眠れないから書いてみる
梶野カメムシ
1.母の死
どうにも眠れないので、今日の出来事を書き出しておく。
吐き出せばすっきりするかもしれない。
12月28日。仕事から帰ると、母が死んでいた。
予兆はなくもなかった。
この一月、体調は優れなかった。毎度一緒に行っていたゴジラの新作映画(母は何故かゴジラ映画は行きたがった。シン・ゴジラは開始五分で寝ていたが)も、体調不良から二度ばかり延期し、もし行けるなら金曜(ちょうど今日だ)にしようと話していたところだった。
母はⅠ型糖尿病で、三十年来の病歴があった。糖尿病は血管を壊し、あらゆる病気を併発していく。白内障、リューマチ、狭心症。母の病名は年を経るごと追加され、頸椎にはボルトを、心臓にはペースメーカーを入れていた。薬局でもらう薬は買い物袋いっぱいにもなった。「病気のデパート」なんておどけるくらいだった。
ここ数年は足腰も衰え、何かに捕まらなければ歩けない状態だったが、ここ数日はさらに弱り、伝い歩きすら怪しい状態だった。日課にしていた夕食作りもかろうじてという感じで、「無理はしなくていい」と何度も伝えたが、強くは言えなかった。
母の衰えの原因はわからない。
もはや病気が多すぎて、リューマチなのか腰なのか、少し前に転んで腰を打った後遺症なのか、素人には判別不能だった。ただ「早く寝ろ」と「長引くなら病院で診てもらおう」くらいしか言えず仕舞いだった。母は二週に一度は病院に通っていたので。一病息災ということもあるのでは、とか勝手に思っていた。
私は実家の近所で暮らし、夕食は実家に食べに行くのが習慣だった。
いい大人が母親の料理か、と思わなくもないが、母は料理することにこだわりがあった。不自由な人生の中で、これだけは譲れない様子であり、何だかんだと好意に甘えてきた。夕食を出せば顔を出す、と考えていたのかもしれない。
一昨日の夜。仕事帰りに実家に寄ると、夕食の支度はまだ途中だった。
リューマチで手が壊れてから、ありとあらゆる準備に時間がかかると母はこぼしていた。それはそうだろう。ペットボトルの蓋も開けられず、片手で何かに捕まっていないと転んでしまうのだから。それでも毎日、ほぼ欠かさず夕食を作り続ける母には無理をさせたくない反面、少しでも動いた方が体にいいという思いもあった。せめて早く帰れた時は母を手伝い、少しでも早く夕食にありつけるよう努めるのも、最近の日課だった。
一昨日の夕食はミートソースのペンネ。母は茹でたパスタが重くて掬えず、ペンネを使うようになった。
今日は特に体調が悪いらしく、昼には転んで、冷蔵庫で頭を打ったらしい。後頭部とかではないようだが、見ていられず、台所を代わった。
煮えているミートソースにケチャップを足し、不慣れな調味料を指示通り入れ、ピーマンを刻んで追加する。その間にペンネを茹でる。茹で汁を使うという話だったが、うっかり流してしまった。
母が後ろからぶーたれるので、軽く塩を足しておく。ゆでたまごは半熟で茹で直し。一つ無駄にしてしまった。
完成したペンネを食べさせると、「塩が立ってる」と一言。これが最後に食べさせた料理、最後の感想だった。
歩けない母の手を引き、トイレに行かせた後、「もう寝る」と言い出した。まだ九時前。いつもリビングで寝てしまって、「体に悪いからベッドで寝ろ」と何度言っても聞かない母が珍しいと思った。
そのまま手を引いて、ベッドに導く。アンカを入れ、切れていた豆球を交換し、電気を消した。母の「ありがとう」を背中に、実家を出た。
その翌日。朝に母からのモーニングコールはなかった。これも習慣なのだが、最近は母も夜更かしが続いて起きられないらしい。まあなくても起きられるので問題はない。「起きたよ」とだけラインしておく。
仕事に出て昼頃、念のためラインを確認。朝から既読がついていない。またか、と思った。母はしばしばスマホをベッドに置き忘れる。こちらは低血糖昏睡かと心配して帰ると、けろっとしてたりする。もっとも本当に倒れていることもままあるので油断はできない。転がったままゾンビ化している母を発見し、救急車を呼ぶことにも慣れてしまった。
念のため、母と同居している妹に連絡。早朝、出勤前に妹が声をかけると、ベッドから返事はあったらしい。スマホはベッドに連れて行くとき渡したので、手元にあるはず。何度か電話したが、通じない。嫌な予感がするが、それだけで職場は抜け出せない。妹に寄り道せず帰るよう頼み、じりじりと退勤を待つ。
七時に退社。職場が遠方のため、電車を待ちながら電話をするが、やはり反応なし。いよいよかも、と覚悟を決める。もう何十年も前から決めている覚悟だ。救急車の中で「今度こそ手遅れかも」と何度思ったことか。それでもなんだかんだと母は助かり、また夕食を作ってくれた。
八時過ぎ、実家に到着。脇目もふらずベッドに向かうと、母は布団を胸の下まではだけて眠っていた。暖房もない真冬の部屋で、やすらかに。
「まさか」という気持ちと、「ついに」という気持ちがあった。
顔を叩いても声をかけても母は目覚めず、手首の脈は感じ取れない。腕が氷のように冷たい。ピクリともしない。
呆然としながら、連絡先を考えた。
死んでいたら救急車は来ないのは知っている。なのに、119番を押していた。頭の片隅ではもうはっきりとわかっているのに、事実を認められなかった。
電話に出た救急隊員は、丁寧に確認手順を教えてくれた。息をしているか、胸は動いているか。明らかに胸は動いておらず、唇に呼気は感じられない。なのに、電話口では「かすかに感じるような……よくわかりません」と言っている自分がいる。呼びつけられた救急車に迷惑なのは百も承知ながら、自分一人では死を認められなかった。指示された駄目元の心臓マッサージをしながら、その想いはより強まった。
ずっと以前から覚悟していたはずだった。
母はいずれ死ぬのだと。その日は近いのだと。
それでも、それが今日だとは認められなかった。
サイレンが近づいて来る。
何の覚悟も出来ていなかったことを、私は思い知らされていた。
──眠れなければ、続くかも。
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