23「Bit Of Light」

 「る……な……!?」

そう口にした澪の頬が濡れ、絶望と焦燥感が少女を支配する。

 やだ……!

「流雫……!」

最愛の少年の名を呼びながら近付く澪。その身体を抱え、唇を重ねる。この身体に残る全ての酸素を送りたい。

「……っ……!」

今人工呼吸しても、何の役にも立たないことぐらい判っている。しかし、何が何でも流雫を救いたい。その唇と絡めた指に残るほのかな熱に、一縷の希望を託して。


 大教会の前は騒然としていた。聖女が撃たれたことへの戦慄、その聖女がクローンだったことへの怒りが交錯している。

「退け!!」

と叫びながら、群衆を押し退ける詩応は、銃を取り出しながら教会に入って行く。

 礼拝堂の扉はロックが掛かっている。制御装置は見当たらない。内側は流雫が撃ったがダメだった。

「……待ってろ……澪……流雫……」

焦燥感を露わにする詩応は、扉のロックに向け、震える腕を押さえながら引き金を引く。6発の中口径の銃弾は半分だけロックを破壊したが、後は指を入れれば回せる。

「くっ!!」

詩応は指を入れ、左に回す。小さな金属音が鳴った。

「ぐっ……っ!!」

扉を開けた詩応は、静まり返った礼拝堂の真ん中に倒れる2人に目が止まる。流雫を抱えたまま倒れる澪。

「澪……!!流雫……!!」

2人の頬を叩く詩応、しかし反応は無い。その奥には、聖女とセブもいる。しかし、2人の容体を気にすることはできない。それほど、追い詰められている。

 背後から救急隊員が駆け付けた。担架に乗せられる高校生2人に目を向ける詩応は、同行者として救急車に乗る。

「澪……流雫……」

と名を呼ぶだけだ。そして先刻連絡先を交換したばかりのアルスと通話を始める。

「ミオとルナが病院に運ばれる」

「は!?何が有った!?」

「アタシも知らない。ただ、礼拝堂に閉じ込められたと」

と言った後で、詩応は隊員から告げられた病院を合流場所に指定し、通話を切る。

 ……2人は何を見たのか。まさか、聖女アリスが狙われたのか。そして、助けようとしたのか。

「……女神よ……2人を救い給え……」

と詩応は呟く。ルージェエールとソレイエドール、双方の守護を受けているのだから、死ぬワケがない。そうであってほしい。

 平静を装う詩応は目を閉じる。しかし、床に落ちて砕ける小さな雫を止めることはできなかった。


 「ミオとルナが病院に運ばれる」

その一言にアルスは、驚きと苛立ちを隠さない。通話が切れた後で、アルスは詩応が告げた病院に行くよう指示する。

「お前は?」

とセバスに問われたアルスは、

「教会に行く。後で駆け付ける」

とだけ答え、地面を蹴った。

 ……何が起きたか、想像に難くない。流雫と澪が気になるが、紅き戦女神の守護によって、必ず生き延びると信じている。

 2人のことは詩応に任せる。今は教会で何が起きているのか、探るだけだ。

 全力で走ったアルスは、教会の前の騒ぎに苛立ちながら、英語で

「退け!!」

と叫びながら、先刻の詩応よろしく強引に押し退けて中に入る。

 ……複数の血痕が、礼拝堂の床を汚している。祭壇のすぐ近くにも点在している。

「まさか……」

とアルスが呟く、その後ろから

「何が起きた!?」

と大きな声が響いた。弥陀ヶ原だ。何度も聞いたから、その日本語だけは覚えた。アルスは振り向きながら

 「ルナとミオが病院に運ばれた、とは聞いている」

と英語で答え、近寄った。

「洩れた供述より前に、アリスの秘密を知っていた奴がいる。狙ったのは、恐らくそのグルだ」

「目的は?」

「総司祭の失脚。そのためにアリスを亡き者にしようとしたんだろう」

とアルスは答える。

「だが、シノから聞いた。ミオが礼拝堂に閉じ込められたと。犯人の口封じも兼ねて、ルナごと一網打尽にする気だったんだろう……」

と言ったアルスの目には、怒りが漂っている。

 「……犯人への報復で殺しても、無罪にならないのか?」

と言った少年の目に、生意気な少年の面影は無い。流雫と澪を殺されかけて、黙っていられるワケが無い。

 冗談っぽさが微塵も無い言葉に、弥陀ヶ原は

「言いたいことは判るがな」

とだけ答える。

 アルスは

「……俺は病院に行く。ルナとミオが気になる」

とだけ言い残し、何時しか張られた規制線の外へ出た。

 教会前にいる連中は、相変わらず騒がしい。しかし、礼拝堂で発砲事件が起きたことに対する怒りより、聖女がクローンだったことに対する怒りが、圧倒的に強い。日本語で捲し立てる罵声の意味は判らないが、時系列で容易に想像がつく。

 ……日本は、悪者を社会的に再起不能になるまで叩くと云う風潮が有る。罪人だから当然の報い、そのロジックで武装した自称正義の味方が排除するのだ。謂わば集団私刑。ただ、アリスは教団にとって禁断の存在と云うだけで、何か犯罪を起こしたワケではない。

 ……腐ってやがる。アルスはそう思いながら、地面を蹴ると同時にスマートフォンを耳に当てた。


 「はい!?」

と声を上げた少女はアイスティーをテーブルに置くと、PCの画面を見ながら

「フランスでも速報が出てるわ……」

と小さめの声で言う。

 怖れていたことが起きた。恐らく先刻見た教会の騒ぎは、これから大きくなるだろう。そして当然、ダンケルクも対応に追われるハズだ。

 ……ダンケルクと言えば。赤毛の少女は、思い出したかのように言った。

「……一つ、気になる名前が有るの。ルートヴィヒ・ヴァイスヴォルフ」

「……ドイツ人か?」

とアルスは問う。個人的に、ドイツ人は何となく苦手だ。

 「そう。現地だとバロン・フォン・ヴァイスヴォルフと呼ばれてる。ドイツ側の教会にいた後、マルティネス家に移ってる。でも、不思議なことが有って」

「何だよ?」

「フランスに移ったのを機に、名前を変えてる。エルンスト・ギョームに」

「対外的に偽名を使ってるのか?」

「ただ、偽名よりも厄介なことが有るの」

とアリシアは言い、アイスティーを啜って続けた。

 「マルティネス家失脚の後、メスィドール家に仕えてる。つまり、今でもダンケルクにいるのよ」 

「ダンケルクにいる……?」

「そう。マルティネス家を離れたの。今の立場は知らないけど」

 アリシアの言葉は、アルスに新たな謎を呼び起こす。

 ドイツをルーツとするなら、東部教会サイドにいた方がメリットは大きいハズだ。無論、総本部にいるメリットを選んだからだと云うのも判る。ただ、それだけの理由ではないハズだ。

「……総司祭一家に仕えるメリットは何だ……?」

とアルスは呟く。その声を拾った赤毛の恋人は答えた。

「教団の中枢に近い場所にいられる」

 その答えは、アルスも最初から想像していた。そして、それが大凡正しいことを確信した。

「裏で牛耳る気か?」

「ヴァイスヴォルフ家は処世術に長けた一家だから、十分有り得るわね」

とアリシアは言った。その瞬間、アルスは自分の言葉に疑問を感じた。

 ……裏で牛耳る?メスィドール家を?何のために?自分の利益のためにか?

「待てよ……」

「どうしたの?」

「……後で連絡する」

と言って通話を切ったアルスの脳は、バックグラウンドで一つの可能性を組み始めていた。


 救急病院の待合室は、何処か慌ただしい。その端で俯いたままの3人は、処置室にいる4人が気懸かりだった。

「容体はどうだ?」

と問いながら近付くアルスに、最初に顔を上げたのは詩応だった。

「未だ誰も出てきていない……」

と答えると同時に、処置室のドアが開いた。その奥から出てきたブロンドヘアの男は

「……お前ら……」

と声を上げる。

 「セブ!!」

プリィはベンチから立ち上がり、愛しい弟に駆け寄る。

「プリィ……俺は無事だ……」

と言ったセブは、セバスに顔を向け

「無事そうだな」

と答える。

 その光景にアルスは安堵しながらも、しかし出てこない3人が気懸かりだった。

「……アリスはICUだ。肩を撃たれてる」

セブのフランス語に、プリィとセバスは目を見開く。その後ろでアルスは

「やはりな……」

と呟いた。祭壇前の血痕はやはりアリスのものか。

 妙に冷静なアルスに、詩応は些か不気味ささえ感じる。しかし、それは先刻浮かんだ可能性に意識を向けていたからだった。


 ヴァイスヴォルフ自身の利益のために、メスィドール家を牛耳る。

 セバスが、セブの代わりに渡日すると云うのも、総司祭から伝えられていたとすれば。フリュクティドール家に渡されたネックレスのトラッカーも、ヴァイスヴォルフが準備したとするなら。トラッカー情報を共有して追跡できる、だから何度もピンポイントで狙うことができた。

 そして、自身も日本に同行するとして総司祭を説得すれば、アリスを直接監視できる。聖女とそのオリジナルを同時に監視し、最大の秘密を手に入れる。

 目的は、その秘密で脅迫した末の巨額の現金か、次期総司祭の座か。現総司祭が指名すれば、聖女は変わらず総司祭だけ交代することが可能だからだ。

 しかし、それほど簡単な話だとは思わない。想定外の真実を突きつけるのが現実だからだ。

 アルスは溜め息をつき、無意識に呟いた。

「……鍵を握るのは……奴か……」


 アルスとの通話を終えたアリシアは、スマートフォンを机に置き、ランチを口にする。

「恋人から?」

と問うたのは雇い主だった。ブロンドヘアを三つ編みにした淑女に

「ええ。日本、何か色々大変なようで」

と言った少女に、淑女は

「でも、心配無いわよ。私のルナが一緒だもの」

と言った。

 流雫の実家が、アリシアのバイト先。オッドアイの持ち主が紹介して、アスタナがその場で採用を決めたのだ。

 小さなオフィスの一角でPCに向かうアリシアの働きぶりは、夫妻揃って評価している。

「離れていても、我が子を常に想うのが親の愛と云うものよ。それが無いようじゃ、私はルナの母を名乗ってはいけないと思うの」

と言ったアスタナを見ながら、微笑むアリシア。

 ……あの芯の強さは、この親の遺伝。納得だわ。そう思ったアリシアの脳は、しかし淑女の言葉をリフレインさせ始めた。

 ……母性的な愛を知らず、ただ教団や一家にとっての道具として扱われてきた存在。それはアリスだけじゃない。

 アリシアはサンドイッチを咥えたまま、キーボードを叩く。アドレスバーには、こう文字列が並んでいた。

 マルガレーテ・ヴァイスヴォルフ。

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