頭脳明晰、成績優秀、運動神経抜群、容姿端麗、性格良好、才色兼備。
これらは全てクラスメイトが彼女を形容する際に使う言葉だ。ちなみにきららは漢字だと稀蘭と書く。
達也とは同じクラスに属しているが、接点はない。そのためどんな人間なのか直接は知らない。毎朝駅で見かけるため、おそらく電車通学なことぐらいしか情報はなかった。
ただ、良い噂は自然と耳に入ってくる。かわいいとクラスの男子が噂をしている場面を何度も目撃したし、授業態度は真面目そのものであり、教師からの評判もよい。きっとクラスの女子で誰が一番かわいいかとアンケートを取ったら相当な得票数になるだろうし、クラスの真面目代表は誰かと取ればそれもきっときららになるだろう。
そんな彼女が進路希望の紙を出していないのに違和感を覚えつつ、達也はきららの姿を探した。
普段、きららと仲のいい女子生徒が何人か談笑している様子はあったが、きらら本人の姿はない。
(こんなことなら諏訪原に頼めばよかったな)
交友関係の広い光一なら、きっと手あたり次第声をかけ、すぐにきららの行方もわかるのだろう。しかし、女子と話すことが苦手な達也は彼女たちにきららの行方を尋ねることができない。
どうすることもできず、達也は頭をポリポリと掻いた。そのときだ。
「あ……」
ふと窓の外に目をやると、校舎から部活に精を出す生徒たちがいるグラウンドを挟んだその奥に、正門のところに綺麗な黒髪が風になびいているのが見えた。
きららだ。
頑張れば追いつけない距離ではない。しかし、自分がそうまでする必要があるのかも少し疑問だった。はたして学級委員長というだけで、そこまでする必要があるのか。達也は葛藤した。
結局、自分の真面目さを呪いつつ、ため息を吐きながら達也は教室を後にした。
下駄箱から履き古したスニーカーを取り出し、急いで上靴と履き替え、彼女のあとを追う。
校舎から出ると、梅雨明けのからっとした空気と、やる気満々といった様子の日差しが襲ってきた。
正門を出たところで、きららの姿をそう遠くない距離に見つけた。
猛スピードで走ればすぐに追いつくが、この気温の中、そんなことをすれば汗だくで話しかけることになってしまう。
クラスメイトとはいえ、あまり話したことのない男子に汗だくで話しかけられた日にはドン引きは必至だ。明日から達也のクラスでのあだ名が「汗びちゃ男」になってしまう。
そんな事態を回避すべく、達也は徐々にきららとの距離を詰めていく。そこで一つの疑問が湧いてきた。
(どこに向かってるんだろ……)
この高校に通う生徒が利用する駅は一つしかない。
きららの姿は毎朝駅で見かけるし、電車通学のはずなのだが、しかし、彼女は正門を出て、駅と反対方向へ向かっている。
学校の周辺は住宅地が広がっており、高校生が遊べるようなところはほとんどない。だから学校帰りに友達と遊ぶとしても、一度電車に乗り、隣町まで出る生徒がほとんどである。そのため、駅じゃない方向へ徒歩で向かう理由が少し気になった。
(あ!)
達也がそんなこと考えていた一瞬の間に、きららは歩くスピードを上げ、いつの間にか豆粒のような小ささになっていた。進路希望の紙を渡すという当初の目的を再度認識し、達也も歩くスピードを上げ、見失わないようきららを追いかけた。
少し歩くと踏切があった。通学中に電車の中から見かけることはあったが、こうして訪れるのは初めてだ。
きららは踏切を渡り、線路とフェンス一枚を隔て、平行に並んでいる道路をずんずんと進んでいく。
すっかり話かけるタイミングを逃してしまった。
達也はいつしか気配を殺しながら、見失わないよう、しかしばれないよう一定の距離を保ちつつ、後をつけていく。
(何をしてるんだ僕は……これじゃ、まるでストーカーじゃないか……)
客観的に分析した自分の行動への嫌悪感と彼女への罪悪感を感じつつも、今更引き返すこともできず、達也はそのまま尾行を続けた。幸いといっていいのかわからないが、周囲には電信柱やごみ箱などの比較的大きな設置物が多く、身を隠す場所には困らなかった。
きららが道を曲がり、線路から離れ路地に入っていく。
(なんだここ……?)
後をつけ達也も路地に入る。
そこには飲み屋街と思しき景色が広がっていた。道にはたばこの吸い殻や潰された缶ビールがそこら中に散らばっている。また電柱を囲むように無造作に置かれたごみ袋から人間の足のようなものが飛び出している。高校からそう遠くない場所にこのようなお世辞にも治安がよいと言えない場所があったことに驚きを隠せない達也をよそに、きららは何も変わらない様子で堂々と歩いていった。
(……鈴木さん、こんなところに何の用だろう)
普段学校で見るきららの様子と、この飲み屋街の様子の乖離はすさまじく、到底結びつかない。様々な可能性を考える中でふと達也の頭に一つの可能性が浮かぶ。
(もしかしたら……彼女はそういう如何わしい店で働いているとか……?)
そんな発想は失礼だと感じつつも、頭の中でいろんな制服を着てあんなことやこんなことをするきららの姿を妄想してしまう。
(いやいや! ありえないよ! あの鈴木さんだぞ! それにもし仮にそうだったとしても、こんな学校から歩いてこれるような場所でするわけないし……うん、ありえない……!)
頭の中のあんなことやこんなことの妄想をしたのち、理性でそれを一生懸命振り払う。そんなことを何回か繰り返していると、きららがある建物の前で立ち止まった。
(ん……?)
建物には様々な店舗が入っており、各階ごとに何が入っているかがわかるように店舗名が羅列してあった。そのどれもが派手な色、目立つフォントをしていて、少し離れた場所にいる達也でもその文字が読み取れた。心の中でその店舗名を一つ一つ読み上げていく。
(淫乱ピース……JK始めました……HH商事……)
勿論入ったことはない。しかし、そんな達也でも一見してわかった。
「いかがわしいお店だぁぁぁ!」
教師からのお使いを頼まれた結果、同級生のとんでもない秘密を知ってしまった。
達也の視線には一切気づくことなく、きららはその建物の地下へ階段を降り進んでいった。
一体どのお店が何階に構えられているのかはわからないが、今の達也の頭ではそんな冷静な判断はできない。先ほどまでの妄想がより一層現実感を増して、脳内を埋め尽くしていく。気温のせいもあるが、嫌な汗が一層全身から噴き出してきた。
できれば知りたくなかった。まさかあの品行方正な鈴木きららがこんなところで働いていたなんて。特段彼女に特別な好意をもっていたわけではない達也ですらショックを受けてしまったのだから、彼女に好意を持っている数多の男子生徒が知ったら、吐血物だろう。
そもそも校則違反というだけでは済まない。達也もきららも十五歳の高校生。法律的にそういうお店で働くことは許されていない。しかし、そんな一般論よりも達也は自分の中で作り上げていたきららの真面目なイメージが崩れ去ったことに自分勝手なことだとは思いつつもダメージを受けていた。
(まぁ……でも……進路希望の紙は渡さないと……)
きららがその建物に入って、数十分。一向に出てくる気配のない状況を打破するべく、達也はその建物の前まで進んだ。
もはや先ほどのショックで正常な思考回路は働いておらず、教師からの依頼をこなさねばという使命感のみが達也の身体をつき動かした。
遠くからはわからなかったが、建物の前までくると、上へあがるエレベータと地下へ下りる階段が並んでいた。きららの後を追うべく、達也は階段を下りていく。
達也の中でいかがわしい妄想が少しずつ膨らんでいく。それと同時に、怖いお兄さんにいきなり詰められる妄想もしてしまう。何しろ達也にはそういう経験がない。こういう世界とは無縁で十五年間過ごしてきた。日課の読書でそういう裏社会的なものが題材のものも読んだことはあるが、いざ目の前にするとその圧倒的現実感にすくんでしまう。
辺りを警戒しつつ、達也は階段を足元を確かめるように一歩一歩下りていく。
(……なんていって渡そう……)
さすがに偶然を装うのは無理がある。事実、後をつけてきたのは間違いないのだ。頭をフル回転させても上手い言い訳が見つからない。結果、達也は正直に言うことを決めた。
「進路希望の紙を出してもらうために後を追いかけていたら、ここまできちゃいました! あははは!」
自分で言っていても嘘くさいが、事実なのだから仕方ない。
いざ彼女に会ったときのことを考えると、心臓が段々と跳ね上がってくる。
「おい君」
「ハイ!!!」
いきなり声をかけられ、達也の身体が文字通り跳ねた。
ゆっくりと声の方を振り返ると、そこには長机に肘をついた強面の男性がいた。
(あれ? 僕もしかして殺される……?)
自分とは違う人種にいきなり声をかけられたことに対する恐怖を感じながら、達也はゆっくりと口を開いた。
「……ナンデショウカ?」
「受付した?」
「……ハイ?」
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