14「Risky Deal」

 心臓破りの階段を駆け上がった2人のフランス人、その片方はすぐに膝から崩れる。謎の追っ手から逃れるために走らされ、挙げ句アルスに喉を強く押さえ付けられたことで、既に満身創痍に陥っている。

「ひ弱だな……」

と言ったアルスを睨むセブ。同郷のちょっとした有名人が、これほど暴力的だとは……。

 「しかし、何故俺がメスィドール家だと……」

と問うたセブに、アルスは答えた。

「あの時点では知らなかった。だから適当に言っただけだ」

 名門一家にとって、各々の名字は特に重要だ。もし、目の前のセブがフリュクティドール家の者ならば、否定や訂正を求める言葉を口にしたハズだ。

 しかし、セブはそうしていない。否定しない限り肯定、故に隣にいるセブはメスィドール家のものだ。そして、それは当たっていた。

 「何故アリスに同行せず、1人プリィを追う?プリィの弟は何処だ?」

アルスは問う。何故、聖女の弟の方が、こうして単独行動しているのか。

「……もう1人のセブはアリスといる。だから俺がプリィを捜している」

とセブは答える。アルスは更に問う。

「ドクター・ミヤキを追って2週間前にフランスを発ったのも、お前か?」

「……何故その名前を?」

「ちょっとしたツテでな。……何故お前の役目なのか」

とアルスは答える。

 同じセブでも、今の時点で立場が上なのはメスィドール家だ。アリスが聖女に君臨する以上、セブは次期総司祭候補になるからだ。それが1人で日本にいる。もう1人の方を聖女の秘書に据えて。

 そしてもし、対外的に自分をフリュクティドール家の末裔だと名乗っているならば、両家の思惑が複雑に絡まり過ぎていることになる。

「……お前も厄介なことに絡まれたな」

とだけアルスは言った。

 人工的に生み出された命が、姉同様一族と教会の道具として振り回されている。命を宿すもの全てを尊重する教えも有るが、それ以前に個人的にセブが不憫でならない。

「お前などに同情される覚えは無い」

「減らず口を叩く体力は有るな。なら行くぞ」

とアルスは言い、前を向く。

 ……この男、口は悪いが根はそこまで悪い奴ではないのか?セブはそう思った。とは云え邪教だ、油断はできないが。


 秋葉原駅、電気街口。ロータリー前の小さな広場は、花壇が有るものの全体的にフラットで、流雫にとっては些か戦いにくい。

 流雫のスマートフォンが鳴ったのは、駅前に戻ったのと同時だった。

 「流雫!今何処なの?」

その問いに、流雫は

「秋葉原。追っ手に狙われた」

と答える。

「トラッカーは当たってた。セブに後を付けられ、別の追っ手が撃ってきた」

「撃っ……流雫!?」

「アルスがセブを連れて逃げてる。連中は僕を追ってる」

と言った流雫は、とにかく相手を振り切ることに集中する。しかし、

「……あたしたちも、秋葉原なの」

と澪が言った言葉に、流雫は愕然とした。

 ……世界有数のオタク街に行きたいと言ったのはプリィだった。サブカルチャー自体興味は無いが、色々な街を見て回りたいと言っていたのだ。そして、山手線を時計回りに回ることにしたのだ。

 其処に生きる人々の流れや街の活気を、プリィは知らない。だから、アルス曰く荘厳な檻の外に直接触れたい。その思いを否定することは、日本人2人にはできなかった。

「来るな。もしプリィがいるとバレれば捕まる」

「でも流雫は……」

「僕なら、死なないから」

と、澪の言葉を遮る流雫。澪は信じるだけだ。

 「……絶対だよ」

と澪が言うのを待って、通話を切った流雫の目に、黒いセダンが映った。小さなロータリーから広場に乗り上げて止まった車から、先刻の男2人が降りてくる。

 右手首のブレスレットにキスして、

「どうしても捕まえる気か……」

と呟くオッドアイの少年は、2人に捕まる気は無い。

 「投降すれば、乱暴はしない」

その声を合図に、流雫は踵を返した。

 ロータリーの交差点、その反対側のビルへショートカットするペデストリアンデッキ。其処を上手く使えれば、1対2でも不利ではない。

 階段を斜めに駆け上がる流雫に銃口を向ける2人だが、照準を合わせることができない。小さな銃声が何発か響くが、流雫の動きを止めることはできず、最上段に駆け上がるのを追うしかない。

 デッキの真ん中まで走った流雫は、踵を返して止まる。

「何故僕を追う?トラッカーはもう役に立たないのに」

「ルーンと言ったな。何処でそいつを手に入れた?」

「奪った。……まさか、予想通りとはね」

と答える流雫に、銃口が向く。

 「本来はお前に用は無いが……」

「死体からボクの遺伝子を抽出したりして」

と流雫が言った瞬間、男2人はオッドアイの持ち主に殺意を向ける。その無意識の行為に、流雫は

「……ビンゴかよ」

と呟いた。

 ……殺されるワケにも、生きたまま捕まるワケにもいかない。逆転のための動線は一つ。

「教えてやるよ。僕に銃を向けた結末を」

その言葉と同時に一瞬だけ顔を左に向けた流雫は、瞬間的に地面を蹴る。そして目の前の手摺にノーハンドで跳び乗ると、その勢いを半分だけ残して宙に舞った。

 身体を軽く捻り、男に正対しながら落下する標的を手摺から身を乗り出して目で追った2人は、そのまま車に向かって引き返し始めた。


 足のバネで上手く着地した流雫は、すぐさま階段へと走る。階段を駆け下りる時、必ず減速を強いられる。だから階段の下で先回りして、返り討ちにする。

 男の目に、生意気な女が映った。立ち止まって銃口を向けようとした隙に、流雫は足首を狙って引き金を引いた。

 小さな銃声が2発、それに寸分遅れて男の身体が前のめりになり、そのまま階段を転げ落ちる。

「お前、何てことを!!」

と残った1人が叫ぶが、既に銃口は男に向けられている。

「……これが結末」

と言った流雫の耳に銃声が響き、薬莢が放物線を描いた。

 スラックスの膝部分を血で染めた男は、手摺を掴んで倒れないように耐える。

 もう1人の男は顔を上げ、車に戻ろうとする。運転できるとは思えないが、何か武器を積んでいるのか。否。

「逃げろ!!」

流雫は叫び、その場を離れた。

「逃げろ!早く!!」

全力で走りながら、再度声を上げる流雫。そう、奴らにとって最大の武器、それは。

「ほっ!!」

流雫はその場に伏せた、と当時に駅ビルの窓ガラスがオレンジ色に染まって震え、轟音が後ろから襲ってくる。

 幾重にも重なる悲鳴が、今この瞬間の混乱を象徴していた。

「くっそ……!」

流雫は声を上げた。弥陀ヶ原や澪の父に引き渡して全て吐かせたかったのに、車ごと自爆と云う最悪の結末を迎えたとは。

 自分が生き延びるのが、思い描いていた結末。それはその通りになったが、犯人が自爆することは想像していなかった。

 今までテロと戦ってきた中で、流雫は何度も自爆を目の当たりにした。だから有り得ないことではない……そう思ってはいたが、常に脅威を意識するワケにもいかない。

「流雫!?」

焦燥感に満ちた声に、流雫は頭を上げた。

「澪!?」

 駅ビルに避難していたが、爆発音が聞こえて思わず飛び出した。恋人が心配だったからだ。

 立ち上がる流雫を、澪が抱き寄せる。

「生きてる……流雫……!」

その声が脳で弾け、流雫は最愛の少女を強く抱き返す。救いの手に縋り付くような少年を、澪は

「あたしがついてるから……」

とだけ言い、シルバーヘアの頭を撫でる。

 ……人の生き死に誰よりナーバス、だから自爆した犯人への憤りが、制御できなくなっている。だから流雫は、澪に縋り付いた。

 ……それほどまでに、守りたい秘密が有るのか。それが理想論でしかない、甘いと言われたとしても、だから流雫は、形振り構わなくても大事にしたい人を護ろうとする。

 それは、澪と初めて顔を合わせた時から、何一つ変わっていない。ただ、護りたい人が数人増えただけだ。

「サンキュ……澪……」

弱々しく震える声に、澪は目を閉じる。少しだけ、瞼の隙間が冷えるのを感じた。


 「……あれがミオなんだ」

と、澪の後を追った詩応は言った。その目には、彼女が慕う2人が映っている。

「どんな時だって、言葉だけじゃなく……ああやって、人の悲しみに触れようとする。アタシも、ミオに救われた」

「ソレイエドールよりも尊い、ルナはミオをそう言っていたわ」

とプリィは言い、目の前の光景を目に焼き付ける。

「ルナのことは、今はミオに任せるんだ」

と言った詩応に、プリィは頷く。

 ……ルナとミオ、残酷な運命さえ変えてみせるだけの強さを宿している。あの2人なら、全てを解き明かす。今は、2人の救いを女神に求める言葉は要らない。


 遠くで爆発音が聞こえた。

「まさか……」

そう呟いたアルスは、スマートフォンを鳴らそうとして止めた、今はとにかく、流雫の無事を願いながらセブを逃がすことだけだ。とは云え、1駅分逃げたし敵は2人だけだった。もう安泰だろうか。

「何が起きてるんだ!?」

「非人道的なことだ」

とだけアルスは答える。名言こそ避けているが、セブには想像がつく。

 「それより、俺とお前はどうすればいい?」

とアルスは問う。今更何事も無かったかのようにすることはできない。そして、このまま取調となると、プリィと会うことになる可能性も有る。

 ……引き合わせてはいけない2人が、図らずも一つの場所に集まる。ルーン……もとい流雫と秋葉原で合流した時には予想できなかった事態に、アルスは頭を抱えた。

 「……プリィに会わせろ。そうすれば、俺が知っている全てを話す」

と、セブはアルスに険しい目を向けて言う。

 ……一言で言えば、リスクが大きい。簡単に乗っていい話とは思えない。しかし、避けては通れない。そして、これでもセブとしては最大限譲歩した気でいる。

「……プリィの身柄は、お前には引き渡さない。それなら会わせてやれる」

それがアルスの答えだった。

 ……今のプリィにとっては、弟のセブが保護者。つまりは、アリスの保護下に置かれることになる。彼女がプリィに何をする気なのかが読めない以上、彼女を差し出す真似はできない。

 こう云う時、ルナならどうする……?そう思ったアルスのスマートフォンが鳴った。流雫からだ。アルスは溜め息をつき、通話ボタンを押しながら祈った。

 我が女神ルージェエールよ、何が有ろうと、プリィを護り給え。

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